第46話 沼津港に向かいたいのだが
現在の国道414号線を北上すると左側に沼津御用邸が見える。今は記念公園となって一般にも開放されており、観光名所の一つとなっているが、この時代はまだ現役だったので入ることはできない。一般開放されるのは1969年のことだ。
街中に入ると時間もあってか車の往来も多くなってきた。この令和時代になってもほとんど道路の線形に変化がないこの辺りはようやく沼津アルプストンネル。と呼ばれる新道が出来たが、まだ計画半ばなので終点まで行っても中途半端な場所で終わるので慢性渋滞の道路。この時代にしては混んでると思うのでこれは半世紀経っても解消されないとはだれも思わないかもしれない。
御用邸を抜けると市街地から一面の畑に変わった。沼津と言えば港町。というイメージだが、我入道と下香貫の間は圧倒的に畑優勢の景色で近くに港があるとはちょっと思えない雰囲気で綾はちょっと拍子抜けな気分だった。令和の今だと静浦からはひたすら住宅と郊外店舗が沼津駅まで続いているイメージが圧倒していたからこんな長閑な景色が広がってるとは思わなかった。
港の景色を見ようと走ってる目線で左側に狩野川が流れてるのだが一向に橋が出てこない。今なら沼津港に向かう最短路は港大橋を越えるとすぐに沼津港だが、港大橋の開通は1968年供用開始なのでこれまたまだ出来ていない。結局よくわからない道路を走るなら北上して三園橋まで来てようやく狩野川を越えることができた。これは不便である。
国道1号線、現在の静岡県道380号線がクロスする三園橋交差点で併用軌道が見えた。伊豆箱根鉄道軌道線だ!綾はちょっと興奮しちゃったけどどうも走ってる気配がない。これは後でわかることだが、今は沼津港に向かいたいので左折して富士方面に向かうと併用軌道は右折して駅前に向かう通りを左折すると上土に出た。あの場所だ。令和の今ならこのまま南下すると沼津港にさくっと出られるが、そうは問屋が卸さないようで、どん詰まりになったので右折して、沼津港線の踏切まで来てしまった。沼津港線とは沼津港まで貨物線として鉄道が敷かれており、蛇松線とも呼ばれてる線路だ。
「あちゃー。行きすぎちゃったかな?」
さすがに令和のグーグルマップでは全然道路が違ってて役に立たないし、持っている昭和の地図は残念ながら沼津まで網羅していないのでさっぱわからないと思ったのだが、この時代の地図は近辺の主要都市のみ地図が載っていたりするので、何も何も見ないよりはましだ。どうやら停車したすぐ横が小学校だったので自分の位置もわかりやすかったので沼津港まで行く道順はおのずとわかりやすかった。
「そうか、沼津港線があったのはこういうことかー。道路が全然整備されてない(汗)」
港から物資を運ぶには鉄道が圧倒的に有利だったから利用価値があったし、モータリゼーション化=港大橋の完成でトラック輸送がメインになり、1974年に廃止となったのだが、このころは橋も無ければ道路も整備されてなかった。
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