第35話 バイトは十三時から

 意識の遠くで、携帯のアラームが鳴っている。耳栓越しでも聞こえるように、音量を最大にしておいて良かった。寝ている間にアイマスクは外れたようで、窓から差し込む光が眩しい。


「ん……」


 昨日は疲れていたが、目が覚める時間はそこまで遅くならなかったようだ。カーテンの隙間から見える太陽は、まだ東の空にある。


 ……さて、愛理はもう目を覚ましてダンジョンに行ってるかな? そう思いつつ体を起こそうとすると何やら体に重いものが引っ付いていた。


「何だ?」

「んぅ……えへへぇ……」


 愛理が俺に抱き付いて眠っていた。


 ……え? どういう事? 思考が止まる。いやいや、そんなことをしている筈がない、俺は昨晩の流れを急いで思い出す事にした。


 俺が寝るときは、愛理はゲームをしていた。そして俺は愛理が風呂に行ったあたりからは完全に記憶がない。ということは、多分一線は超えてない。まずそこは安心してよさそうだ。


 とりあえず冷静になるため、耳栓を外してスマホのアラームを止める。時間を見ると十時前、昼からのバイトには充分間に合いそうだ。


「おい愛理、起きろ」

「え……朝?」


 肩を揺すって起こすと彼女は事の重大さを理解していない表情でだらしない返事をした。


「なんで一緒のベッドで寝てるんだよ」

「眠かったから……」


 眠いからって、それは理由にならないだろ。俺は溜息をついて、愛理の体を離してから起き上がる。


 寝袋はテレビの裏で、ゲーム機のコントローラーもそこら辺に転がっている。そしてスナック菓子は食い散らかしたまま、なんとなく状況が見えてきた。


 つまり、彼女はゲームの負けが込んで投げ出すと、風呂に入り、その後寝袋を用意するのも面倒で俺の布団にもぐりこんできたという訳だ。


「……? どしたの?」

「あのな愛理、お前は意識してないのかもしれないけど、俺とお前はいい歳した異性なんだから、こういう事は止めておかないとダメだぞ」


 寝起きで下半身が元気なのも含めて、色々とこの状況は危険だった。


「ふーん、ねこまちゃんは良いの?」

「ぶふぉっ!?」


 紬ちゃんの名前を出されて、俺は思わず吹き出した。一期に頭が覚醒する。


「い、いや、なんで紬ちゃんの事――」


 言いかけたところで、近々返そうと思っていた彼女の靴下を突き付けられる。あ……そういえば鞄の中に入れとくとか、隠しておくとかして無かったな。


「紬ちゃん!? 優斗そんな何時から名前で呼び合うようになったの!?」

「いや、待て、話を聞け、多分お前が考えてるような事は起きてない。柴口さんに聞けば分かる」


 何とか落ち着かせるように、俺は愛理に説明をする。


 配信を終えた後、終電間際の紬ちゃんを保護した事、そして彼女を俺の家で保護し、柴口さんに連絡した上で夕飯と風呂を提供した事、そのあとで柴口さんが俺の家まで来て、彼女を保護して帰った事。それらを当時のやり取りをメッセージを見せながら行う。


「な、そういう訳だから、多分その時に忘れて行ったんだと思う」

「なるほどねー……」


 まだいまいち納得しきれていないようだったが、なんとか愛理は信じてくれるようだった。


「まあ、なんにしても、俺が燃えたら愛理も大変だろ、これから先は気を付けるから、それで勘弁してくれないか?」

「うん、それでいいよ。ボクも泊まってるしね」


 そんな事を言いつつ、愛理は俺に身体を預ける。その瞬間また心臓が激しく跳ねる。


「ちょっ……お前……!」

「えー、良いじゃん。まさか、優斗はボクの事嫌いじゃないよね?」


 そう言いながら、彼女は俺に顔を近づけてくる。大きく透き通るような瞳を向けられて目を伏せるが、その先にあるのはパジャマの隙間から覗く胸の谷間で、俺は余計に心を乱されてしまう。


「いや、まあ……好きだけど」


 もう、そうなってしまうと抵抗は無理だった。


 彼女を見ないように、消え入るような声で、小さく自分の本心を口にすると、彼女の動きが止まる。


「……」


 止まったまま静止する。時間にすれば数秒だったと思うのだが、俺にとってその時間はいやに長く感じられた。


「ふ、ふふーん! そうでしょ、ボクはみんなから好かれる大人気ストリーマーだからねっ!」

「あ、ああ、そうだな」


 愛理は身体を離してピースサインをする。幸いなことに彼女は「好き」をそう取ってくれたようだった。


 ……いや、あるいは、俺の気持ちを分かったうえで、気持ちを受け入れられないからこその受け取りなのかもしれない。どちらかは分からないし、確認する勇気もなかった。


「よし、じゃあ昨日の片付けをするか」

「朝ごはんは?」

「悪いけど買い置きはねえ、片づけ終わったら昼飯と一緒に食っちまうか」

「ういー」


 二人で予定を確認すると、俺たちは各々動き始めた。


 顔を洗ったりトイレに行ったり、そして昨夜楽しんだゲーム機を片付け、スナック菓子の空き袋を纏めてゴミ袋に入れる。


「いやー昨日さあ、全然勝てなくて」

「言っただろ、疲れてる時にやってもいい結果は得られないって」


 適当な話をしつつも、俺はさっきのことが気になっていた。間違いなく立場上、愛理は恋愛ができない。そして俺がチャンネルにゲストとして顔出ししてしまった以上「一般男性と交際中」みたいな比較的軟着陸で済ませることもできない。俺の方も俺の方で、チャンネルという社会的な居場所を作ってしまったため、俺も立場上、絶対に恋愛ができないという事になる。


 寝ぼけて口に出してしまった言葉だったが、愛理はそこまで見越してあの受け取り方をしたという訳か……


「ん? どうしたの優斗」

「いや、お前ってすげえなって」

「当然でしょー? ボクは大人気猛犬系ストリーマー犬飼ちくわちゃんだよー?」


 はは、世間体的にも、実力的にも、俺の恋は実りそうにないな。

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