第2話

順と順一


すれ違う喧騒の中、僕は空をみて立ち尽くしていた。

桜舞う通学路で邪魔だよ、と肩や背中を押されながら、目の前がぐらっと揺れ、地面へと膝が落ちる。

「大丈夫?ほらいくよ!君はいつも変わらないね!」

あぁ、と手を伸ばした途端

「こーら、空見過ぎ、後ろだってば」

そう言って、背中から両腕を伸ばし僕の身体を優しく抱きしめる。僕はその手を掴み、もう一度空を見上げると、肌寒い空の下、優しく照らすその光はとても温かった。

「ミチオ…」

「なんだい」

「君は、あの太陽よりあったかいんだね…」


宮城県、北部の田舎育ちの僕は小学校の頃からのいじめを引き続き中学でも継続することとなった。

担任の先生もおかしいなと思い、話を聞いてくれたのは一度きり。それ以降は僕と目すら合わせてくれなくなった。

唯一、隣のクラスの担任の国語の伊藤先生だけが、僕とミチオの存在を知っていた。

その先生がいつも言っていた言葉は

「木こりくん…一体君は、何を味方につけてるんだい?」

その言葉を聞いた時、僕とミチオの背筋がゾクゾクっと震える。

ちょっとこっちへ来なさいと手を上下に振られる。

「隠しても無駄だよ…君はいい友達を見つけたようだね。」

側から見れば、何もいない場所に伊藤先生は手のひらを左右に動かしている。

僕から見れば、ミチオのサラサラとした髪を左右に撫でている。

その時のミチオの顔は、歯を食いしばり、顔は真っ赤になっていた。

「なんだミチオ…照れてんのか?」


「ミチオくんっていうんだ!そうか、ミチオくんかー宜しくね!」

しまった…思わず名前を言ってしまった。

言わないって約束してたのに…

「木こり…助けてよ…」

ぐりぐりと、伊藤先生に抱きしめられている、ミチオを見て、僕はおかしい感情と、嬉しい感情と、苦しい感情が混ざって、爆笑で涙が出ていた。

すると先生が手を止め、こちらを見つめる。

「君たちがここまで深いとは、木こりくん、ミチオ君を大切にしてあげてね!、2人は切ってもきれない縁で繋がっている。」


「縁…」

そう思うと、いつからミチオと一緒だっただろうか。

母は僕のことを異常だと言う目で見ることは無くなった。

むしろ、ミチオの分まで布団やご飯まで用意してくれるようになった。随分と、疲れ果てていた体も、最近は元気になってきているようだ…

一体ミチオはどこから来て、こんなにも周りに見えない存在と、うまく行ってるのだろうか。


「木こり!」

振り返ると、いつもの笑顔がそこにあった。

「この人は悪い人じゃなさそうだし、教室に戻ろう!」

そう言って手を差し伸べてくる姿を振り払い後ろから抱きしめる。

「僕たちの手を繋ぐってこうじゃない?」


「やっぱり木こりはあったかいや!それじゃ、行こうか」

と2人で振り返り、伊藤先生に頭を下げると、先生の顔は涙を浮かべて、やがてそれは頬を伝った。

「先生?」

「いやいや、君たちを見ていると、懐かしくてね…こんなの、生徒に見せる顔じゃないな…」

「先生!いいのさ、僕はわかっていたよ!頭を撫でられた時からね」


先生はその場に倒れ込んでわんわん泣いていた。

その姿を見つめてミチオが口を開く

「拠り所の証だね…」

その時はまだ、僕はその理由を知らなかった。



とある「〇〇研修」という行事の名の下に、1泊2日で東北のどこかに行った時のこと。

相変わらずバスの中では誰にも相手にされず、ひたすらミチオと外を眺めていた。

走れど走れど、山や田んぼが広がっているだけで、地元となんら変わりない光景が広がっていたが、ミチオと初めて見る景色はどこか、幸せに感じていた。


目的地に到着すると、旅のしおりに書いてあったのは地方の舞踊体験。

施設の案内人の人がこちらに手を振っている。

全員がバスから降りたことを確認しながら、僕も席を立つ、座席に囲まれた狭い通路を通り、運転手さんに一言お礼を告げ、その場を後にした。

「お兄ちゃん…気をつけなよ」

その時、そう言われた気がして、振り返ったが、バスは扉を閉めて、走り去ってしまった。

会場に入ると、更衣室に案内されたが、具合が悪いと言って、制服のまま会場の隅でミチオと2人で見学することにした。

途中担任の先生が、

「皆んながやる時は君もやらなければならない、団体行動を乱さないでくれるかな。」

と言われ、話しかけてきたのはいつぶりだろうかと、気合の入った赤いジャージ姿でストレッチをしている担任がこちらを死んだような目で見る。


「あんたは木こりくんがどんな立場に置かれているか、考えたことはあるかい?皆、考えたことがないから、君も考えない。気にもしない。そうだろう?私は膝が悪いもんで…あいたたた…よいしょ…隣失礼するよ。」

そう言いながら、いつもと変わらないワイシャツ姿で隣に腰を下ろしてくれたのは伊藤先生だった。

私も昔はね…そう言って口を開く。

「今の木こりくんみたいに、誰からも相手にされない存在だったんだよ。その時に、純一と出会ったのが始まりだった。」


躍動感のある音と、皆んなが一つになって跳ねたり、左右に移動したりする振動が、床を伝わり、体へと響いてくる。


「純一…?」

僕がそう言うと

「それが、君の拠り所の名か…」

とミチオが言った。


そうだよと、伊藤先生は頷く。

「誰しもがそれと出会えるわけじゃないんだけどね、今までに何人か純一のような存在を見たことがある。皆、口を揃えて言うんだ。自分の心はいつか晴れる日が来る、とね…おっといけない、話が長くなりそうだ。ここから先は木こりとミチオが2人で歩むものだから…」

どこか憂鬱な顔を浮かべながら、伊藤先生はどこか遠くを見ているようだった。


「違うよ!」

ミチオが口を開く

「今まで君が見た他の拠り所とは違うんだよ。僕はきこりと一緒に入れるだけでいいんだ!木こりと出会えただけで、とても幸せなんだ!だからね、純一もきっと……」

ミチオは伊藤先生の頭へ右手を伸ばし、何度かポンポンと撫でる。

「大丈夫だよ。今もそばにいるから!君が1番よく知っているくせに…それなのにいつも僕たちを見ると悲しい顔をして、少しは笑ってよ!」

伊藤先生はふんっと口元を歪めることしかできなかった。


体験学習を終え、先生達と生徒はそれぞれ更衣室へ向かうと、頭からは白い湯気のようなものが出ている。

中にはハイタッチをしたり肩を組んでるものもいたが、誰一人として、僕と目を合わせる人はいなかった。

皆んなが一つになるってどう言う感じなんだろう。

僕はその輪を乱さないようにして、1人になってしまった。

信用なんて、脆いものなのだろうか。取り返せないものなのだろうか。

そう思っていると、腕を掴まれる。

「お疲れ様!今日は来てくれてありがとう!…そうだ、これ落としたの君かい?」

先程、踊りの振り付けをみんなに教えていた、高身長で目鼻立ちが整う笑顔の男性がハンカチのようなものを差し出す。

「違います。」

そう答えると、両腕を強く握られる。

「君…可愛いね」

「はい?」

「なんだかこう、君をみていると抱きしめたくなる。ねぇ、こんなに手もあったかくて、気に入っちゃったな〜」

握る腕は強さを増し、抵抗ができない。

ぎゅっと強く抱きしめられ、私の体を舐めるように触り、鼻息がどんどん荒くなっていく様子が分かる。

「やめろよ」

ミチオがそう言いながら、目つきがギロリと変わり、しっぽのようなものが生る。

どうやら彼にはミチオのことが見えていないようだ。

「やめてください…ぐっ」

強く肩を押さえつけられ、声もうまく出ない。彼の下半身が自分の下半身に押し付けられ、とても不快な感じがする。

ゴリッとミチオが頭に噛みつきギシギシと歯を鳴らすのが見える。

こんなミチオの顔を見たのは2度目だった。

「離れろ離れろ離れろ離れろ…クソッ…なんで…」

ミチオが噛む一方で、彼の力が緩まることはなかった。

ミチオの力が効いてない…?

僕がそう理解したのは、苦しさのあまりどんどん、意識が薄れていく時だった。

「阿保ぅ」

どこからともなくその声は聞こえてきた。

すると押さえつけられていた力が解ける。

ミチオは彼に噛み付いたまま、その声の先を見つめている。

「俺のことは見えるんだな。面倒なやつだ。」


「先…生…?」


「えーと、どうなさいましたか?今この子を皆さんの元に連れて行こうとしていたんですが…」


「嘘をつくなー!」

そう声を荒げるのは伊藤先生…ではなく、学ラン姿の若かりし、伊藤先生のように見える。

「こいつは精神力が異常だ。見ろ、君のミチオの力が効いていない。」

そう言って私の元へ近づいてくる。

「怪我はないかい」

と手を差し伸ばしてくれる手にしがみつく。

その優しい目に私は安堵する。

「ミチオ…」

振り返ると、ミチオは涙を流しながら、彼の頭を噛み続けているが、彼は至って普通の顔をしている。

「なんだよ…ガキかよ…はー見られちゃった。あははははは」


「ここにくる子ども達をいつも襲っているのか。お前のやっていること…解せないな。」


「可愛いからつい、手を出す。みんな最初は泣き喚くけど、交わるうちに、静かになるんだ、それが最高に気持ち…」


ドンッとあたりに衝撃が走りいつのまにか、彼は後ろの壁に叩きつけられ顔がぐしゃぐしゃになっていた。

「だから…解せないって言ってるんだよ」

私の隣には突き立てられた拳と、涙をボロボロこぼす、ミチオの姿があった。

ミチオに駆け寄り、後ろから抱き締める。

「守れなかった…ごめんよ…ごめん」

いいんだと、ミチオの涙を拭い、ふと目を向けると彼は完全に気を失っているようだ。

すると後ろから

「じゅ…じゅん…順一…?」

あれだけ広い空間で、衝撃音がすれば、みんな近づいてくるのは当たり前のことだった。

担任が私に駆け寄り、胸ぐらを掴む、

お前は一体何をしているんだと、他の同級生達は震えている。

伊藤先生だけが大勢いる中の、静寂を断ち切って、その場に倒れ込み、わんわん泣き出した。

「順…一…順一…お前なのか」

震える声で何度も何度も彼の名前を呼ぶ。

順一は伊藤先生の元へ近づきしゃがみ込んだ。

「順…そんな顔して教師の面子丸潰れだぞ…いっつもそばにいるだろうが…お前ってやつは…」

ゴシゴシと、順一は伊藤先生の頭を撫でて笑顔で微笑みかけた。

「ミチオ…立てる?」


「何言ってんだ…これは一体どう言う状況なんだよ。誰なんだミチオって!!」

担任は何度も何度も私を揺すった。


会館の人たちも騒ぎを聞きつけ、唖然と立ち尽くしている。


「僕…怖かったんです…この人に襲われて…」

そう言って彼の方に指を指す。


「ちょ…伊藤先生…これはどう言うことなんですか?なんで泣いてるんですか?」

周りはまだ状況を掴めてはいなかった。

それもそのはず、ミチオと順一は僕以外に伊藤先生しか見えないのだから…


キャーと1人の女子生徒が更衣室から走ってきた。


「先生これ…気持ち悪いです。」

そう言って、僕の胸ぐらを掴んでいる担任のもとに、駆け寄ってきた。

その子が持っていた着替え用の靴下に、べったりとした白い液体がついている。


担任は私のことを投げ捨て、女子生徒の靴下の匂いを嗅ぐ…


「これは…」


「警察…呼びますか。いかんな、ひどく取り乱してしまった…あいたたた、木こり、大丈夫かい」

そう膝をかばいながら、順一と立ち上がる。


「こいつはね…真っ直ぐなやつだから…すーぐ手が出てしまうが、今回ばかりは恩に着るよ…ありがとう順一。」


「あなたが…順一…ミチオと…同じ…」


どこからともなく、警察と救急車のサイレンが聞こえる。


生徒達は私ともう1人の女子生徒を残して、バスで担任と先に宿泊先へと向かった。

伊藤先生はそばにいてくれた。

職員の人に何度も頭を下げられながら、怖かったねと、抱きしめられる。

こういう時、ミチオの暖かさを思い出す。


順一…いや伊藤先生が僕には微糖のコーヒー、ミチオには水を渡してくれた。

「なぁ…木こり…不思議なこともあるもんだな…まさか順一に会えるなんて、何十年ぶりだろう。毎日、毎日、順一を忘れたことがなかった。何度も、何度も会えるか試したが…無理だったんだよ。いつのまにか年もとってしまって、あの頃の記憶が忘れられないから、私は教職についたんだよ。そんな時、突然あの日々を思い出す2人が目の前に現れた。」


「僕達…ですか…」

と問うと、静かに頷く。


「木こりとミチオが仲良さそうに歩くのをみてね…つい呼び止めてしまった。これも何かの縁なのかもしれない。」


「何キザなこと言ってんだ順!昔はよく俺にしがみついて離れなかったなー、まぁ、俺も拠り所だからさ、悪い気分じゃないんだけどな?こうやって君とミチオが、順のそばに居ると、俺も懐かしくてさぁ…」


そう言うと、順一の体がだんだん薄れていく。

「なんだ…もう行くのか…」


「順一さん!」

「順一」


「あっそうそう、君の拠り所はとても珍しい存在だから…大切にしろよ!またなんかあったら、助け…まぁ…要らねぇと思うけどさ。」


「順、元気でな…」


そう言うと、順一の姿は弱い風と共に消えた。


伊藤先生がまた、俯く、

「短い再会…」




「おーーーっと、忘れてた。」


「順、いつも、いつまでも、そばにいるって」


ガシガシと頭を撫でてると伊藤先生も立ち上がりお互いに頭を撫でる。


伊藤先生のその目に涙はなかった。

「順一らしいな、これからも宜しく頼むよ。」


その後、警察に何度か質問をされて、ホテルへ戻った。


自室の番号へ向かうと案の定鍵がかかっており、中から声は聞こえるが、ノックをする勇気もなく入れなかったので、広いロビーでミチオと休むことにした。


「なんか…すごい1日だったね。」

「だね…木こり…ほんとにごめんね…」

「大丈夫だよ!でも不思議だね…ミチオの力が効かないなんて…」

「順一が言っていた、精神力が関係あるのかな…」

「わかんない」

「僕も…わかんない」

「まぁ、良いんじゃないかな…無事終わって…」

「そうだね…ねぇ木こり」

「何?」

「僕たちは大丈夫だよね………」

「………大丈夫。だって、ミチオがいなくなったら、どうしたらいいか…」

「大丈夫だよね…僕もずっと一緒にいたいから。」


そう言うと、ミチオが後ろから僕を抱きしめ、サラサラとした髪が僕の頬を撫でる。


もしも…この時間が、この時間じゃなくなったら、それはきっと君が僕を必要としなくなった時だから…もう少し、こうさせててよ。


2人で涙を流しながら、長い1日が終わった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る