第6話 衝突、マリヤンポレ会戦

西暦1940(昭和15)年10月15日 エリトリア西部 マリヤンポレ


 神聖ローマ連邦の出現と侵攻から13か月が経ち、戦況は不思議な程に拮抗していた。理由はいくつかあるが、やはり神聖ローマ陸軍の戦力が質・量ともにドイツやソ連を圧倒していたからであろう。


 例えば東プロイセン一つに限ってみても、400両の戦車を有する機甲師団が3個、同数の戦車を抱えながらもハーフトラックによって自動車化を達成している歩兵師団が6個、推定兵力15万の大戦力が揚陸され、現地の飛行場にはフランスのドボワチンD520に酷似した戦闘機や、イタリアのサボイア・マルケッティSM79爆撃機に酷似した単葉三発の中型爆撃機も配備。そして港湾部分には戦艦4隻と空母1隻を主力とする艦隊が錨を降ろしていた。


 それに対してドイツは直ぐに奪還に動けなかった。ポーランド政府が国内の通行を認めなかったのが一番の理由であり、その判断が下される根拠も十分にあったが、すでにデンマークが9個歩兵師団と6個機甲師団によって占領されており、オランダにも姿を現している神聖ローマ軍の事を考えると、複数方面へ攻勢を仕掛けられる程の余裕はなかった。


 そのため、ソ連領内へ攻め込んできた神聖ローマ連邦軍と相対する事になったのはソ連地上軍であり、結果は一方的の一言であった。まずソ連地上軍はこの時点で12個狙撃兵師団を展開しており、さらにBT快速戦車やT-26中戦車を主戦力とする戦車師団も6個配置していた。まさに正攻法では負ける筈のない戦力と言えよう。


 だが、質の点でソ連地上軍は不利にあった。スターリンの大粛清が明けた直後の地上軍に優秀な将兵は残されておらず、練度と士気は余りにも低かった。何より戦車の性能が、勝敗を左右した。


 例えば歩兵連隊に配備されている、フランスのルノーB1重戦車を一回り大きくした様な敵重戦車は、車体に長砲身の75ミリカノン砲を装備し、砲塔部にも長砲身57ミリ砲を装備するなど、純粋な性能でソ連戦車を圧倒していた。


 戦車連隊の数的主力を担う、ソミュアS35騎兵戦車に似た中戦車も、非常に強力であった。主砲の57ミリカノン砲はBT快速戦車を真正面から撃ち抜くに十分な火力を有し、装甲は逆に相手の45ミリ徹甲弾を耐えた。機動力も良好であり、基本的に徒歩で移動するソ連軍を翻弄するに十分であった。


 ソ連地上軍をさらに恐怖せしめたのは、機械化された砲兵部隊であろう。戦車の車体に砲塔ではなく榴弾砲を載せた自走砲は、戦車と何ら変わらぬ機動力によって陣地を変更し、想定せぬ方向より榴弾を投射。しかも制空権は敵に掌握されているため、空軍機による炙り出しなど望めなかった。


 やがて、後方陣地が敵爆撃機の空襲を受け始めると、ソ連地上軍は後退を余儀なくされた。対する神聖ローマ連邦軍は深追いを避けた。ソ連の領土は広大であり、自軍の補給線が限界まで延びたところで反撃を仕掛けてくる事を危惧したからである。


 斯くして、後に『マレヤンポレ会戦』は神聖ローマ連邦軍の圧勝に終わった。彼らは占領地にて農民や労働者の生活水準向上を目的とした政策を行っており、人心掌握の点でソ連軍を凌駕していた。


 そしてソ連の方は、敵戦車の高い性能に衝撃を受けていた。スターリンの下に提出された戦闘詳報は、当時生産開始されたばかりのKV-1重戦車と、T-34中戦車の量産に大きく影響し、軍はより多くの新型戦車を得るべく、ウクライナの工業地帯拡張や、ウラル山脈周辺の工業地帯の整備に取り掛かる事となる。

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