第86話 とうじそばと渋滞

 NSRとVFRの話を喧々諤々としているうちにそばが到着した。裕子のもりそばは普通のもりそばだ。暑い時にはめんつゆに浸けるそばは食欲減退している時でもつるっと入って食した後も体温も上がらずに食べられるのがいい。一方、綾が頼んだとうじそばは裕子が食べ終わりそうな頃に来た。


 「え?なにこれ?ラクロスのラケットみたいなのが入ってる(汗)」


 とうじそばとはそばのしゃぶしゃぶみたいなもので、このラクロスのラケットのようなざるにそばを入れて、コンロで暖められているゆで汁にしゃぶしゃぶする感じだ。真夏にほぼ鍋料理のようなそばを綾は頼んでしまったのだ。


 「暑いのにさらに暑くなるわー。。。」


 とはいえ、食べてみたらおいしい。山菜や野菜と一緒に食べるとこれはこれでおいしい。けどこれは冬に食べたいものだなと思った。そばの盛り付けはどことなく越後のへぎそばの盛り付けに似ていて、1個1個まとまったものがそれなりの数並んでいる。越後のへぎそばは「へぎ」という真四角の器にぎっしり。だが、とうじそばの場合は丸いざるに比較的余裕のある感覚で盛られているのだが。


 そばを食べた二人は帰りは渋滞する前になんとか帰宅したいと考えていたのでまっすぐ高速で帰ることにした。昭和63年というと長野オリンピックはまだ10年も先の時代なので高速道路が松本まで届いてないのでは?と思う諸氏もいるかもしれないが、まさに昭和63年に松本まで開通しているのだ。そう考えると昭和時代までは長野市よりも松本市の方が圧倒的に交通の便はよかったわけで、長野市に行くには碓氷峠という交通のボトルネックが鉄道は在来線で電気機関車で牽引しないと長野に向かえない、高速道路は全く通ってない、一方松本市は鉄道はあずさ号で新宿から1本、さらにみどり湖経由の短絡線も開通済みなので時間短縮もされており、高速道路も繋がっていたのだ。


 二人は早速長野自動車道に乗り一気に諏訪湖SAまで走る。諏訪湖SAは温泉が付いていたり、レストランもあってレストエリアとしては充実しているが昭和時代でも規模の大きいレストエリアであり、諏訪湖を一望できる。ここでガソリンを給油すればあとは自宅までノンストップで帰ることができるという位置にあるのも諏訪湖の魅力の一つかもしれない。


 「綾ちゃん、ちょっとこっちきて!」


 裕子が指差したのは交通情報板。この時代でも渋滞情報は見ることが出来て日が落ち始める頃にはもう渋滞が出来ていた。中央道は東名、東北、関越道と大きく違うのは3車線道路が存在しないこと。交通量が実は最も少ないのが中央道で、かといって空いてるわけでもなくむしろ地獄の渋滞なのは2車線しかないという所以で、令和では大月から小仏トンネルまでは付け焼刃的な感じはあるが3車線化されたり、線形改良されたりしてるが基本は変わっていない。


 「あああー!終わったぁぁぁ。」


 周りを見ると落胆している家族連れやカップルがいた。昭和の渋滞は生半可な渋滞ではないので覚悟が必要だ。綾が昭和37年の時に地獄の渋滞というかカオスな交通事情を見てきているが、高速での渋滞のピーク時代はまさにバブル時代近辺でお盆の帰省渋滞などだと渋滞100キロなんて結構ざらに聞く話でさすがに令和ではここまで酷い渋滞は聞いたことが無いのだから実に恐ろしい時代である。


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