罠に堕ちる音

SEN

本編

 生活指導の先生というのは、おおかた生徒から、とりわけ不良どもから嫌われるわけだ。そのうえ関わり合いになるのが、私を嫌っているそいつらだというのも億劫になる。重い足取りで今日も私は不良に規則と礼儀というものを教えに生徒指導室に向かう。


 この仕事の成功確率は体感2パーセントにも満たない。何故なら校則を破って生徒指導室にまで呼ばれるような奴が聞く耳を持つわけがないのだから。今日呼び出された生徒は髪を金髪に染めて登校してきたらしい。さらにスカート丈も短く、制服も着崩すという校則破りの欲張りセット。これを発見したのが朝に校門前に立っていた同僚の佐藤先生だというのだから驚きだ。まさか隠そうともしないなんて。とんだ大バカ者だ。


「入るわよ」


 そんな大バカ者の顔を見ようと扉を開けると、そこにいたのは黒髪メガネのいかにも真面目そうな女子生徒だった。教室を間違えたかと思ったが、こんな狭い場所に数人分の机と椅子しかない部屋は生徒指導室しか存在しない。まさかこの子が報告を受けた不良なのか。動揺を悟られないように気を取り直し、椅子を引いて彼女の対面に座った。


「……あなたが桜さんね」


 確認のため私が今日指導するはずだった生徒の名前を告げる。


「はい」


 彼女は私の顔を見てはっきりとそう答えた。まじか。そんな言葉が漏れそうになったのを何とか抑える。人を見た目で判断してはいけないというが、これはあまりに極端だ。


「その姿を見るに、反省してるみたいね」

「はい……いくら三上みかみ先生に会いたいからってやりすぎました」

「うんうんそう……って、え?」


 あまりに自然な流れで可笑しなことを言うものだから反応が遅れてしまった。えっ、今私に会いたかったからって言ったわよね? 目の前の真面目そうな女子生徒の言動に戸惑っている間にも、彼女は発言を続ける。


「先生もお忙しいのに、お仕事を増やしてしまって……でも、どうしても先生に伝えたいことがあったんです」

「そ、そうなのね」


 なんなのこの子。まるで自分は普通でおかしいのは貴方だというように冷静すぎる口調で語っている。


「でも、私と話したいからってあんな格好をしなくてもいいでしょ」


 ともかくこの空気にのまれないように彼女に冷静な言葉を返す。すると、彼女は急に私を責めるような目を私に向けてきた。


「先生、いつも不真面目な奴らにかかりきりで話せるタイミングないじゃないですか」

「いや、言ってくれればちゃんと時間を」

「だから、こうやって確実に先生と二人きりになれるようにわざと不良もの見た目を真似したんです」


 桜さんは私の弁解を有無を言わさぬ圧でかき消した。まずい、これはまずい。具体的に何がまずいかは分からないけど、私の30年の人生経験が煩いくらいの危険視号を鳴らしている。


「……それで、私に伝えたいことってなんだったの?」


 しかし生徒指導でこの場にいる以上、逃げ出すわけにもいかない。彼女がこんな回りくどいことをしてまで私に伝えたかったことを聞き出す義務が私にはある。私がちゃんと話を聞く体勢になったと認めると、彼女はゆっくりと口を開いた。


「愛しています、三上先生」


 夕日が差し込む狭い放課後の生徒指導室で、柔らかな微笑みをたたえながら彼女はそう言った。生徒指導室で生徒が先生に愛の告白。後にも先にもこんな事象はここでしか起きないであろう異常事態。


「いや、その、桜さん」

「三上先生が結婚していないことも恋人がいないことも全部知ってます。先生が生徒に手を出すなんてできないというのなら卒業まで待ちます。だから、誤魔化さず答えてください」


 私が返答する前に、彼女は半ば脅迫じみた圧で私の誤魔化しを封じた。二人きりの生徒指導室のなかに沈黙が流れる。いつもなら私が不良に向けている、答えを引き出すための圧力を逆に私がかけられている。


「私は……」


 策に嵌った哀れな大人は、目の前の少女に答えを出すことを強いられた。緊張の中私が絞り出した本音を、後悔するかはまだ分からない。


 でも……


「わかりました」


 さっきまで狂気を孕んでいた彼女の目は、理性ある優等生の目に戻った。どうやら今現在の危機には対処できたようだ。安心して胸を撫で下ろすと、不意に私の唇に温かいものが触れた。


「今はこれだけ、許してください」


 突然のことで私は彼女の顔を見ることができなかった。何か言おうと駆けだした彼女に手を伸ばしたが、それは虚しく空を切った。いつもは生徒と共に出ていく生徒指導室に一人残される。私の唇にはまだ彼女の感覚が残っている。


 身体全体の力が抜けて、椅子に寄りかかる。ふぅ、と長い溜息をついてから机の上に彼女が残した反省文を手に取る。そこには自分の非行に対する反省ではなく、私への愛の言葉が綴られていた。


「……また明日呼び出さないとね」


 私は反省文を生徒に読み上げさせるのだ。それが反省に繋がると思っているから。二十枚の原稿用紙の束を整えて、私も生徒指導室の外に出た。


 廊下から外を眺めると、学校が終わりを告げる夕暮れのなかで、かえろかえろとカラスが鳴いていた。不確定な未来の中で、それだけは確かだった。

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罠に堕ちる音 SEN @arurun115

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