第82話 乗鞍高原

 上高地のバスターミナルに戻るともう時間も夕方に差し掛かっていた。涼しいところを選んで走っていたのもあったので、真夏にしては暑くて辛い!という時間もあまりなくやはり夏のツーリングは高原を走るのがベストだなと思う。宿はここからほどない場所に取っているのだが、国道158号線を再び戻って前川渡を曲がって乗鞍高原に向かうのだが、これが右折が出来ない。


 「あれー?綾ちゃん、行きすぎじゃない?」


 裕子がインカムで綾に声を掛ける。


 「いいの。ここは右折できなくてトンネルを抜けた先を転回して左折するから」


 そう、国道158号線の酷道たるやは右折すると交通渋滞を招くので少し広い(といっても本当に少しだけ)ところに転回レーンがあってここで転回して再び上高地方面に向かう形で左折するわけだ。それだけ、急峻な地形を縫うように走る主要国道は無いと思う。


 左折すると、反対車線からはそれなりの交通量だが、高原方面に向かう人はほとんどいない。これから宿に向かうのに山の中からさらに高度をぐんぐんと上げていくわ、幾度ものコーナーを走り、裕子はちょっと不安になるが、突如として避暑地らしい建物が林立する。乗鞍高原だ。夏は夜でも肌寒くなるほど気温が下がるので夕刻に走る高原は都心の秋さながらの気温だ。建物が現われてからもしばらくはどんどん高度を上げて行き、やがて十字路にぶつかった。上高地乗鞍スーパー林道との交差点だ。このあたりに宿も多く、あの女子高生が南極に行くアニメで主人公たちが訓練をしたときに泊まった宿もこのあたりだ。


 「ついたよー!!」


 今日の走行距離はほぼ400kmだ。1日で400kmを走るのはそんなに大した距離ではないかもしれないが、寄り道をしたり峠道をメインに走るとやはり疲労度は高いが、その分達成感はある。明るいうちに宿に着けた。


 「綾ちゃん、お疲れ様ー!やったー!」


 宿に入るなりまず温泉。二人はライディングウェアを脱いで、軽装になったが部屋にいる間に薄着過ぎて寒いと感じるくらいの気温だ。真夏とはいえここまで寒いとは思わなかった。この高原の標高は1450mもある。ちょっとした街がこのくらいの高度にあるというのはおそらく数えるくらいだと思う。白樺湖周辺がちょうど同じくらいの高度で日本一標高が高い”温泉街”は万座温泉の標高1800mなのでなかなか予想外な気温だ。温泉は白濁した硫黄泉でまさに温泉らしい泉質だが、宿の主人に聞いてみると源泉は少し別のところにありパイプで引いてるそうだ。温泉のあとは宿の夕食。長野・岐阜県の名物を詰め合わせたようなメニューだ。馬肉の刺身、朴葉味噌、山菜の天ぷら、蕎麦などバランスの良い夕食で量もちょうどいい。温泉街によってはこれでもか!という量を出してくる宿もあるが、食べきれないときの罪悪感は何ともいえないので、このくらいの量が有りがたい。


 夕食を食べた後はもう日も暮れているので宿でだらだらするだけだ。宿で缶ビールを買って二人で晩酌をする。


 「そういえば、綾ちゃんと一緒に生活してもう1か月になるねー。こうして一緒に走ってるのも不思議」


 初夏の昭和63年の新潟で陽子さんから預かった手紙を渡した時が初対面だが、あれから1か月だが濃密な時間をともにしていると1年くらい一緒にいるような気がしてくるものだ。二人は明日の予定をグーグルマップで調べていた。明日は上高地乗鞍スーパー林道のB線とC線を走って安房峠を抜けて乗鞍スカイラインを走ることにしたが、C線は通行止めになっていたのでさらに調べてみる。C線は白骨温泉から中ノ湯の区間だが、2003年に雪崩に伴う橋梁等の流失により通行止めになり令和になっても通行止めのままらしいので昭和63年なら走れることも確認して俄然楽しみになってきた。


 裕子はさっさと寝てしまった。ほろ酔いの綾は窓を開けて澄み切った空気を浴びて空を見ると空が近いのではないかと錯覚を覚えるくらいの満天の星空が讃えており、しばらく眺めていたが酔いが醒める寒さに耐えかねて窓を閉めて寝ることにした。

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