第1話

 滝川理恵は供述調書を眺めながらため息をつく。

 留置されている者との面接は、いつも気が重い。常に冷静であるよう心掛けているが、理恵のようなベテランの心理士でさえ、感情を揺さぶられることは少なくない。

 被鑑定人の身勝手な犯行動機に怒りを覚えるとき。被鑑定人が追い込まれた状況に同情をかき立てられるとき。被鑑定人の過剰な妄想やファンタジーに戦慄するとき。

 理恵は常に、面接室の端に植物を置くようにしている。ローズマリー、カミーラ、パキラ。それらは、面接相手に対する心理的効果をねらうものではない。理恵が自分の専門性を担保するために開発してきた、一種のテクニックと言えた。

 理恵は植物を、ビデオカメラに見立てているのである。面接相手と自分が映り込むよう(もちろん、それがビデオカメラであったなら、の話だ)、置く角度や高さを調整する。面接の中で、植物を視界にとらえるたび、理恵はそこに映る景色を想像する。

 自分が何をどんなふうに問い掛け、相手が何をどんな調子で答えたのか。それに対して、自分はさらにどんな反応を返したのか。何の主観も交えない、自分と相手の相互作用だけが浮かび上がる。

 理恵はそういった架空の映像をもとに、「少し前のめりすぎるかしら」「ちょっとだけ、自分が揺さぶられているわね。深呼吸」などと少しずつ自分の行動を調整するのだ。

 そうして今、彼女はいつもどおり植物を配置し――今回はオーソドックスにサンスベリアを置いてみた――、面接相手がやって来るのを待っているのである。

 言ってみれば、面接は「現象」だ。鑑定人と被鑑定人が言葉を重ねる中で、霧のように何かが立ち現れてくる。鑑定人の取りまわしや被鑑定者の受け答えではなく、その「現象」こそが面接の心臓と言える。だからこそ、鑑定人は面接全体を俯瞰して見なければならない。

 今回はどうなるかしら。

 理恵は調書を指でなぞる。今回彼女が相対するのは、詐欺事件の被告らしい。保険会社や訪問販売の営業を装って相手を口車にのせ、金銭を奪取する手口だ。特段目新しいとも言えず、むしろネット詐欺が急増する現代にあっては古めかしい方法にも思える。しかし、被害者は分かっているだけで二十人を超えるらしい。それをグループではなく一人でやりおおせたというのだから恐れ入る。

 ただ、それであっても簡易鑑定ではなく本鑑定となるのは不可思議だ。そもそも詐欺事件で鑑定留置となること自体が珍しいにも関わらず――用意周到に計画された犯行について「正常な判断ができなかった」なんて話が通じるだろうか?——本鑑定へともつれ込むとはただごとではない。

 相当サイコな相手なのかもしれない。

 だとすれば、面接が長引く可能性もある。基本的には二、三回で済むものだが、場合によっては回数を重ねなければならない。

 調書の上部に、被鑑定人の名が印字されている。白く冷え切った電灯に照らされて、インクが粘着質に光った。

 八木羊介。

 これからどんな「現象」が始まるのか、理恵にはまだ分からなかった。

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