X 書籍化記念短編 慰安旅行に行こう
第47話 嬉しい筈なのに、この損をした気分は何だろう
秋も深まり、街路樹が緑から茜色になった頃。俺は深河プロダクションへの道を歩いていた。空は見事なまでに晴れ渡っていて、行楽日和という感じだ。
相変わらずモブが俺だとバレる気配もなく、安定した日常を送れている訳だが、そんな時、深河プロダクションから柴口さんを通して連絡が来た。
「慰安旅行に行きましょう」
なんでも年末にかけてはネット・リアル共にイベントに大攻勢をかけるらしく、それに向けて英気を養ってもらうため、とのことだった。
秋というと、芸術とかスポーツとか食欲とかいろいろあるが、紅葉も本格的に始まって肌寒い日が続く今、慰安と言えば温泉旅行だろう。
深河市から山の方へ行ったところに函山市という場所があり、そこはけっこう有名な温泉街だ。近場だし温泉だし、という事で、俺は三つある行先の内、そこへ行くことに決めたのだった。
深河プロダクションのビルに入って受付で要件を告げると、柴口さんはしばらく待たないと来れないようだった。
まあ、あの人はあの人で忙しいからな。俺は時計を見て時間に余裕があることを確認すると、欠伸をしてロビーのソファに座る事にした。
「あ、優斗さん!」
ぼけーっと「周りから見たらサボってるADか何かに見られるのかなぁ」とか考えていると、俺を呼ぶ声が聞こえた。
「おはよ、紬ちゃん。仕事?」
声のした方向を見ると、猫耳フードを揺らして紬ちゃんが駆け寄ってきた。
「ううん、慰安旅行の待ち合わせ、それより、昨日の配信見てくれた?」
「え、あー……途中まで」
昨日はバイトの後にダンジョンでマンダの強化素材を掘っていたので疲れていたのだ。起きた時には額にキーボードの配列が並んでいた。
「えー、ひどーい。ちゃんと最後まで見ててよ!」
「ご、ごめんって。俺も今日から慰安旅行だから、その移動中に残りを見ておくよ」
バスにWi-Fi搭載してるだろうし。
「へー、優斗さんも今日からなんだ。どこに行くの?」
「函山温泉。近場だし温泉入りたかったからな」
俺がそう答えると、紬ちゃんはパッと表情を変えて抱き付いてきた。
「わっ!? とと……」
「ホント!? 私と同じじゃん!」
小さいながらもダンジョンで活動しているストリーマー、スキルの補正がないダンジョン外だとしても、結構な身体能力を持っていた。
「ねえねえ、部屋割りどうなってるかな? 一緒の部屋だといいね!」
「ちょ、ちょっと……苦し……」
男女で部屋は当然分かれてるだろ。っていうのと、この姿を周りが見たらまた燃えそうだからやめなさい。っていうのを伝えたかったが、それ以上に抱き付きが強すぎて、俺の骨がミシミシ言っていた。死ぬぞ。
なんとか脱出して息を吐く。あの時は色々成長したんだなと思ったが、どうやらそう簡単には性根は変わらないらしい。
「紬ちゃん」
「なぁに? 優斗さん」
「周りの目があるところでこういう事をするのは止めなさい」
「それって周りの目がなかったらやっていいって事?」
どうしよう。紬ちゃんがあまりにもぐいぐい来る。俺は助けを求めて周囲に視線を走らせる。柴口さんがそろそろ来てくれるといいんだが――
「……優斗」
「あ」
どうやら、愛理も深河プロダクションに用があったようで、見事に鉢合わせてしまった。
「何してるの?」
「い、いやこれは不可抗力というか、紬ちゃんの方から――」
明らかに不機嫌な愛理に、俺は両手を振って言い訳する。なんだろうこの浮気がばれた彼氏みたいな言い方は……必死で取り繕う俺と、それを冷静に俯瞰する俺の二人が居た。
「お待たせモブ君! 実はあと二人、一緒に行く人がいるんだけど――ってあら?」
完全に冷え切った空気の中、柴口さんが現れる。この人が今この瞬間よりもありがたいと思った瞬間は無い……
「丁度いいじゃない! 全員揃ったわね!」
そう思った途端、柴口さんはそんな事を言って両手を合わせた。え、温泉って結構皆行きたがるもんだと思ってたけど……
「あれ、柴口さん。私達だけしか居ないんですか?」
俺の疑問を、愛理が代わりに聞いてくれる。他は確か、海とか山の写真だったし、ここが人気だと思ったんだが、どうもそうではないらしい。
「ええ、他の二つは京都で紅葉を楽しみつつ。っていうのと、南半球でバカンスだったから、近場の函山温泉は不人気だったのよね」
『えっ!?』
俺たち全員がスマホを開いて確認する。
慰安旅行・行先候補
A函山で湯治
B京都で紅葉と豪華料理
C南半球のプライベートビーチでバカンス
「……」
よく確認しておくべきだった。というか明らかに京都が函山の上位互換過ぎる。二人を見ると、どうやら同じ感想を抱いたようで、これから楽しい慰安旅行だというのに、早速出鼻をくじかれていた
「ま……まあゆっくりして楽しもうぜ! 二泊三日!」
意図せず重い空気になってしまって、状況が呑み込めない柴口さんに代わって俺は努めて明るく宣言した。
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