第3話 応のAとB
船は二人の前で停まった。停まって暫くの間は動かなかったが、少しすると、中から船長が姿を現した。サングラスをかけて、口にパイプを咥えている。密閉された空間でパイプなど蒸かして大丈夫なのかとAは考えたが、口にはしなかった。彼はパイプを咥えていないからだ。
「その言い方、分かる人、いると思う?」立ち上がって、Bが尋ねる。
「まだ、言ってないんだけど」
船長は、如何にも船長と思えるような格好で、冗談と思えるほどだった。頭にシフォンケーキのような形をした帽子を被り、上下ともにセーラー姿だ。白い色が眩しい。赤いネクタイが胸もとに、赤いリボンが帽子に、それぞれ施されていた。
「お待たせしやしたあ」船長が声を出した。直立不動のまま発している。
先に立っていたBに倣って、Aも立ち上がり、彼女と一緒に船の方へと近づいた。接近すると、船が意外にも大きいことが分かった。
「これはこれはお二人さん。今日はどちらへ?」船長が頭上から尋ねてくる。
「この近くに、古書店があるって聞いたんですけど」Aは説明した。「この船で、行けますか?」
「なあにい? 古書店?」語尾を冗長に上げて、船長は問う。
「バイトなんです」
「この船は、どこにでもいける、スーパーマシンよう。だがな、古書店なんて、ちょっと聞いたことがないなあ」
「あ、そう」
「とりあえず、乗せて」Aの隣でBが言った。「走っている内に、見つかるかもしれないでしょう?」
「そりゃあ、お安いご用ぜい!」
they?
船長が笛を吹くと、船体の側面に梯が下ろされた。笛の音は、どうやらパイプから出たようだ。あるいは、彼の声かもしれない。どうでも良いことだ、とAは判断する。
梯は縄で出来ていて、見るからに古びていた。所々に毛が生え、千切れそうな雰囲気だ。
上っている最中に下を見ると、黒く染まった海が見えた。底が知れないとはこのことだとAは思う。Bも同じことを思っただろうと彼は予想した。
「底が知れないとは、このことだ」
下の方から、Bの声が聞こえる。
甲板に降り立つと、すぐ目の前に船長の顔があった。しかし、あるのは顔だけだ。身体はというと、顔の上に付いていた。分離タイプのようだ。
「珍しいですね」Aは感想を述べた。
「私たちとは、違うみたい」
「お前さんたちは、乖離タイプのようですねえ」身体を上に拵えた顔が話す。「こりゃまた珍しい」
もう一度、船長が笛の音を出すと、船はゆっくりと動き始めた。ターンして進行方向を変え、沖に向かって進み始める。
暫くすると、船は徐々に深度を挙げていった。この場合、深度、上げるという言葉は適切だろうかとBは考えるだろうと、Aは考える。潜水艦でもないのに、船はどんどん海の底へ向かっていく。
頭に水がかかったはずだが、その感覚はなかった。冷たくもない。気づいたときには、すでに世界は海の中だった。
目の前を小さな魚たちが泳いでいく。海藻が繁茂し、イソギンチャクが目の前を横断した。海の中には信号機が設置されている。皆、それに従って海中を泳いでいるみたいだった。
「素敵」Bが呟いた。
「君の方が素敵だよ」Aは瞬間的に応答する。
「それ、冗談?」
「うん」
AはBに引っ叩かれる。
BがAを引っ叩いた。
「古書店というのは、どんな場所なんですぜい?」
後ろを振り返ると、船長が立っていた。もう、上半身と下半身の位置は戻っている。急速リカバリータイプのようだ。
「知らないの」Bが言った。「どんな場所だと思う?」
「さあ……」そう言って、船長は顎をさする。「ま、私がどう思っても、何ともなりますまい」
「私、本が好きなの」
「へえ、ほんに?」
「うん」Bは頷く。「海と同じくらい好き」
「基準がよく分からない」Aが応じた。「君が好きなものの中では、海はどのくらいの地位なの?」
「クロック・フロッグ」
「え?」
「その本を探す」
「うん?」
「バイトの内容でしょ?」
「そうだっけ?」
「依頼書を確認してないの?」
「うん、まあね……。読むのが面倒だったから……」
「報酬金、いくらか知ってる?」
「知らない」
「五千三百二十六円」
船長がウクレレを弾き始める。自由な人だとAは思っただろう、とBは思った。船長は演奏に合わせて歌っているが、歌詞はすべて「ル」で構成されていた。彼にとっては、それで何らかの意味を成すのかもしれない。
世界はある一定のルールのもとに成り立っている。
そう思える。
そのように考えることも、そのルールの一側面。
と述べることも、そのルールの一側面。
すべて必然。
必然と考えることも必然。
船長がウクレレを弾くことも必然。
何もかも、すべて……。
「僕が君を好きになるのも必然?」
「きっとそう」
「それでいいの?」
「いいの、きっと」
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