第39話 疲れてんのかな、と思った。

 深河プロの社屋から紬ちゃんの家までは、そこまで遠くはなかった。俺たちはその紬ちゃんの家に行く予定だったが……


「今の時間だと、ご両親もお兄さんも仕事に出ている筈だから、ねこまちゃんは家に一人のはずよ」

「三人で家に押しかけるって、なんか圧迫感ないか?」

「じゃあ近場のファミレスかどこかに出てきてもらおうよ」


 という三人の会話により、彼女の最寄り駅に近い喫茶店で集まる事になった。


 ふさぎ込んでいる彼女がそれに応じてくれるかは不安だったが、メッセージの返信に「わかった」と書いてあったので、俺たちは深く息を吐いた。


「……」


 俺達が到着すると、既に紬ちゃんはテーブルでフラペチーノを半分ほど飲んでいた。どうやら連絡を入れてからすぐに来てくれていたらしい。


「おまたせ」


 俺もカウンターで抹茶ラテを買い、愛理と柴口さんも各々の飲みたいものを買って席に着く。


「遅いよ」

「ごめんごめん、こんなにすぐに来るなんて思わなかったからさ」


 頬を膨らませる紬ちゃんをいなしつつ、俺は抹茶ラテを啜った。甘さの中にお茶特有の風味があって、俺はその匂いが好きだ。


「ねこまちゃん、早速だけど――」

「あ、マネージャー、私引退することにしたから」


 話をしかけた柴口さんが、その言葉を聞いて弾かれたように立ち上がって、紬ちゃんに覆いかぶさった。


「なんで!? ダメよねこまちゃん! そんな事言っちゃ!」

「柴口さん……落ち着いて」


 愛理が柴口さんを引きはがす。俺もいきなりのことで驚いてしまった。一体どういうつもりなのだろうか。


「俺にも聞かせてくれ、紬ちゃん」

「……」


 彼女は答えない。じっとうつむいたままだ。


「配信が嫌になった訳じゃないんだろ?」

「……ん」


 小さく頷く。彼女の気持ちは変わっていないことに安堵をした。


 しかし、だとすればなぜ辞めると言い出したのか、それを俺は考える。


 事務所からの配信禁止令がきっかけにはなっているだろうが、それが理由ではない事は分かる。なぜなら、事務所からの配信禁止だ。だから、事務所を抜けてしまえば配信は出来る。アカウントを転生したところで、彼女自身についているファンはいるだろうから、変わらず配信は続けることができるはずだ。


 そして、炎上が怖くなったわけでもないだろう。今まで、珠捏ねこまは相当な回数の炎上を体験している。ならば、炎上に対する恐怖を持っているなら外を出歩くことはこわくてできない……と、思う。


「ねこまちゃん。じゃあどうして?」

「……」

「家族、か?」


 俺がたどり着いた答えに、紬ちゃんはまた小さく頷く。


 家族に反対されている。と言ったところだろうか、まあ、あれだけ問題行動ばかり起こしていたら、そりゃ反対もされるか。


「まさか、まだお母さん納得してないの!?」

「柴口さん?」


 事情を知っていそうなので、詳しい説明をしてもらう事にした。


 紬ちゃんは母子家庭で、彼女の母親は「珠捏ねこま」の活動に当初から否定的だった。そして、彼女の兄が味方する形で、ストリーマーとして活動するようになったのだそうだ。


「ああもう! また振り出しからなんて!」

「愛理、柴口さん引き離して」

「はーい」


 俺は愛理にそう言って、騒ぎ続ける柴口さんを遠くへ追いやった。多分、これは俺たちだけで冷静に話したほうがよさそうだ。


「……紬ちゃん。好きな事を諦める必要はないよ」

「でも、ママもマネージャーもダメって言うし……あ、優斗さんが応援してくれるならまだ頑張れるかも」

「配信が好きなんだろ。じゃあ、それだけでいいし、みんなそれを応援する事は出来るんだ……だけど、紬ちゃん本人が『やりたい』と強く意思表示しなければ、全力で応援することはできない。どこまで行っても『多分紬ちゃんのためになるだろう』っていう事しかできない」


 きっと、最初に出会ったころや、配信中の彼女は本当の彼女ではないように感じた。自分勝手で、他人の事を考えない「珠捏ねこま」なら、親が何かを言ったところで、気にしないはずだった。今目の前にいる、内気で自己表現が未熟な「猫島紬」が本当の彼女だからこそ、そうすることができないのだ。


「君自身の言葉で、もう一度お母さんと話してみてくれ、きっと、それだけでも変わるはずだ」


 なんとか、言葉を選びつつ、俺は紬ちゃんに話しかける。


「でも……変わらなかったら?」

「俺が紬ちゃんの家に乗り込んで紬ちゃん、俺、紬ちゃんのお兄さんの三人で説得する」


 もしかしたら柴口さんも加わって四人になるかもな。と付け足すと、ようやく紬ちゃんは笑みをこぼした。


「ふふふっ、うるさそう」

「ああ、ダメでもなんとかするから、とりあえずぶつかってこい」


 俺は拳をつよく握って、紬ちゃんを勇気づけた。



――



「結局、優斗が全部やっちゃったじゃない」

「楽でよかったろ?」


 帰りの電車、柴口さんと別れた後に俺と愛理は座席に座って話していた。時間的にはもうすぐ帰宅ラッシュが始まる時間なので、タイミングが良かったな。


「それはそうなんだけど……ズルいなぁ」

「まあまあ、たまには華持たせてくれよ」

「そういう事じゃなくて、猫島ちゃんが――」

「紬ちゃんが?」


 ズルい。とはどういう意味だろう。少なくとも、紬ちゃんと違って愛理にはストリーマーをする障害なんてない筈だけど。


「な、何でもないっ!」

「え?」


 よくわからない言動をする愛理に、俺は首をかしげた。

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