第6話

「————そちらは危ないですよ」


 背後から急に声が聞こえた。瞬間、考えるよりも先に体が動いた。反射的に反転しながら飛び退いていた。

 警戒して振り向いた先に立っていたのは年若い女性だった。

 年齢はオレよりも少し上くらいだろうか。白いワンピース姿に肩まででそろえたきれいな黒髪。中性的な顔立ちで、男性から見れば女性、女性から見れば男性にも見えるだろう。だが、立ち姿は柔らかく、纏っている衣服からも女性なのは明らかだ。

 さきほどまで気配も音も、匂いすら感じさせなかった女性に、一瞬だけ警戒をしたが姿を見てすぐに張り詰めた警戒心はほどけてしまった。なぜなら————美人だったから。

 自分の中にある言葉をとにかく思いつく限り並べてみたが、もっと端的な表現で言えばオレの出会った女性の中でも一、二を争うくらいの美人。それこそまるで絵の中から出てきたようなという言葉が似合いずぎるくらいのとびっきりの美人。そのうえ服装も普通となれば、この街で見た中では疑いようもなく、一番安心できる相手だ。これで詐欺師かなにかだったらこの街に信用できる人はきっといない。

 彼女はオレがいきなり飛び退いたので、驚いた表情で立ち呆けていた。振り返ったオレと目が合ったのに気が付くと、申し訳なさそうに、

「すみません。驚かせてしまいましたよね。その道の先は壁がもろくなっていて崩れやすいので怪我をさせてはいけないと思って、思わず声をかけてしまいました」

 その言葉にオレはひどく感動を覚えた。やっぱり格好がまともなこの人は信用できる。

「こちらこそすみません。旅行で来たんですが、待ち合わせ場所に行こうとしたら道に迷ってしまって……」

 できるだけにこやかに答える。さすがに建物に勝手に入ろうとしたなんて言えないので、さすがにそこは隠したが、嘘はついていない。

「まぁ!旅行者さんでしたか、どおりで。私でよろしければ待ち合わせ場所までご案内しましょうか?」

「ほんとですか!?ぜひお願いします。一人じゃたどり着けそうになかったので……」

 彼女はうれしい提案をしてくれた。思わず口に出してしまったが、オレの力では喫茶店にたどり着くどころか、大通りにすら戻れそうになかったので、そういってもらえるとほんとにありがたい。相手が美人だからってやましい気持ちはない。ないったらない。

「この喫茶店に向かってたんですけど……」

 手に持っていた地図を女性に見せるために何気なしに一歩近づいた。それにつられた彼女も地図をずいっと覗き込んだ。

 うおっ、なんだろう。この人、めっちゃいいにおいがする。香水か何かかな?鼻には自信があるが、嗅いだことないくらいすんごいいいにおいがする。美人でいいにおいがするのはちょっとズルいと思います。心臓のドキドキが止まらないです、はい。

「ああ、ここなら二本向こうの通りですね。行きましょうか」

 ドキドキするオレをよそに地図を確認した彼女は、案内するために先を歩き出した。

 まだまだ心臓の鼓動はおさまらないが、置いて行かれてしまうのはまずいので彼女の一歩後ろをついていく。前を歩く彼女の後姿は凛としていてとてもきれいだった。


「この街には、観光で来られたんですか?」

「いえ、仕事で……。この街のついて取材をしに来たんです」

 依頼で街を訪れているときはこうやって応えるように研修で習った。仕事は仕事で合ってはいるし、取材という名目ならばいろいろ聞きまわっても怪しくは思われにくい。今回のようにあまり大事にできないような依頼は、そうやってできるだけ現地の人との摩擦を減らすのもポイントらしい。

「そうなんですね。この街は外から来た人からすると、珍しいものが多いといいますからね」

 珍しいというか、おかしなものがいっぱいあるというか……。良くも悪くも常識では推し量れない街ではある。そういう意味では観光や取材には向いている街であるとはいえるかもしれない。とはいえ、教育に悪いものが多いので、家族旅行にはお勧めできない。

「そうですね。ほかの街とは全然違うんで見ていて面白くはありますね。お姉さんはこの街にはいつから住んでいるんですか?」

「私は……、ずっと、生まれたときからこの街にいます」

 そういった彼女の顔に陰りが見えた気がした。

「生まれたときからですか……」

 彼女が生まれたころとなると、ほぼ二十年くらいだろうか。この芸術家の街エメラダの開発計画はそのくらいの時期から始まっていたはずだ。最初は芸術家エメラダを師事する芸術家が集まる集落で、街として認められたのはここ数年のはずだ。それほど前からとなると彼女の親御さんは相当熱心にエメラダを師事していたのだろう。

「そう、ずっとこの街で暮らしてきました。取材をしに来たのならご存じでしょうが、この街も最初はいろいろ問題が多くて……。こんな街並みですが、これでもだいぶ落ち着いたんですよ。みんなで少しずつ少しずつ、この街を作ってきたんです」

 実感のこもった重い言葉だった。だけど、それに反して陰っていた顔は明るく輝いている。

 ああ、この人は————

「ほんとにこの街が好きなんですね」

 あんないい笑顔で言われてしまえば、出会ったばかりの俺でもそれくらいはわかってしまう。

「そうですね。いろいろありましたが、それもいい思い出です」

「いいですね。そういうの」

 言葉のなかにすこしだけ寂しさがにじんでしまった。故郷にいい思い出がないオレからすれば本当にうらやましい。だからといって故郷に戻りたいとは思わないが、そうやって胸を張って言えることはすごくいいと思う。

「あっ!あそこですよ。地図に書いてあった喫茶店」

 気が付けば、大通りまで戻ってきていたようで、指さす先には地図に書いてあった喫茶店が見えていた。

 彼女があまりにも迷いなく進むので喫茶店に向かっていたことを忘れかけていた。……べ、別に美人と話すのが楽しくて夢中になっていたわけじゃない。じゃないから!!

「本当ですね」

「では、道案内もここまでで」

 喫茶店に着いたのだから、彼女とのひと時も終わりを告げる。ひと時とはいえ、こんな美人と出会えたのだ。それだけでも幸運だったと思おう。

「街の外の話も聞いてみたかったのですが……、それは次の機会ですね」

「えっ!?」

 笑顔で変なことを口にするものだから思わず声が出てしまった。

 てっきり俺は、道案内だけの付き合いだと思っていたので、彼女からそんな言葉が出てくるとは思っていなかった。

「あれ……?取材と聞いたので、てっきり何日かこの街にいらっしゃると思ったんですが、……ご迷惑でしたか?」

「いっ、いえ!そんなことないです!全然オレでよければ、いつでも話なんていくらでもしますよ!!」

 途中から妙に早口になってしまった。彼女はそんなこと気にしていないのか、笑顔を浮かべながら

「ならよかった!聞いてみたいことがいろいろあったんです!」

 ……まさかとは思うが、最初からこれが目的でオレに声をかけたんじゃないんだろうか?

 ずっとこの街で暮らしてきたと言っていたので、街の外に興味があるのは当たり前だろう。こちらもこの街の情報が聞き出せるので、ウィンウィンってやつだろう。使い方があっているかは知らない。

「じゃあ、また時間のある時に使いの者を送りますね」

「つ、使いですか?けど、まだ俺も自分の宿の場所わかってないんですけど大丈夫ですか?」

 まさか現実で『使いの者』なんて言葉を聞くとは思わなかった。

 この街には携帯の基地局すらないので携帯が使えない。そうなると使いの者なんて言葉が出てくるのも無理もないのか?いや、さすがに無理があるだろ。

「はい、大丈夫ですよ。この街にいるなら、どこでも、どこにいようと、見つけ出してくれるはずなので」

 怖っ!怖いよ!すごくいい笑顔で言っているのがすっごい怖いです。俺のこと見つけられなかったら、殺されちゃうんじゃないのその使いの人。

「そ、そうなんですか。大丈夫なら、それでいいと思います……」

 なんかあったことないけど使いの人に同情した。頑張って生きて、名前も知らない使いの人。

「では、また今度ご連絡しますね。……あっ、そういえば」

 別れ際、彼女は改まったようにこちらに微笑むと

「まだ、名乗っていませんでしたね。私はユキ。一応、この街の代表ということになっています」

 ユキと名乗った彼女は、驚くことに街の代表とも名乗った。街に長く住んでいるとは言っていたが、まさかそこまで大物だとは思ってもみなかった。街の調査をするにあたっては、幸運と言わざるを得ないだろう。それにしても一番最初に出会ったのが街の代表とはなんというめぐりあわせだろうか。

「オレは……、オレはシリウス。また、よろしくお願いします」

 ユキはオレの声に応えて、一度だけ頭を下げるとそのまま街の喧騒の中に消えていった。

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