第61話 本来の目的を思い出す
越後湯沢の街から少し外れた小高い場所に泊まる宿があった。ここもやはり文豪が逗留したということで有名な宿だ。有名な文豪が泊まる宿連続で綾はちょっとしたミーハーである。とはいえ、そういった歴史のある宿には何かいい事があるわけで図らずともそういう期待と安心感はある。ここもやはり見晴らしのいい宿で越後湯沢の街を一望できる位置にある。遠望できる部屋に泊まれたのでまずは今日の疲れを取りながら眺めを楽しむことにした。明るい時間にチェックインしてよかったと思う。日が傾いて来て黄昏時になると街は赤く燃え始め、やがて星の煌めきに変わるのを眺めていた。
ところでこの宿は文豪の資料館があって、ここでは作品の魅力や歴史について解説してくれるという。旅館と思えないサービスが付いているのがとてもよい。夕食はへぎそばを食べてしまったが、量が多いという宿でもないのでなんとか食べられそうだ。今日だけは量より質の夕食で本当によかったと思っているが、この後の温泉で体重計に乗るのが少し怖くなった。
昭和63年だと近くにあるGALAスキー場は影も形もなく、このあたりは本当にひっそりしているがGALAが出来てからはこの宿に繋がる道路もスキー場と街のアクセス道路となってスキー場に近い宿なので多分この時代と今では多少環境が違ってるのだろう。初夏の夜はカエルの声と虫の声とそよ風の音で綾に眠りを誘う。
眠くなっては来たが明日の予定をどうするか考えなければならない。明日は朝早く出て魚沼スカイラインという道路が気になったのでここを走って六日町から関越自動車道・北陸自動車道を経由して、新潟西ICを目指せば新潟駅に明るい時間には間に合うだろう。そうそう、このツーリングの最大の目的は新潟にあるとあるゲームセンターの店長である「玉澤裕子」さんに会って手紙を渡すことだった。
本来の予定と明日の大凡の行程を確認した綾は今日通った国道17号線について調べたのだが、やはり二居峡谷については実に興味深い記事がネットに溢れていて、その筋の人には旧道の境橋の作りに感嘆する人が多いようだ。写真も見つかってその頃の国道17号線はまさに酷道のほうで、舗装もされておらず、崖を縫うように車が通ってる写真だった。白崩れと赤崩れといういわゆる脆弱な地形が後にこの旧道を崩壊に導いたようで、二居トンネル建設の回顧録の地図にもはっきり白くずれ、赤くずれと記載されていた。なるほど、人が踏み入れられない空白地帯なわけだ。そういえば、空白地帯と言えば南信の国道152号線の青崩峠もついにトンネルが繋がって未開通国道もついに繋がる時代が来たが、今日通った三国峠の少し西にある国道353号線の三国~四万温泉や国道291号線の谷川岳一ノ倉沢~南魚沼市清水の不通区間はおそらくこのまま二度と繋がることはないのだろうとぼんやり考えているうちに夢の中に落ちている綾だった。
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