クチカジルヤギ

葉島航

プロローグ

 バスは、いつ果てるとも知れないトンネルの中を進む。

 車内は薄暗い。オレンジ色の照明が、断続的に座席の上を横切る。

 乗客は二人だけだ。

 進行方向に向かって左側の座席に、若い男が一人。派手な柄物のシャツから伸びた腕を組み、革のブーツを見せびらかすように、足を前の座席へと投げ出している。何が面白いのか薄ら笑いを浮かべ、通路を挟んで右側の座席へと時折視線を送る。

 右側の座席には、一人の少年が丸まっている。七、八歳だろうか。律儀に靴を脱いで体育座りの姿勢をとり、膝に顔をうずめた格好だ。

 少年は泣いているようだ。か細い嗚咽が漏れ聞こえる。

「なあ、ぼうや」

 若い男が声を掛ける。決して同情心や父性がそうさせたのではないと分かる、あなどるような口調。

「泣いていたって仕方ないさ。このバスがどこに行くのか、俺たちは知らない。あの運転手が何を考えているのかも、俺たちには分からない」

 そう言って、男は運転席を指さす。

 細い腕が、ハンドルを握っている。黒いジャケットに、白い手袋。若い男や少年のいる後部座席からは、それしか見えない。

 照明の横を通過するとき、バックミラーに運転手の顔が一瞬だけ映り込む。

 その顔は真っ黒だ。もやで包まれたようにつかみどころがなく、しかしタールを塗ったようにのっぺりとした球体。

 顔のない運転手は、バスを走らせ続ける。

 少年の嗚咽は止まらない。

「楽しもうぜ、ぼうや。まあ、しばらくはそうやって縮こまっているのがお似合いだ」

 バスが一段とスピードを上げる。トンネル特有の走行音が、一段と反響を増していく。

 若い男は口を閉じた。少年は泣き続けている。

 バスは進んでいく。いつ果てるとも知れないトンネルの中を。

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