第1話

 走るタクシーの中、かれこれ一時間ほど窓の外を流れる景色をぼーっと眺めていた。

 オレ、シリウスは訳あってこの港からある街へ向かうタクシーに揺られていた。一時間も動物すらほとんどいないような荒野を走り続けていたが未だに目的地は見えない。

 さすがにもうじき着くだろうが、これだけ走っても見えないので不安になってきて、一応運転手に確認を入れてみた。

「なあ、まだつかねえのかよ」

「すみませんねぇ。エメラダは海からだと行くまでが不便で。内陸からだと道路も整備されていて生きやすいんですけどねぇ。……けど、ほうらようやく見えてきましたよ」

 運転手がそう言うとほぼ同時に道路の先、地平線の向こうにぽつんと小さく街が見えてきた。

「あれが芸術家の街エメラダですよ」

 タクシーが街に近づいていくにつれて、街の姿が鮮明になっていく。

 街を荒野と仕切る外壁からして、目が痛くなるような色の暴力。外壁から飛び出して見える建物も同じように鮮やかな色をしていて、街自体から自己主張がすさまじい。

 それもそのはずで、この街は稀代の芸術家エメラダが作り上げた芸術家たちが作品を作り、作品を見せるための街なのだ。住んでいる人間は芸術家で、街にあるものはその作品。作品に埋め尽くされた街の中でひときわ目立つためには色や形が奇抜になっていくのは当たり前だろう。

 芸術家エメラダは、稀代の芸術家であり、万能の天才でもあった。絵画にはじめ、彫刻や建築などさまざまな作品を世に残した。その作品の金額は両手では桁が足りないほどであり、その莫大な財産で作り上げられたのが芸術家の街エメラダだ。

 もともとはエメラダの私有地に弟子などが集まってつくった集落だったらしいが、紆余曲折あって規模がどんどん大きくなり町に、そしてそれからさらに大きくなって街になった。数年前にエメラダが六十までもう少しといったところで亡くなった後も、この街には多くの芸術家が住み続け、今では芸術家の街とまで呼ばれるようになった。

 そんな特殊な街に、芸術のげの字もわからないようなオレが、タクシーで一時間以上かけてまで行くのには理由がある。

 最近、エメラダの路地裏で不審死が相次いでいるらしく、その調査をある人物に依頼され引き受けることになってしまったのだ。本当は行きたくなどないのだが、断れば命の危険があったので断るに断れなかった。

「お兄さんも気の毒ですね。このタイミングであの街に行く用事があるなんて」

「?……今の時期ってなんかあるんですか?」

 気になることを運転手が言うので思わず聞き返してしまった。すると運転手はオレと二人きりの車内なのに声を潜めて

「いや、最近のエメラダは物騒で、その、出るって言うんですよ。————殺人鬼が」

 まさかその話題が出てくるとは思っておらず、背中を嫌な汗がダラダラと流れ始めた。だが、それを顔に出してしまうわけにもいかず、表情をできるだけ平静に保ちながら話を続ける。

「そっ、そうなんですか。物騒なんですね」

「そうなんですよ。だから、暗い路地裏とか人気のないところなんかは歩かないようにした方がいいですよ」

「まあ危ない目には遭いたくないですからね」

 口では同意しながら、心の中ではそんなことできないとあきらめていた。なぜなら、オレがあの街に行くのはその殺人鬼とやらの調査なのだから。そうなれば必然的に忠告してくれた暗い路地裏や人気のないところを重点的に行くことになる。ご期待に沿えず、申し訳ない。


 そうやって話しているうちにも、エメラダとの距離は近づいていて、気が付けば正面の門まで来ていた。

 エメラダでは、芸術品の保護を理由に自動車の立ち入りは禁止されている。そのためタクシーはエメラダの中には入らず、入口の門の前で停車した。

 完全に停車したのを確認すると、タクシーを降りる前に料金を支払う。これは経費で落ちるからいいのだが、タクシーのメーターは結構な金額になっており、思わず二度見してしまった。

「気を付けてくださいね。自分が乗せたお客さんが殺人鬼の被害にあったなんて、私も嫌なので、ほんとにどうかお気をつけて」

 開けた窓からそれだけ言うとタクシーは走り去っていった。

 ————オレだってそうなりたくはないよ。

 エメラダの正面に残された俺は、はあと小さくため息をつくと、

「これも全部あいつらのせいだ。————最悪だよ」

 遠くの島のやつらに恨み言を言いながら、重い足取りで街の中へと足を進めた。


 この時のオレはまだ知らなかった。この時にはすでに俺の運命は動き始めていたということに。————それはあの日、あいつがオレのところに現れたときから始まっていたんだ。


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