第8話 不穏な太平洋

西暦1941(昭和16)年10月11日 大日本帝国東京 皇居


 この日、御前会議にて東條英機とうじょう ひでき首相は天皇含む参席者に対して説明を行っていた。


「欧州方面にして、奇怪なる敵との戦争に突入したドイツですが、彼の国は我が国及びイタリアに対し、援軍の派遣を要請しました。神聖ローマ連邦を名乗る敵は、すでにデンマーク及び東プロイセンを手中に収め、ノルウェーにも侵略の手を伸ばしております」


 此度の御前会議では、言葉だけではその脅威は伝わらないと考えたのか、一同の目前に複数種の資料が置かれており、ドイツ軍が鹵獲した兵器や装備の写真も用意されていた。


「彼の国はイギリス海軍本国艦隊をも圧倒した海軍戦力を持ち、我が国の連合艦隊の力を借りたいと、大使館を通じて要請してきております。詳しい話は東郷外相にお任せします」


 東條の言葉に従い、東郷成徳とうごう しげのり外務大臣が説明を替わる。


「大使館からは海軍を主体に派遣してきてほしいとの通達がありました。ソ連も同様に、モンゴル人民共和国及び志那の共産党勢力に対して援軍を要請しており、欧州方面は相当に苦戦していると思われます。そしてアメリカですが、イギリスからの援軍要請に応えるとともに、志那の兵力を撤収させ、友邦であるドイツの支援に回すのであればハルノートは撤回し、石油及び鉄屑の禁輸も解く事を考慮すると、大使館を通じて通達してきました」


「つまりは、無駄働きをしたくないから我が国に面倒を押し付けたいわけか」


 東郷外相の説明に対して、天皇の面前ながら皮肉を呟いたのは嶋田繁太郎しまだ しげたろう海軍大臣であった。何せ海軍の政治上でのトップであり、アメリカから派兵の責任を押し付けられる立場にあるからだ。


「ともあれ、此度の場合、日独伊三国同盟に従って援軍を派遣するのは十分な大義となる。東條よ、そなたの考えはどうか?」


 とここで、静聴に徹していた天皇が東條に尋ねる。


「はっ…先ず中華民国との戦闘に赴いている部隊は全て、本土及び満洲国内へ撤収させ、そのうち3個師団を欧州へ派遣します。海軍も第一艦隊を中心とした派遣部隊を編制し、ドイツへ送ります。さすればドイツのみならず、海軍戦力を撃破されたイギリスにも恩を売る事が出来ますし、兵にも十分な経験を積ませる事が出来ましょう」


 このほかにも、航空戦力として陸軍飛行戦隊の最新鋭戦闘機たる一式戦闘機を主体とした飛行第59戦隊と、海軍航空隊に属し、零式艦上戦闘機や九七式艦上攻撃機、そして一式陸上攻撃機が配備された第12航空隊が、第一航空戦隊に属する空母艦載機とともに欧州に派遣される事となる。


「此度の戦争は、遥か遠き欧州の友邦を助けるための、大義名分ある戦いであります。イギリスに対しても、先の日露戦争での恩を返す形での参戦となりますし、我が国も陸軍の反発をある程度抑えながら志那方面の戦力を撤収させ、余剰兵力でドイツを助ける形となります。よって国際的な信用を取り戻す好機ともなるでしょう」


「そうか…くれぐれも、欲を張って戦果の拡大を目論む事の無い様に頼むぞ」


 天皇の言葉に対し、東條は恭しく頷く。すでに中華民国との戦争で国際的な信頼を損ねているのだ、であれば欧州を今襲っている脅威を排除する事こそが、国際的な立場の向上につながるだろう。


 斯くして、日本政府はドイツに対して、相当な規模の援軍を派遣する事を決定。同時に海軍整備計画の見直しも行われ、飛行甲板に装甲を張った空母2隻を建造する事を決定。地道ながら必要な戦力強化が図られる事となった。


・・・


10月18日 ハワイ諸島沖合


 アメリカ合衆国の海外領土となっているハワイの沖合にて、1隻の駆逐艦が哨戒のために航行する。ドイツへの救援のために、日本が志那の兵力を撤退させつつ、艦隊をヨーロッパ方面へ派遣しているとはいえ、何をとち狂ってアメリカへ戦争を仕掛けるか分からない。そのため定期的な哨戒は欠かせず、常に少数の駆逐艦がハワイ諸島やウェーク島の沖合を見回っていた。


「しかし、最近は嵐が多いですね…」


 駆逐艦の艦橋にて、副長が周囲を見回しながらそう呟き、艦長は肩をすくめる。


「確かに、最近は時化る時が多いな…だが特段に荒れていない限りは、哨戒を続けるぞ」


「了解…ん?」


 とその時、副長は双眼鏡で何かを見つける。と瞬時に叫んだ。


「前方、1時の方向に潜水艦を視認!」


「何っ…」


 艦長も面食らって、双眼鏡でその方向に視線を向け、副長の見間違いではない事を知る。


「本当にいたな…距離は?」


「目測で1万2千…10ノットの低速で航行中です。あっ、潜航を開始しました」


 双眼鏡にて発見されたその潜水艦は、こちらに気付いたらしく、直ちに潜航に取り掛かる。駆逐艦側としては臨検ないし警告を試みたいところであったが、逃げられた以上はどうしようもなかった。


「こちらに気付いたか…日本の連中か?」


「あちらさんも、我が軍の動きを探ろうとしているのでしょうな」


 二人はそう呟きながら、少しだけ波の高い海洋を見渡した。

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異聞帯大戦争 広瀬妟子 @hm80

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