第3話
「師匠、あんまりアルをいじめないでください」
背後から鈴のような涼しげな声が聞こえた。そのたった一言で部屋の気温が数度下がった気さえした。
突然気配もなく、音もなく現れたその声の正体を俺は知っている。知っているが、一応確認するために、地面につく寸前まで下げていた顔を上げた。————そして息をのんだ。
腰まで届くほど長くてまっすぐな黒髪。吸い込まれるような蒼い瞳に長いまつげが添えられ、すっと通ったきれいな鼻筋に桜の花びらのような唇。なんて自分らしくないほどに言葉を重ねてみたが、端的に言えば超美人。俺が知る限り彼女以上の美人は見たことがない。女性的な凹凸が少ないのだけが欠点だというやつもいるが、それは分かっていないやつの意見だ。聞くに値しない。
「よお、シオン。ただいま」
「おかえり、アル。ほら、そんなことしてないで早く起きて」
シオンと呼びかけられた少女は俺の声に顔をほころばせて、手を差し出してきた。最終手段であった土下座の姿勢から彼女の手を借りて、体を起こした。膝についたほこりを叩いて払うと師匠の方へ向き直す。
「師匠も人が悪いですよ。今日は早く仕事が終わったから、今からゲーム三昧だとか言っておきながら、アルが来た瞬間に機嫌が悪いふりをするなんて」
「あいつが面白い反応するから、つい」
俺にくっついたままシオンが師匠を叱責するが、師匠は気にせずケラケラ笑ってごまかした。彼女たちのこういうやり取りは日常茶飯事なので、特に気にせずここに来た要件に入る。
「なんでもいいけど、今回の報告してもいいですか?」
「ちょっと待て。……たしかこの辺に、……おっ、これこんなとこにあったのか。じゃあこれにするか」
報告を始めようとすると、師匠はドカっといきおいよく椅子に座りなおすと資料に埋まっていたゲーム機をサルベージした。
普通に考えれば大事な報告の時にゲームなどしているのはまずいが、いつものことなのでスルーする。どうせ聞き逃してもあとでシオンが資料にまとめるから関係ない。そんなこと言い始めると、ここにきて報告することも意味がない気がしてくるが、これも師匠のこだわりなので拒否できない。
「じゃあ、とりあえず結果から。報告書で送った通りあのマジシャンはシロ。しっかり種も仕掛けもあるトリックでした。なので、組織の影なんてものは微塵もなく完全な無駄骨でしたよ」
「ふーん、その割には帰りが遅かったな。寄り道でもしてたか?」
「……追加で宝石強盗の逮捕なんて持ってきたのどこの誰でしたっけ?なんで一般的な犯罪者の逮捕に貢献しなくちゃいけないんですか」
「そういえばそんな仕事割り振ってたな。どうせ近くにいたんだし、いいだろ。売れるときに恩は売っておくもんだ。ただでさえ、うちは肩身が狭いんだから、少しでも恩を売って損はないはずだ」
会話をしながらも手に持ったゲーム機から視線もそらさないし、手が止まることはない。しゃべっていることもまともなようで、実はなにも考えておらず反射的に出てきた言葉を口にしているだけなので、この会話に意味はほとんどない。だから、無視して話を先に進める。
「ただ一件、まだ噂程度なんですがそのマジシャンの出ていたテレビ番組に一緒に出ていたアイドルがちょっと興味深くて。その娘のライブに行った後、不自然なほどに体調がよくなったり、数日間体が羽のように軽くなったとか」
「なんだ、それ。ただ推しのアイドルに会ってテンション爆上がりで人生ルンルンとかいう話じゃないのか?」
「……なんですか、それ。そういう話じゃなくって、ライブによって効果のあるなしがあるらしくて、最近じゃ、それ目当てで行く不埒な客もいたりいなかったりするらしいです」
俺の報告に師匠はゲーム機の奥で唇の端をつりあげた。
「へぇ、面白いな。じゃあ調べさせてみるか。違ったらお前の給料から経費分差っ引いとくから」
「マジで言ってます!?ただでさえあそこの調査員、ポンコツなんですから、そんなことしたら俺の給料無くなっちゃいますよ」
「そうなったらそうなったで喜ぶ奴もいるけどな」
そう言って師匠はにやけた顔で俺の横に視線を送った。その先に誰がいるかなんて考えなくてもわかる。
「大丈夫。二人分の生活費も貯金も十分にある。今すぐ結婚したって養える」
腕に絡みつきながらこちらの目をまっすぐにしっかりと見て、シオンは真剣な表情でそう言ってのけた。
この時点でなんとなくは察しがついているだろうが、シオンは俺に好意を抱いている。しかもそれなりに重い感じのやつだ。
惚れられた理由は、俺の過去の過ちに起因しているのだが、それを話すには少し行間が足りない。
そういうこともあって、こんな冗談みたいなことを真剣に彼女は言っているのだ。
「なにが大丈夫だよ、話が飛躍しすぎだ。まだハズレって決まったわけじゃないし、俺だって貯蓄がないわけじゃない。お前の世話にはならないよ」
空いている右手でデコピンを食らわせて、シオンを無理やり引きはがす。
別にシオンのことが嫌いなわけじゃない。むしろ————。
これほどの美人に好かれているなんて幸せなことだ。けど、俺はその好意に答えることはできない。答えるには罪を背負いすぎてしまっているからだ。こんなに汚れてしまっている俺では、彼女を幸せになんてできないことは分かっているから。————だから、この好意にこたえることはできない。
「報告はそれだけだな。じゃあ次の依頼の話だ。……シオン」
師匠は一瞬だけゲーム機から視線を離して指示をした。
指示を受けたシオンは、すこしだけ赤くなった額をさすりながら、資料の山から一枚のクリアファイルを取り出した。
渡されたクリアファイルには数枚の資料が入っており、港や倉庫街の写真がクリップで留められていた。
「何年か前にマークしてた異能者らしき人物が、某国の港街に現れたらしい。しかもそこに住んでいるガキどもをまとめ上げて何かやろうと企んでるかもしれないんだと。今回はそいつの確保、または排除。詳しくはそれを見ろ。私はしらん」
師匠はゲームをやりながら依頼の概要を口にすると、あとの説明を資料に丸投げした。待っていても説明はしてくれなさそうなので、資料をぺらぺらとめくって読んでみる。さらっと読んだ感じ、いろいろ書いてあるが確定情報は少ないようだ。ほとんどが今回行く港町についての情報ばかりだった。
上から下まで見て、あまり情報の薄さにため息が出そうになったが、最後の最後に視線が吸い込まれた。
なんということでしょう、資料に書いてある出発日は明日になっているではないですか。
「あ、明日!?さっき島に帰って来たばっかりですよ。いくらなんでも早すぎません!?」
「しょうがないだろ、うちも人員不足で大変なんだよ。……どっかの誰かのせいで一人、超優秀な人材が使えないからな。それの穴埋めで言い出しっぺをこき使うのは当たり前だろ」
師匠はシオンに聞こえないように小声で悪態をつくとにやりと笑った。その言葉には心当たりがありすぎて、反撃の言葉も出てこなかった。
さっき師匠が言った超優秀な人材というのはシオンのことだ。彼女の魔術師としての力は俺など足元にも及ばないほどに高い。真正面から戦えば十回に一回勝てれば御の字、一撃与えられれば大健闘といったレベルで隔絶した力を持っている。
そんな彼女がこんなところで師匠の秘書代わりをしているのには大きく二つの理由がある。
一つは、力の制御に難があるというところ。強大な力を持っている分、その力をふるうと自然に被害も大きくなってしまう。被害が大きくなればその分だけ後処理にかかる時間も費用もかさむので一大事なのだ。
もう一つは、俺が個人的にシオンを外に出さないように頼んでいるからだ。この仕事は人の生き死にがかかる場面も少なくない。力の制御ができない彼女が万が一加減を間違え、人を殺めてしまうということも起こりえる。それだけは避けたかったので、師匠にはその分の仕事を俺に回すように頼み込んで、代わりに彼女を島での仕事を割り振ってもらっている。おかげで師匠のサボりも減ったので結果オーライではあるのだが、おかげでその話題が出ると俺は強く出られなくもなっている。
「……精一杯、頑張らせていただきます」
呻くように言葉をひねり出すと師匠はクククと愉快そうに笑った。
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