第64話 田園高速からの新潟駅
越後川口SAで丁度お昼前だったので昼食をとる綾。ここから新潟駅まではもう2時間は掛からないのであとは用事に向けて走るだけだ。ほっとしたからか疲れもどっと出てきたが、そうだ!今日は土曜日だ!と、かろうじて気力を取り直して残った体力でVTZ250に跨り走り出す。
長岡を過ぎると新潟平野に入り、魚沼平野で見た田園風景の際立った緑の絨毯を走った規模とは比べ物にならない広大な田んぼが広がっていた。
「わぁ、これはすごい!この時期ならではね。左に見えるのは弥彦山かしら?」
三条燕ICを越えてからが田園風景の本番といった感じでほぼ直線と田んぼが延々続く高速道路だ。左手に見える浮島のような山が弥彦山。弥彦山だけは変わらず左に見えていて右手にはかなり遠くに五頭山らしき山塊が見えるがかなり遠そうだ。黒埼を越えたあたりで右手に新幹線の高架が並び始める。そろそろ新潟市街が近そうだ。上越新幹線がものすごいスピードで綾のVTZ250を追い抜いていく。高速道路で100km/h近く走っていてもなお、150km/h以上の差があるのであっという間に抜かれてしまう。新幹線と並走区間と言うと岐阜県の木曽川のあたりなんかが有名であるが、抜かれる同じ進路方向だとなんとなくなにくそ!とか思ってしまうがあまりの速度差に便利だなー。帰りはアレに乗りたい。なんて思ってしまうのはツーリングライダーならあるかもしれない。
そうこう考えているうちに関越自動車道から気づいたら北陸道に変わっていた高速の終点に差し掛かる。料金所で支払いをして街中を走る。と思いきや新潟の国道8号線はほぼ高速のようなバイパスだ。バイパスをちょっと走ったところで新潟駅に行かなければならないので降りることにした。
バイパスから新潟駅まではあっという間の到着だった。オートバイを止めゲームセンターのある場所を探す。グーグルではどうやら見つからないので令和5年にはもう存在しないゲームセンターなんだと理解する。ゲームセンターは昭和から平成10年くらいまではかなりの数と市場を誇っていたが、2000年代に入ってコンシューマゲーム機の性能とゲームセンターのゲーム機の性能はほぼ互角になったり、ネットワークゲームの台頭で、ゲームセンターでゲームをするという意義がだいぶ薄れ始めたころだ。昭和63年だとまだ対戦格闘ゲームというジャンルも無くどちらかというとまだ体感ゲーム筐体が客寄せが出来ていた時代だ。ちなみに対戦格闘ゲームはSNKが餓狼伝説、カプコンがストリートファイターⅡなど1991年に登場で一気に塗り替わった市場で、体感ゲームとはセガがハングオンやスペースハリアーなど1985年に投入を始めた大型筐体且つ可動機構を備えた筐体のこと。
話がずれてしまったが、こうなるとどこにあるのかわからないが、陽子さんからもらった手紙に住所が書いてあったのでこれならグールルマップで検索すれば位置はわかるはずというか住所検索という初歩的なことをすっかり忘れて焦ってしまった。
「あー、最後の最後でポカするところだったし焦ったー。なるほど…駅の反対側だった!!」
新潟駅もご多分に漏れず、反対側に出るには結構な遠回りをしないとならない街だった。沼津も駅の反対側に行くには便利な道というのが無狭小なガードをくぐらなければ反対側に行けないが新潟の場合はそれ自体が結構遠かった。
「万代…万代。。。」
反対側の方がかなり栄えてて道路も圧倒的に広かった。こっちが新潟の本来の街でさらに県庁などは川向うにあるらしい。とりあえずオートバイを止められる場所を探す綾だった。
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