第44話 日曜の朝
下道で千葉から沼津の内浦まで走ったのでさすがに疲れてしまったようで早い時間に落ちてしまったようだ。目が覚めたら朝の6時だった。8時間は熟睡しただろうか。夢の中では令和時代の夢を見ていたせいか、目覚めても令和の気分だったが見渡してもいまいちわからないくらいの田舎さだったが、日ももう上がっており、歩いて内浦三津を散策する。内浦海水浴場に降りると左に松濤館の石垣が有る。今は岸壁になっているが、このころは2階建ての木造建築であった。藁ぶき屋根もまだ散見され、道路標識や構築物も今のものとは違っている。まぎれもなく令和ではないのが理解できる景色だ。
ちなみに昭和30年代後半はいわゆる高度経済成長時代(高度経済成長期は、1955年~1973年までの19年間)の初期時代なので東京都心や地方でも鉄道駅周辺は変貌を遂げ始めているが、ちょっと外れた場所に行くとまだ高度経済成長の恩恵を受けていない時代である。箱根のモータリゼーション元年ともいえる年なので自家用車で旅行という時代の幕開けなのでまだまだ戦後の香りは地方都市はようやく払拭し始める時期なのだろう。
幸いなことに日曜も天気はいいようである。淡島の右から富士山が顔を出している。富士山はいつの時代も本当に変わらないランドマークでどこか安心できる存在だった。
朝食を摂って、早々にチェックアウトをする。女将さんがやってきて一言声を掛けてくれた。
「気を付けてね。みかんを本当はあげたかったんだけど、時期じゃないからこれでも食べてね!あとお茶を忘れていた水筒に入れておいたよ。」
おにぎりを持たせてもらった。ありがたい。お昼になったらどこかで食べようと思ったら、部屋に忘れていたサーモボトルにお茶も入れてくれていたようだ。この時代にステンレスサーモボトルの存在を不思議に思わなかった女将さんはちょっと天然系なのかもしれない。令和になってもこの女将さんは健在だろうかとちょっと気になった。もう一度会いたいなと思う。
CB72を半日ぶりに火を入れて暖機をする。地図を見ながら沼津方面に向かうルートを確認するが、この時代の地図はなんというかシンプルな地図なので、情報量がいまいち足らない。何が足りないかというと、今どきのグーグルマップのように縮尺を変えることができないのは当たり前として、山間部の情報密度はほとんどない感じだ。等高線が無いからだと気づくがそれ以上に書き込む情報も無いというのもあるだろう。いずれにしても何もないよりはましだ。という感じ。国道414号線は昭和57年に制定された道路なのでこの辺りは国道不毛地帯なのが前述のまだ戦後の香りを漂わせる一因でもあろう。口野から江浦、静浦を経由して沼津市街に至る道の一択なので迷うことは無いのだが、心なしか道路の曲折が多い気がする。
これから折り返しの復路の出発である。女将さんに見送られて沼津に向けて出発した。
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