エピローグ
「何事にも金がいる。世界を壊すのにも、だ」
八木は言う。
「この一週間でいくら稼いだ? たぶん、一億はくだらないんじゃないか」
髭が伸び、いくぶんやつれた顔で、彼は一人つぶやく。
廃工場の中だ。八木の寝床である。
がらんとした工場の隅にしゃがみこみ、背中を壁に押しつけて、ぼそぼそとしゃべり続ける。
八木の両手が、メモパッドのようなものを開いた。折り畳み式のホワイトボードだ。八木はそこへ、何かを書き込む。
『金額は覚えていない。それはお前の仕事だ』
「そう。そうだね」
『金が溜まったら、みんな破滅させてやる』
「いい考えだ」
『これまで何人殺した?』
八木は天井を眺めるように頭を傾げる。
「五十人弱ってところか? インターホンを押して、金をあるだけ渡させて、後は足がつかないように自死してもらってる」
『足りないな。俺たちの存在が噂になるまで、もっとだ』
「すでに噂になりかけてるらしいがね。名誉なことに、二つ名まで授かったみたいだ。悪魔の手、ならぬヤギの
『誰も彼も、十分な恐怖を与えてから、追い詰めてやる』
「うん。いい考えだ」
八木は陶酔したように頷く。
「それにしても、一昨日のあれは何だったんだ?」
『一昨日?』
「一人だけ、お前でも操れなかったやつがいただろう?」
『あの女か』
唯一の失敗。八木は標的を操ることができず、金を得られなかったどころか、再び警察の世話になるところだった。
「いつもはお前の書いた『金を出せ』を見せるだけで一発なんだけどな」
『文字が突然消えたように見えた』
「そう、俺もそう見えた」
八木は頭をぎこちなく振りながら、「意味が分からん」とつぶやく。
「まさか、あの女も――『真比』って名字だったか?——俺たちみたいに、言葉で他人をどうこうできるってわけじゃないだろうな」
『あり得ない』
「そうだよな。都市伝説でもあるまいし」
『都市伝説?』
「最近流行ってる噂話だよ。確か名前は――」
がちゃり、と扉の開く音が聞こえた。厳重に施錠をしてあったはずだ。
八木は立ち上がる。小さなホワイトボードから手が離れる。ボードは首から下げたストラップの先で、ぶらんと垂れ下がった。
電気の通っていない廃工場は暗い。しかし、闇の向こうで、何かがうごめいているのをはっきりと感じた。
「誰だよ?」
八木が声を掛ける。返事はない。
代わりに、砂利石を踏みつける音が聞こえた。一歩ずつ、八木のもとへと近づいてくる。
月の薄明かりで、八木の眼はわずかに、その姿を捉えた。
警備靴。サスペンダーズボン。帯革。手袋。ジャケット。防弾チョッキ。
そして、細かな文字で覆われた頭部。
「実在したんだな」
緊張感のない声で、八木は喜ぶ。
「俺たちの天敵になるとしたら、お前みたいな化け物しかいないと思ったよ」
八木の言葉にも、それは応えない。
無言で、八木との距離を詰めてきている。
「来いよ、
二人は、正面から対峙した。
クチカジルヤギ 葉島航 @hajima
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。