再び昭和63年へ

第53話  昭和63年の関越自動車道

 バイク屋「ようこの」の陽子さんから新潟にVTZ250で行って人に会ってこい。という謎の指令が出た綾は帰宅して早速、昭和63年の高速道路の様子の予習を始めた。それにしても陽子さんのあの不敵な笑みというか何かを知っているあの顔は何だったのだろうか。きっとこの旅でその謎ももしかしたら解けるのではないかという予感を抱きながらも人の金でツーリングできるのは最高じゃないか?などと、喜びも感じていた。


 「さて、関越道には外環経由でいけるのかなー?んんん?外環が無い。。。」


 そう、昭和63年の関越道への最短路は首都高北池袋ランプまで乗って、R254を経て練馬駐屯地あたりでまだ工事中の東京都道311号線=環状8号線から北原通りを使って練馬ICに向かうというルートしかなかった。東京から地方に向かう高速道路は今でこそ何らかの自動車専用道路経由で向かえるがこの時代は地図を見渡すと、関越道は練馬で切れていて、東北道はようやく首都高環状2号がつながった翌年というくらいまだ全部がつながるにはもうちょっと先という時代だった。


 「中途半端だから練馬ICまで下道で行って…あとはそのまま新潟黒埼ICまでつながってるのね。よかったー。せっかくだから1日早く出て寄り道してみよう。」


 CB72で昭和37年の悪路の箱根・沼津を走ったので余裕があるのだろう。昭和63年ともなれば想像を絶する悪路に出会うこともおそらくないと踏んだ綾だった。


 地図を新潟方面に目をやると草津が見えた。長距離ツーリングになるからせっかくだから温泉に入ろうと楽しみを少しでも増やしておきたいし何より志賀草津道路は見晴らしが最高なので寄り道するならやはり景色がいい場所がいいものである。草津までの道のりを見ると今とさほど変わらないかと思ったらまだ八ッ場ダムが着工すら行われていないのでR145で吾妻峡も通れそうだが、長野原(現在は長野原草津口)から草津までのR292が草津道路として有料道路だった。無料区間を走るには六合村から上がる旧道を通るしかない。


「うーん、この時代はどこもかしこもバイパス的な道路は有料道路なのね。。。」


 1日早く出発するとなると金曜日なのでまだ平日が3日もあるので金曜を休むための方策を練りながら夢の中に落ちるのだった。

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