第2話
あれは約二カ月前のことだ。
吹き溜まりの街にあったオレの家に知らない人物がたずねてきた。
外から匂う車の排気ガスの匂いで誰かが来た事じゃわかっていたが、まさか自分のところとは思っていなかった。この街に訪れる人間なんてろくでなしか、それを追いかけているやつかの二択しかない。もちろんろくでなしでない俺をたずねてくるやつがいるはずないのでその選択肢は消していたのだが、どうやら間違いだったらしい。
「こんにちは、———さん、いらっしゃいますよね」
ボロ布で仕切っただけの玄関の向こうから男の声が聞こえた。居留守をしようと思ったのだが、トタンの壁では気配を消してはくれないらしい。あきらかにいることを確信した声音で言われてしまえば居留守をする意味もない。
観念してしぶしぶ扉代わりのボロ布を開くと、胡散臭い笑顔を浮かべたスーツの男が立っていた。その後ろにも同じようにスーツを着た男が数人立っている。そちらはサングラスをかけているおかげで表情はよくわからない。
「ああ、やはりいらっしゃいましたね。私たちは————」
「悪いが、あやしげな勧誘は断るようにしてるんだ。金もないしな。帰ってくれ」
リーダーであろう男に対し、冷ややかに断りを入れて玄関から出していた顔を引っ込めようとすると、
「————ビーストマン、でしたっけ」
その一言に頭を掴まれたみたいに動きを止めた。リーダーの男が言った言葉の意味を知っていたから止まってしまった。しまったと思うもすでに遅し、
「やっぱりあなたみたいですね」
にんまりとした笑顔がそこにはあった。
「ビーストマン、その呼び名から考えるに獣の姿に変化する異能なんでしょう。あなたには一緒に来てもらいます」
リーダーが一歩下がると横からサングラスの男たちがこちらに手を伸ばしてきた。オレを拘束しようとしているのは明らかだった。
一瞬、抵抗するか迷った。ここで抵抗すれば、ようやく手にできた住処を失うことになってしまう。だが、抵抗しなくても俺はここに残ることができなくなるので同じ結果になってしまうだろう。ほんの一瞬の逡巡で、迷いを振り切ってここから逃げることを選択した。
迫りくる黒スーツたちの手から逃げるように家の中に顔を隠す。だが、このままではそのまま乗り込まれるだけだ。だけど、これで一瞬だけボロ布に遮られて向こうからこちらが見えなくなった。
ボンッとなにかが弾けた音が響く。次の瞬間、黒スーツたちが乗り込んだ俺の家がガラガラと音を立てて崩れた。黒スーツはリーダーを除いて崩壊に巻き込まれている。オレはその様子をリーダーの後ろから見ていた。
「驚いた。いつの間に私の後ろに?」
振り返りもせずにリーダーが背後のオレに話しかけた。よく言うよ、全部見えていたくせに。
家に入ったオレは一割にいかないくらいの力でジャンプし、自分の家の屋根を突き破った。そのまま残っていた屋根を跳んでリーダーの背後に着地。プレハブ小屋では衝撃に耐えられず、見るも無残に崩れ去ったというのがこの一瞬の出来事だ。家から距離をとっていたリーダーにはその一部始終が見えていたはずだ。
「これでお前の部下はいなくなった。どうする?一人で捕まえるか」
「いえいえ、私ひとりじゃあなたを捕まえることはできませんよ。かといって、彼らと一緒にでも難しいでしょう」
ただただ冷静に落ち着いた様子で状況を分析していた。今の一瞬で手下は全員動けなくなった。俺の力も見ているはずだ。それなのにこの状況でこれだけ落ち着いていられると気味が悪い。
「なら、追ってくるなよ。あんまりしつこいと加減できないかもしれないから」
どれだけ気味が悪かろうと、先に逃げてしまえば関係ないはずだ。そう思い、一言だけ残して逃げよう崩壊した家に背を向けて、歩き出した。
逃げるのに走らなかったのは、その必要がないから。追ってくるようだったら痛い目を見せればいいと思っていたし、追ってくるつもりなどないのは態度からわかっていた。
家のあった路地の出口には一台の車が止まっていた。スーツのやつらはあれに乗ってきたのだろう。用はないので無視していこうとしたが、スモークガラスの向こうに人の影があった。
「せんせー、出番ですよ!」
背後から誰かを呼ぶ声が響く。それに応えるように車のドアが開いた。
何が出てくるのかと身構えたが、正直拍子抜けだった。なぜなら出てきたのは、俺とそれほど変わらない年齢の青年だったからだ。
背は忌々しいことに俺よりも高く、髪は黒だが光の当たり方によっては紺のようにも見える。体は細身で助っ人にしては少しというかだいぶ頼りない。
「うるさいよ。そんな声出さなくたって聞こえてる」
ぽつりと目の前に立っていた青年がつぶやいた。と思ったのだが、言葉を理解した瞬間には目の前から消えていた。
「ジョー、とりあえずこいつら掘り出したから、まとめて面倒見といてくれ。車に積むのはあいつを捕まえてからな」
後ろから声が聞こえたと思うと、黒スーツの男たちを抱えた青年がリーダーの横に立っていた。
————まったく見えなかった。
視線を外したつもりはなかった。なのに、動き出しも動いたことも、いつ崩壊した家から黒スーツたちを助け出したのかも。それだけであいつが助っ人な理由がわかった。あいつはたぶんオレよりも強い。
「さあ、逃げるんだろ。逃げて見せろよ」
抱えていた黒スーツを丁寧に積んで床に寝かせると、パンパンと手を払いながらこちらに笑いかけた。それは笑顔というにはあまりに獰猛で、挑発的だった。
「逃がすつもりなんてないんだろ」
笑いには笑いで。苦笑しながら精一杯虚勢を張ってみる。
正直、あの一瞬の動きだけでここから逃げられるイメージはなくなってしまった。だから、向き合って戦闘態勢をとる。さきほどは一割も使っていなかったが、今度は制御できる精一杯の五割で目の前のやつを迎え撃つ。
「いいね、やる気みたいだな。————ちゃんとついて来いよ!」
一瞬、光ったかと思うと腹部に衝撃が襲い掛かった。なにが起こったかわからないままに、車の屋根の上を飛び越して数メートル殴り飛ばされた。
無我夢中で空中で体勢を立て直し、四つん這いになりながらの着地。反撃のために顔を上げると、もうすでに追撃が迫っている。
「ぐうっ!」
二撃目の拳は反射的に出した両腕でなんとかガードしたが、それでも受け止めきれず、ずさっと音を立てて後ろに押し込まれた。だが、倒れなかった。これで反撃を————。その次の瞬間には、横凪に振り払われたハイキックで体が半回転していた。
「反応はできてるみたいだし、思ったより悪くない。けど、そんな抑えた状態じゃ戦いにならないぞ」
地面に寝転がされた俺に、上から声が聞こえる。その声は、嘲るような声ではなくまるで心配するみたいだった。だからこそ、自分の今の状態が情けなかった。
もうすでにばれているようなので隠しはしないが、オレは自分の力をコントロールしきれていない。精一杯やって五割、それでも気を抜けばすぐに暴走してしまいそうになる。安定してというなら二割が限界だろう。それを見抜かれている。そのうえ心配されているなんて、情けないとしか言いようがない。
いつの攻撃でかわからないが、唇が切れていて血が地面に滴った。その匂いに自分の中の獣が暴れだそうとしている。このまま獣に身を任せれば、こいつにも勝てるかもしれない。だけど、それはできない。
「はっ、それでいいんだよ。オレはこの力に負けない。————負けてたまるか」
それはボコボコにされた相手に対してではなく、自分に対しての鼓舞。
震える足で地面から体を持ち上げる。ハイキックの衝撃で頭はぼーっとするし視界は白んでいる。ぼやけた視界には思い出したくもない光景がちらつく。
「はあはあっ」
立ち上っただけで息が上がっている。これでは戦いにはならないだろう。だけど、ここからは意地だ。どこまでも抵抗してやる。
「やっぱりお前いいな」
「何でもいいから、かかってこいよ!」
精一杯の咆哮。————そこでオレの意識は途切れた。
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