誰得売日

そうざ

Who Wins that Day?

「これって間違ってません?」

「お豆腐が何か?」

 俺の声掛けに、他の陳列作業をしていた店員が怪訝な顔でやって来た。早くも額に汗を浮かせている。

「一丁が税込み108円。二丁で300円。三丁だと500円と書いてあるよ」

「はい、その通りでございます」

「おかしいでしょ。数が増えると割高になるなんて」

「商品の個数が増えれば、お値段も上がりますです、はい」

「特売品って書いてあるじゃん」

「はい、お豆腐一丁で108円は決してお高くはないと思いますが……」

 店員は鼻の頭にも汗を噴き出し始めた。

「一丁の値段はこれで良いけど、個数が増えれば割安になる筈でしょ?」

「えっ、それは食品衛生法か何かで定められている事なのですかっ?」

 店員の顔が見る見る引き攣り、眉間、目尻、ほうれい線の各所で汗の珠が弾け飛ぶ。

「食品、衛生……それはないと思うけど」

「それでは、市の条例で?」

「ないですよ」

「刑法?」

「ない」

「国際法?」

「ない」

「ご町内のルール?」

「ない」

「でででででは一体っ……!」

 緊張が頂点に達した店員は、四肢をわなわなと震わせ始めた。

「お客様~っ! 申し訳ございませ~んっ!」

 多分店長であろう中年男性が足早に登場し、果たしてそれは店長だった。既に鼻水、涙、涎の三拍子である。

 店長は周囲を見渡し、怒鳴り散らす相手を見定めている。

「何処のどいつだ?! こんな価格設定にした奴は!」

 全店員が目を平泳ぎやクロールさせながら店長を見ている。即座に四面楚歌を察知した店長は、慌てて携帯電話を弄り始めた。

「はいっ……はいっ……はいっ」

 そして何度も何度も米搗き飛蝗バッタである。

「申し訳ございませぇぇぇん! 只今、支部長に指示を仰ぎ、支部長が本社の統括部長にお伺いを立て、統括部長が常務取締役のお耳に入れ、常務取締役が代表取締役社長のご機嫌を取り――」

 色んな客がちらちらと事の顛末を盗み見しながら行き過ぎる。その九割九分が笑っている。残りの一分は、クレーマーって嫌ね、の顔である。

「あの、もう別に――」

「そうか! この豆腐がいけないんだっ、こんにゃろ、こんにゃろ!」

 店長は次々に豆腐を床に叩き付け、完膚なきまでに足でぐりぐりと踏みにじって行く。周囲の店員も直ぐに集まって店長に準じる。

「宜しければお客様もどうぞ!」

「いぃや~ぁ、結構です……」

 豆腐に足を取られてすってんころりの店員が続出である。

「はぁはぁ……ご覧のようにっ、成敗致し、ましたのでぇ……はぁはぁ……ご納得、頂け……ました、でしょうかっ?」

「納得も何も……」

「あっ、そうですよね! 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いって言いますものね!」

 一斉に忖度した店員達が高額の豆腐も陳列から叩き出し、特売豆腐と同じ目に遭わせ始めた。

「こんにゃろ! 木綿だ絹だとややこしい!」

「こんにゃろ! 豆が腐るって書いてんじゃねぇ!」

「こんにゃろ! ヘルシーだからって調子に乗りやがって!」

 俺が唖然、茫然としていると、まだ対応が足りないと忖度したのか、納豆も手に掛け、高野豆腐も煮豆も、豆乳も油揚げも、おから、赤飯までもが連帯責任を取らせられ、杏仁豆腐は貰い事故同然である。

「もももう、止めて下さいっ」

 他でもないお客様の鶴の一声である。豆地獄でのた打ち回る一同が整列した。

「しししかしながら、いぃ一体、どうすればご納得頂けるのでしょうかぁあぁっ?!」

「例えば……」

「例えばっ?!」

「豆腐一丁、サービスしてくれるとか!」

 店長の顔色がさっと変わった。店員も同調した。最初からそれが目的ねらいか、ゴネ得野郎め、という反応に見えたのは俺の思い過ごしか。

「じょ冗談ですよ、冗談っ」

「ですよね〜、では是非またいらして下さいっ、一同でお待ちしておりま~すっ!!」

 全員に見送られて逃げるように退店した俺は、その足で隣駅前のスーパーまで行き、悩んだ挙句に賞味期限間近のチーズ蒲鉾10本入りパック152円也を購入した。お勤め品コーナーに残っていた物の中で一番安かったからである。

 そして、晩酌の肴なんて何でも良いんだ、と自分に言い聞かせた。

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誰得売日 そうざ @so-za

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