第54話 グラントハイツから関越道へ
平日をそつなくこなし金曜の朝になった綾。休日の朝にあの現象が起きるが今のところ土曜日と日曜日しか体験できていないのでもしかしたら平日の今日は外に出たら令和のままかもしれないし、そもそも陽子さんは新潟のとあるゲームセンターの店長をしている「玉澤裕子」さんに会いに行くのに今更ながら普通に考えたら令和の「玉澤裕子」さんのことに決まってるはずだけど、昭和だったら会えなかったことになるかもしれないが、意味深な笑みがきになって仕方がない。まずはドアを開けるところからだ。
「…うーん、これは多分昭和ね。」
令和に戻ろうにもこれは綾がツーリングと意を決すればそのバイクが活躍した当時に行ってしまうようだ。これじゃ、新車を買わない限り今の時代を走れないってことかな?と思ってみたりもしたが今はとりあえずこのまま向かっていくしかないだろう。
そそくさと準備の確認をしてVTZ250に跨りエンジンを掛ける。昭和の街と言っても東京は思ったほど令和と大差はない。初めて昭和を走った時もサービスエリアでようやく気付いたくらいだ。綾が特段に鈍いところがあるとはいえ、大きく変わるものは特定の場所なので気にしなければ多分読者もタイムリープしても気づかない場所もあるかもしれない。
京葉道路から首都高小松川線、池袋線を経て北池袋で降りる。北池袋の先の熊野町JCTは昭和と令和で大きく変わる。中央環状線、殊に山手トンネルも出来て交通量が倍増しているジャンクションとなっているが、昭和では高松出入口の導入路でしかなかった。
首都高を降りるとR254を北上する。この辺りは特に代わり映えしないところだろう。昔も今も車の往来が多い道路だ。練馬駐屯地が見えたあたりで左折するが令和は環八なのだが、この時代でも環八ではあるがどうも途中で切れているらしい。話は変わるがこのあたりも戦後直後とは大きく変わった街で、光が丘団地は元は米軍のグラントハイツという進駐軍の居住区として接収された場所の跡地で東武東上線の上板橋から東武啓志線という支線がグラントハイツまで伸びていた。その啓志線も元は陸軍第一造兵廠(現在の陸上自衛隊練馬駐屯地)まで軍用線として既に引かれていた線路でそれを戦後延伸したのが啓志線で啓志線の名称は、グラントハイツ建設工事総責任者のヒュー・ボイド・ケイシー中尉またはその父親である、進駐軍の工兵部門トップであったヒュー・ジョン・ケイシー少将の名前から取ったもので、グラントハイツの前は成増陸軍飛行場でこれを接収して進駐軍の居住区と池袋を30分間隔且つノンストップで結んでいたというのだからなんとも豪華な居住区である。1959年に啓志線は廃止されたが最終的に1973年まで全面返還されてないので思ったよりも最近までグラントハイツだったが、啓志線の廃線跡などはほぼ跡形もないようだ。
話を戻して、途切れる環八を進むと突然高規格の道路は途切れて畑と住宅地が半々くらいのやや長閑な景色が広がる狭い道路を練馬IC付近の谷原(三軒寺交差点)まで進んでいく。こんなルートか目白通りの渋滞を我慢して練馬ICまで行くしか都心からのアクセスが無かったのが昭和の関越自動車道なのであるが目白通りから新潟へ直アクセスというと噂レベルではあるが田中角栄の目白御殿からまっすぐなのも偶然とは言えなさそうである。
「ふー。高速の入り口にたどり着くまででも十分もう疲れたわ。」
ようやく練馬ICから関越自動車道に入る。料金所を越えていよいよ新潟へ向かう。という実感が湧いたころには疲れてきたので三芳PAで休憩することにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます