第41話 珠捏ねこまの奮起
いつも夕飯を食べるテーブルの席に着いて、私は呼吸を整える。何回目かはわからないけど、深く吸って、深く吐く。部屋の照明はどこも切れていないのに、不思議といつもより暗く感じる。私は心から沸き上がる不安を、何とか吐き出す息に乗せて身体の外へ出そうとしていた。
今やろうとしていることは、人生で初めてのことかもしれない。思えば、やってほしい事は大体全部、周りが察して動いてくれていたような気もするし、ママと正面切って会話するのも、何年振りか分からなかった。
『二人とも、リスナーを楽しませるために出来ることをやってるんだ。馬鹿にするな』
優斗さんの切り抜きを見直して、勇気を貰う。私は出来ることをやってきた。そしてできる事しかやってこなかった。
ストリーマーとしてやっていきたかったけど、説得できないような気がして、マネージャーに交渉を任せた。チャンネルが炎上しても、許してもらえないかもしれないから、謝るのは事務所に任せた。だから、私には何の責任もないって思いこんでいた。ただ、好きな事だけをやっていればいいと思っていた。
そんな私にとって、あの言葉は救いだった。だけど、それだけじゃダメだって気付いた。好きな事、やりたい事をするためには、できないかもしれない事、嫌な事もしなきゃいけないんだ。
――でも……変わらなかったら?
――俺が紬ちゃんの家に乗り込んで紬ちゃん、俺、紬ちゃんのお兄さんの三人で説得する。
お母さんの説得ができないかもしれない。そんな不安に覆いかぶさられそうになった時、優斗さんが言ってくれた言葉は、私の中で未だに反響を続けている。
もしダメでも、助けてくれる人がいる。私が諦めなければ、支えてくれる人がいる。そう思うと、私の胸にある重くドロッとした感覚が、薄れていくのを感じた。
「ただいまー」
玄関の方から声がして、ママが帰ってきたことがわかる。私はスマホをしまって、ママが来るのを待った。
「お、おかえり……あ、あの……」
部屋に入ってきたところで、私はママに声を掛ける。
「あら、珍しいわね、紬がこの時間にリビングにいるの」
ママは買い物袋を台所に置くと、私に笑いかけてくれる。よかった。今日は機嫌が悪くないみたいだ。
「えっと、お願いがあって」
「何かしら?」
本当に言っていいのか、私の中にそんな疑問が浮かぶと、唐突に喉が詰まったように、声が出なくなってしまった。
「あ……その……」
ストリーマーを続けたい。そう言うだけなのに、私の喉は固まってしまったかのように動かない。
痛いほどの沈黙が続く。自分が「やりたい」って言うだけなのに、こんなに勇気が必要だなんて思いもしなかった。
「ふぅ、話なら後で聞くから、まずはご飯作るわね」
「ま、待って!」
ママが夕飯の準備にとりかかろうとしたところで、私は引き留める。
「……わ、私、ストリーマーやりたい。心配させちゃうけど、でも、私は配信が大好きだから」
引き留めた時に出た言葉でつかえが取れたように、そのまま私の言いたいことまで全て言い切ってしまった。
また沈黙が訪れる。
どうしよう。ママはどう思ってるんだろう。だめかもしれない事をするのって、こんなに大変だったんだ。
でも、私はこの気持ちを押し通すつもりでいた。なぜなら、私がしたいから。そう、配信は私ができる事じゃなくて、私がしたいことだから、そうしなきゃいけない。
「はぁー……」
溜息が聞こえる。怒られるような気がして、私は首を引っ込めた。
「ストリーマーやりたいって、もうあなたやってるじゃない」
「あ、え、そ、そういう事じゃなくて――」
呆れたようなママの言葉に、私の言いたいことが、私の中だけで空回っていたのに気付く。
「分かってるわよ、昨日はあなたが『楽に稼げそうだから』とかそういう理由でやってそうだったから、不安になっただけ……その言葉を聞けて安心したわ。ごめんなさいね」
言葉をつづける前に、見通されてしまった。私はまた首を引っ込める。その理由は、恐れではなく気恥ずかしさだった。
「隼人も――」
「……?」
ママがキッチンに向かいながら、小さく呟いた。
「もしかしたら、そうだったのかもしれないわね」
その言葉の中にある後悔のような、自嘲のような感情は、私には理解できなかった。
――
「ねこまちゃん」
「はーい。マネージャー。一昨日ぶりだね」
私はママから許可をもらった後、すぐにマネージャーに電話を入れた。すると、翌日の午前中に時間を取ってくれて、私は朝から深河プロダクションのミーティングルームを訪れていた。
「それでー、電話でも話したと思うんだけど、そろそろ謹慎解除……どうかな?」
「それは……ねこまちゃん次第よ」
マネージャーは真剣な顔で私を見る。ああ、こんな顔してたんだ。
私はマネージャーの顔を初めて真正面から、見たような気がした。何度も顔を合わせていたはずなのに、とてもそれがおかしくて、思わず口元が緩んでしまう。
「私次第、なら私は絶対に復帰したい。マネージャーはどう考えてるの?」
私はマネージャーの意思を聞くけど、それは分かり切っていた。なぜなら、復帰させたくないなら、一昨日あんなに取り乱すはずがなかったから。
「……せめて、問題を起こさないって信じられるようになるまでは、難しいと思っているわ」
「じゃあ、信じさせてあげる」
私はそう言って立ち上がる。前までなら、ふてくされてそっぽを向けば周りが何とかしてくれたけど、今は違う。自分がやりたくて、それを応援してくれる人がいる。それだったら、私も全力でやる。失敗しても受け止めてくれる人がいるから、失敗を恐れない。
「だから、私に何をすればいいか教えて、マネージャー」
そして、マネージャーも本当は味方なんだ。だから、私は味方を増やすために、どんなことでもする気持ちだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます