第26話 うなぎ
編集部のみなさんとうなぎ屋に向かう綾だった。社員の定時勤務時間後だが、日没前というこの時期は何か得をしたような気分になる。尤も、綾は今日は遅くまでアルバイトすることになると思っていたのでなおのことだ。この会社のアルバイトは通常のアルバイトとはちょっと雇用形態が違っていて日勤でもらうのでその雇用管理は比較的緩くて、日勤と言っても今回みたいに仕事が無くなれば終わりにしてもいいというものだ。ちなみに社員は労働組合にほぼ100%加入してて、その労働組合の成果がアルバイトにも直接影響が出るくらいでこの春闘でアルバイトの賃金も上がった。実に学生にはありがたいアルバイトだ。
うなぎ屋というと老舗風の昔ながらの建物で営業を営んでいる店は都心でも意外に多くて神保町でも「今荘」や「かねいち」は昔ながらの建物のままだ。今日行くのは「なかや蒲焼店」。ちょっと前まではすずらん通りの先のさくら通りに面したビルで営業を営んでいたが、今は日本出版クラブビルというどでかくきれいなビルに移転した。ここのハーフセットは蒲焼と白焼きを同時に出してくれる。という画期的なメニューだ。蒲焼は関東風で蒸しているがふわっとしつつもしっかり歯ごたえがある。白焼きはかりっと焼かれておりわさび醤油で食べるとうなぎの味がはっきり主張されて酒のアテとしては極上と思う。
今日は春闘が終わったのでその打ち上げ的なものでもあるらしい。普通の会社なら社員だけ。という感じだがこの会社はアルバイトも同じように労働組合の手伝いなども業務の一環で行えるのでご相伴に預かれる身でもあるのであった。
編集長は元々は週刊情報誌の編集者だったり、仲良くしてくれている白髪交じりの中年男性の編集者は漫画雑誌の編集者だったらしい。どうしてこの辞典の編集部に来たのかはあまり聞かないほうがいいだろう。
編集者はやはり博識な面々なので話を聞いていると本当に面白い。特に辞典編集部は若手がいない編集部だが、培った経験と知識としては脂が乗った時期だと思う。人によっては大トロレベルの脂に感じるかもしれないが、綾の嗜好からすれば歴史の脂は大トロこそうまい。と思っているのでまさに天国のような職場だった。年齢的にバブル時代初期である昭和62年くらいから平成初期に入社した面々なのでいわゆる戦後すぐの頃に入社した社員を知ってる人たちである。また聞きではあるにしても当時の出版社や神保町の様子とかを知ることが出来た。当時は御大層なビルではなく木造の建物で編集するにも夏は暑くて金盥に氷水を入れて編集していたとか本当らしい。入社当時は今でいう一ツ橋センタービルのあたりにその残骸みたいな建物がまだ使われていたそうだ。昨日綾が見た景色はかなり近い時期なのでなんとなくキッチン山田や錦友館の話とかしてしまったら前乗りになってみんな話しかけてくる。青春時代とまではいかないが懐かしい時代でよく知る場所の話ならみんな率先して話し出すのは記憶が当時の熱気を呼び起こさせるからだろう。
「いやいや、綾ちゃん、そんなネタよく知ってるねー!誰かに聞いたの?」
編集長が興味津々から怪しい目になって聞いてくる。さすがにこれ以上詳しい話をし出したら本気で年齢自体を怪しまれるレベルになるので、人づてで聞いたんですよ。と適当にごまかした。
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