第83話 標高2,700mをオートバイで走る

 乗鞍高原の宿で朝食を済ませた綾と裕子。今日はツーリングの最大の目的地、乗鞍スカイラインを走るので朝から運行前点検をしっかりとやる。今日走る予定距離も多いがそれ以上にいまだかつて体験したことのない標高を走るのでチェックも入念だ。「ネンオシャチエブクトウバシメ。」もはや呪文過ぎて覚えられないと思うが、エンジンを掛ける前にタイヤに何か刺さってないか、ガソリン量、チェーン確認、緩みやすい場所の締め付けトルク確認、クラッチ、ブレーキの動作確認、エンジンを掛けて灯火類を一通り確認すればいいかなとは思う。


 無事問題は無さそうなので暖機も済んだので宿の主人に挨拶して出発する。宿からほどない場所に料金所がありここからはスーパー林道だ。スーパー林道と言ってもただの林道で眺望が良いかというとそうでもないが車の通行量が少なくて快適に走れてよい。トンネルを抜けると白骨温泉側に出るところで、眺望のいい景色がちょっとだけあった。今まさに北アルプスを抜けるのだなぁという実感が湧いてくるが、核心部は安房峠なのでまだまだ先。一気に下って白骨温泉に出るが谷間の狭いところに宿がひしめき合ってて、秘湯らしい地形にある。乗鞍高原はリゾート地的な緩やかな地形だったので狭苦しさ、秘境感はないが拠点としては乗鞍高原の方が車でもオートバイでも行きやすくて走りやすい。白骨温泉を過ぎるとC区間となり、ここから先が令和の時代は走ることができない区間だ。正直見晴らしは全然よくないしさらに車を見ることは無くなった。修行のような山肌を縫うように走る道路を走り切ると、国道158号線にたどり着いた。場所で言うと中ノ湯温泉の遥か上の高度で接続するようである。令和で言う安房峠の旧道は釜トンネルとの分岐から一気に高度を上げて安房峠に向かうのだが、この一気に登って。の部分をはしょることができるようで、国道に出たら観光バスが結構通ってくるが、話によると1回でコーナーを曲がり切れない急峻さでバックしてさらに切りなおさないと曲がれないというのが主要国道だというのにもたまげた話で、いつの時代なんだ?と錯覚するほどの酷道さだ。


 「なんか、うわさに聞いたつづら折れが全然ないわねー。」


 登り切った場所からなのでそういうシーンは見ることなく、安房峠に着いた。ここからは穂高岳を一望できる。茶屋もあって、ここでちょっと休憩する。地図を見ると確かにつづら折れを回避できるルートなので便利そうだが、山肌をひたすら縫って走るのでこのつづら折れを我慢して国道沿いを走ったほうがおそらく疲労も時間も少なく済みそうだった。標高1,790mの安房峠から標高1,200mの平湯温泉までまた一気に下る。ちなみにこの安房峠が北アルプスの鞍部でここから先は岐阜県となる。関東住みだと岐阜県に入るとさすがに遠くに来たもんだ。という実感が湧いてくる。ここからは一気に高度を上げて標高1,684mの平湯峠に着くわけだが、登ったり下ったりを繰り返すのだから距離に対しての疲労度は尋常ではない。今はこの峠は安房峠道路でショートカットできるので相当近くなったわけだが、日本の屋根と呼ばれる地域だけあってどこを走っても標高1,000mを割ることが無い。


 「ここで1,700mくらいということはまだあと1,000mも登るの?!」


 今まで体験したことのない高度は期待と不安でいっぱいだ。しかしここまで来ると車とオートバイの台数がかなり増えてきている。道路観光としては一番の目玉ではあるのだが、街中にいるような感じだ。料金所までは時折北アルプスが見える。というくらいで見晴らしがとてもいい。とは言い切れないが着実に高度を上げていく。通行料金は1100円。もっと箆棒に高いのかと思ったが、ビーナスライン全線走破するほうが圧倒的に高いので思ったよりもリーズナブルだ。などと綾と裕子は走りながらインカムで会話していると、突然として森林限界を超えたようで一気に視界が開けた。


 「わぁ!これはすごいー!雲上の人って感じね!すごいすごいー!」


 綾も裕子も大興奮だ。やがて緩やかなつづら折れだが斜度はそこそこある場所に着くと、そこは日本ではないんじゃないか?と錯覚するほど今まで見たことに無い景色が広がっていた。高度を上げるとまさに北アルプスの山の山頂が目の前に聳えている。四ツ岳と呼ばれる山のようだ。このつづら折れを登りきると平原が広がっていた。桔梗が原だ。森林限界を超えているのでハイマツの平原でここからもう乗鞍岳の本峰が見えてきた。が、ここでアクセルを抜いたら裕子のNSRがエンストした。2ストロークは特に気圧の変化に弱いので心なしかパワーが出てきてないのは裕子は感じていたがさすがに標高が2,500mを超えると気圧変化も大きかったようでアイドリングしてくれない。


 「裕子さん大丈夫?!」


 心配した綾のVFRもアイドリングの回転数が下がっててアイドリングできるか怪しくなってきた。二人は路肩にオートバイを止めて、アイドリング調整をしたら治った。正確にはアイドル回転数を上げただけだが、パワーダウンは否めないが走行に不安は無くなった。


 「やー、まさかここまで変化するなんて初体験!」


 令和の今ではインジェクションなので自動調整されてしまうだろうし、何より標高2,400mよりも高い場所にオートバイで行ける場所は存在しない(富士山スカイラインの五合目が2,400m、川上牧丘林道の大弛峠で2,365m)のだから仕方がない。


 アイドルできるようになって進むとなんと渋滞。今日は少ないほうらしく通常の週末だとさきほどのつづら折れあたりから渋滞が出来て畳平駐車場に着けるのはそこから大した距離も無いのに1~2時間くらい掛かるらしい。昭和の観光は気力と体力と財力が本当に必要だ。当時の若者たちのバイタリティは頭を下げずにいられないな。と綾は思った。そこから30分ほどかけて、終点の畳平に着いた。畳平の標高は2,702mである。日本最高標高の道路に今着いたのだが、渋滞を抜けてちょっとした観光駐車場。という景色が2,700mに有るのにも改めてびっくりしてしまうし秘境感を感じるよりも観光地だなぁというのが先に来てしまうが、視線を少し上に上げるとそんなことも忘れてしまうくらい全てが見たことのない景色に圧倒されるし、真夏なのに日陰に入ると少し寒さを感じるし、少し歩くと息切れをしてしまうのでまごうことなく標高2,700mなのだなと体から実感してしまうのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る