第49話 もちろん混浴などではなかった。

「ここは……すごいな」


 函山の旅館は何というか、物凄くオブラートに包んだ言い方をすると隠れ家的なたたずまいだった。ちなみにオブラートに包まないと、自然に飲み込まれてる廃屋みたいだった。


 壁面は葛が前面にびっしりと張り巡らされており、ガラスは埃が積もっている訳でもないのに、随分と曇っている。木造の内装に至っては、歩くたびにミシミシと音が鳴っている。


「とりあえず部屋に荷物を置いちゃいましょ。ちくわちゃんも休ませたいし」

「あ、ああ」


 その圧倒的オンボロさに圧倒されていた俺は、柴口さんの言葉に我に返る。そうだ、愛理が今限界に近いんだった。ショウビジネスに関わるものとしての矜持か、吐いてはいなかったが、限界を迎えそうでははあるので、早いところ休ませないとな。


「大丈夫か?」

「うん……」


 愛理の分の荷物を抱えつつ、彼女に声を掛けると、幾分か調子を戻したようで、少し顔に血色が戻ってきていた。


 受付を済ませると、鍵が三つ手渡され、俺、柴口さん、愛理と紬ちゃんで三つに分けることにした。


「あれ、柴口さんだけで一部屋?」

「スタッフ用、男性用、女性用の三つよ。それともモブ君は私と一緒の部屋がいい?」

「いや――」


 女性と一緒の部屋はちょっと……と、言いかけたが、そう言えば柴口さんって性別どっちなんだろう。口調からして女の人なのだが、よく考えると業界人でオネエ口調の男って可能性あるし……


「どうしたのモブ君? 急に黙っちゃって」

「な、なんでも無いです。部屋割りはこのままで行きましょう」


 ……なんだろう。確認しちゃいけない気がしてきた。なんにしても、愛理の荷物を運ばないといけないので、俺は紬ちゃんと愛理のいく方向へついていく。


「あ、優斗さんついでに私のも持ってー」

「あいよー」


 三人分の荷物を担いで部屋に入ると、ボロいなりに掃除が行き届いていた。テレビも随分分厚くて小さいが、ガイドを読むとそれなりにサブスクが充実していそうだった。


「ここでいいか?」

「大丈夫だよ」

「ありがとね、優斗」


 二人に確認を取ってから、俺は荷物を置いて部屋を出る。俺の部屋はすぐ隣なので、ドアを開けて荷物を放り投げた。


 それにしても、他の宿泊客が全然見えないな、貸し切りとかなんだろうか? あるいは単純に人気がないとか? あの外観を見るに、両方の可能性があるな……貸し切りなら貸し切りにしやすそうな寂れ具合だし、これだけ年季が入ってると宿泊客も少なそうだ。


「ふぅ」


 息を吐くと、俺は部屋の間取りを確認する。どうやら一人で使う想定をしていなかったようで、隣の二人部屋と同じくらいの広さがあった。みんな京都と南半球に行ってるだけあって、何とも贅沢な使い方ができそうだ。俺はこの古びた旅館を楽しむために、考え方を変えてみることにした。


 さて、布団のチェックも終わった事だし早速風呂に入ろうかな。そう思って荷物をガサゴソと漁る。タオルとー……替えの下着とー……着替えは浴衣を使えばいいか、あ、でも浴衣だとちょっと寒いからなんか下着以外にも羽織るものあってもいいな。


 そんな事を考えていると、ドアがノックされる。


「はーい」

「優斗さーん。私お風呂行ってくるねー」

「そっかー、俺も後で行くわー」


 紬ちゃんが上機嫌に歩いていく足音が遠ざかったところで、俺は風呂の準備を終える。最近の気密性が高いホテルならオールシーズン薄着で問題ないのだが、この旅館は古い上に日本家屋らしい作りだったので仕方ない。


 さて、早いところ俺もひとっ風呂浴びよう。そう思ってドアを開けると、丁度愛理が出てきたところだった。


「あ、優斗。今からお風呂?」

「とりあえず一回入っとかないとな……っていうか紬ちゃんと一緒に行ってなかったんだな」

「うん、あの子すごく楽しみにしてたみたいで、温泉に入る用の荷物を纏めてから荷造りしてたから」


 なるほど、効率的というか頭がいいというか。しかしそこまで楽しみにしているのは、どこか年相応というか、子供っぽくて微笑ましくもあるな。


「愛理も随分体調良くなったみたいじゃん」

「まーね、バスから降りたらこんなもんだよ」


 そう言って愛理はえっへんと胸を張る。ついさっきまで吐きそうになってたとは思えないな。俺は思わず苦笑した。


 事実、話しているうちにも体調が上向いてきているようで、随分表情が明るくなっていた。


「じゃ、俺は温泉行くから」

「え、待ってよ、ボクも行く!」


 ボクも行く……って男湯女湯で別れてるんだから、一緒に行っても意味ないだろ。そうは思ったが、愛理は当然のように部屋に戻って行ってしまった。仕方ないな、待つか。


「――っと、お待たせ!」


 部屋の方でガサゴソ音がして、しばらく経つと愛理が着替えを持って出てくる。


「じゃあ、行くか」

「うん、早く行こう!」


 ……本当にバスから降りると体調がすごい勢いで回復するんだよなあ。

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