第15話 ホテル浦島
晴海通り(はるみどおり)は、東京都千代田区の祝田橋交差点から江東区の東雲交差点へ至る道路の通称で、綾が向かってる方向からだと、晴海三丁目で右折してあとはそのまま西進して終わる。
晴海三丁目の左側にホテル浦島が聳え立っていた。ホテル浦島とはコミケがまだ晴海で開催されていた頃、当時遠方から来る参加者が宿泊する憩いの場である。綾は高校生の頃からコミケに参加していたが、当然ながら開催地は東京ビッグサイトである。そのビッグサイトも東京オリンピックで開催が危ぶまれたり、コロナで中止になったりとある意味激動の時代を見て変化を知ってるので、歴史好きとしては当然晴海時代のこともネット情報や文献やツイッターの昔話をしてるツイートなどでなんとなく知っていた。ここを通って当時はどんな喧騒が開催時は為されていたんだろう。とドキドキしながら通過する。
「ここを右折せずにまっすぐ行けば、あの!晴海会場を見ることができるけど、どうせならコミケ開催日に見に行きたいわね。」
楽しみは後日に取っておくことにして右折をする。西進すると勝鬨橋がある。ここは東京で唯一の跳ね橋である。実際に稼働したのは1970年なので綾が渡ってるこの時点でも20年近く開いてないということになるので、現在とさほど違いはないようだが、右を向けば佃島が有るのだがタワーマンションは無かった。
ほどなく、銀座に入る。晴海時代のコミケは東京から都バスに乗っていく人が多かったと思うが、東京ビッグサイトとは違ってアクセスのバックボーンがどれも貧弱だったからバイクで来て会場周辺に駐輪したりするのはわかるとして、銀座あたりから歩いて会場に向かった人もいた話を聞いていたので思った以上に距離があるので昔のコミケ参加者は欲望のためなら体力消費も交通の不便さも惜しまなかったんだなと感心したし、数寄屋橋交差点でバイクに積載した自分で作ったエロ同人誌をばら撒いてしまった話も聞いていたからさぞ焦ったことだろうと思う。
ところで数寄屋橋交差点であるが、この時点でも橋は存在しない。東京高速道路を作るときに堀を埋め立ててしまったのが1958年なので昭和の終わりではほとんど今と変わらない景色だった。しいて言えば広告デザインとか街の設備と行き交う車が少々古臭いところくらいだろう。
有楽町のガードを越えたあたりで秋葉原に行くには西に行き過ぎてしまったことに綾は気づいた。
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