第58話 国境の長いトンネルを抜けると天空の国だった
国道17号線を北上すると左手に湖が見える。猿ヶ京温泉にある赤谷湖だ。6月も上旬に入ると正直暑い。草津にいた時はちょうどいい気温だったが、長野原からここ猿ヶ京温泉あたりまでは暑い。といった感じで少しでも高度を上げたいところだが、逆に日が暮れ始めると寒いのも6月だ。新緑から夏に入るこの時期は晴れさえすれば最高のツーリング日和といったところだが、街中は暑い。
「さて、クロソイド曲線とはどんなものか教えてもらおうか。」
先ほども書いているが発祥の道路なだけでそこかしこにクロソイド曲線は用いられてるので、特段変わりはないはずなのだが、それでも気になり始めるとその気になっちゃうものである。猿ヶ京温泉を抜けて猿ヶ京スノーステーションを通過するといよいよその曲線が現われはじめる。確かに令和の今だと一般国道でも高速道路と見まがうような高規格道路が無料であちこち走れる時代だが、この時代はまだまだそういった道路は有料道路なのでそう考えると無料国道としては規格が高いようにも感じられる。峠道の国道をそこそこのペースでクルージングしても確かにコーナリングで苦しくない。が、高度が上がるにつれてここは違うだろ。というコーナーに変わっていく。
「それにしてもこんな山の中なのに交通量がやけに多いわね。」
それもそう、関越自動車道の関越トンネルが出来てもまだ対面通行だし、何より危険物積載車両は関越トンネルを走れないので、ここが群馬と新潟を繋ぐ大動脈に変わりは無かったのだ。見渡すとあからさまに山岳道路なのにそこそこの緩い曲線で標高も1000mを越える場所まで上り詰めて行くわけなので、かなりの改良が為された道路である。それなのに登り切った国境の三国トンネルは狭小なトンネルで大型車がすれ違うことは出来てもほぼ隙間が無くなるレベルの狭さだ。
「ひえぇぇ、このトンネルは怖い!」
1985年まではどんな車もこの狭小な国境のトンネルを抜けなければ群馬と新潟を跨ぐことができなかったわけで、それまでの新潟県は想像以上に東京からは遠い場所だったに違いない。川端康成の「雪国」の冒頭の国境の長いトンネルを抜けると雪国だった。という情緒に浸るようなシチュエーションではなく、積雪期は猿ヶ京から先は雪国でその境目として三国トンネルがあるとは言いづらい、そんなトンネルだ。そんなトンネルが改良されたのが令和4年3月というものすごい最近というのも驚きだがこの谷川連峰の地質というのは厄介で、三国峠に関しては酸性の湧き水が湧いてきて結果擁壁を厚くすることで対策した結果洞門の幅が狭くなってしまった。というのが歴史である。
1.2kmの長いトンネルを抜けるとそれまでクロソイド曲線でぐんぐん上げていた群馬県側とは打って変わって突如長い直線が現われてさながら横川から軽井沢に登ったような感覚を覚える。鉄道が国境の長いトンネルを抜けると雪国だったのに対して道路は天空の街に向かうのである。直線的な道路を緩やかな斜度で下った先に突如現れるマンション群。その中でひときわ横に長い白い巨壁とも思える苗場プリンスホテルが聳えていた。天空の街、苗場スキー場だ。
「わぁ、スキー場だから確かに雪国なんだろうけどそれよりもこの山の中に突如現れる街は結構衝撃的よね。」
シーズンオフのスキー場はとても静かだが、バブル時期真っただ中のこの時代は真夏になると大学生の合宿所として利用されるので、オフシーズンはテニスコートや武道場などが作られており、夏に向けて準備しているので閑散としているようでも準備をしている作業員がいたりするのでもの悲しさはさほど感じられなかった。苗場のスキー街区は本当に狭い部分でちょっとした山の中にある比較的平坦な盆地に作られているのでまるで箱庭のようで、箱庭から出てしまうとあっという間に緑に覆われた山奥そのもので火打峠を境にまた自然に還ってしまうのだが、直線的な道路はこの先の二居温泉まで続くので本当はこのまま高原の中を走って新潟市街の近くまで行ってしまうんじゃないかと錯覚を覚える綾だった。
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