第五空 たまにはお休み休業日
本日は休業日である。
メアリーが来た事でヴァンス一人だけじゃなくなったが、まあいいだろう。
お休みだと決めたのだ。
それを昨日、確かに発表した。
だからヴァンスはのんびり、朝から酒でもかっ喰らおうかと思っていた。
しかし今、彼は一滴もアルコールを摂取していない。
理由は一つ。
「なんでここにいるんだよ!!!」
投げつけられた言葉の先にはメアリーがいた。
休みを出せば、せめてその日は実家に帰るだろう。
そう思っていたが、完全に見込みが外れた形だ。
そんなメアリーは彼の言葉に一切怯まず、テキパキと事務所内を片付けている。
「いや、まあ、ここにいるのは百歩譲って良い。だが、働くんじゃない。」
「いえ、新人は頑張らないといけません。ヴァンスさんは休んで下さい。」
「んなわけにいくか。」
はたきで棚の上の埃を払おうとしたメアリーの手を後ろから掴む。
ヴァンスと彼女の力の差は歴然、手もはたきも動かなくなった。
「あ、あの?」
「休みと言ったら休み、働くのは違反だ。滑走路から放り投げるぞ?」
くいっ、と顎で事務所に併設された小型滑走路を指す。
崖の上に作られた事務所。
その横から空中に突き出すように滑走路は作られている。
ヴァンスとメアリーが仕事を始める時は、ここから飛び立っているのだ。
「返事は?」
「うぅ、はい、分かりました。」
少し語気を強めたヴァンスに気圧され、メアリーはしおらしく返事をした。
はたきを持つ彼女の手も、もう力は入っていないようだ。
それを確認して、ヴァンスは掴んでいた手を放す。
頑張るのは結構だが、頑張り続けるのは良くない。
二百パーセントを一瞬出す事は出来ても、常時百パーセントを出し続けるのは無理。
人間は航空機と同じでフルパワーで動き続ける事は不可能なのだ。
それをすれば、いずれ絶対に反動が来る。
航空機ならば部品を交換すればいいが、人間はそんなに便利に出来ていない。
替えが効かないのだから、意識して適度に休まなければならないのだ。
「ですが、その、意識して休みを取った事が無いので、何をすればいいのか。」
「はぁ?そんな事あり得るのか?あ、いや、お嬢様ならあり得るか。」
メアリーの発言にヴァンスは驚く。
だがアルドメレ社の社長令嬢ならば、やる事は
会社経営の勉強、新旧あらゆる機体の設計や問題の学習。
良家のお嬢様ゆえの習い事も一つや二つじゃない。
果ては、自身の姿についてもその一つなのだ。
彼女の容姿は優れている。
それはヴァンスも認めている事だ。
だが、何もしなくてもその姿であり続けるわけでは無い。
風呂に入らなければ不衛生にもなるし、化粧をしなければ美しさも陰る。
程よく鍛えなければ身体は
そういった部分も彼女は気に掛けなければならない。
彼女の姿が会社を表してしまうのだから。
そうなると、休みとは意識的に取る物では無くなる。
義務と義務の狭間にある、義務の無い時間であるだけだ。
その時間を有意義に過ごす、と言ってもやれる事は限られる。
今日は一日丸々自由、といきなり言われても困惑するのは必定だ。
腕を組んで少し考えて、ヴァンスは答えを出した。
「よし、今日は新人に休みの何たるかを教えてやろうではないか!」
都市とは千差万別である。
大地から浮かび上がった時点で、それは更に顕著となった。
まっ平らな地形の都市もあれば、山のように盛り上がった地形の都市もある。
それぞれの町で色々な特徴があるものだ。
ヴァンス達が住む都市は
上下に起伏が大きく、都市中央に一際大きな山がある。
事務所はそんな町の郊外の崖っぷちだ。
言葉を飾らずに言えば、田舎、
まあ簡単に言えば、中心部まで距離がある場所だ。
陸上移動するよりも飛んで行った方が圧倒的に早く、そして経済的である。
だが、ヴァンス達は事務所から徒歩で出かけていた。
「あの、街へ行くなら飛んでいった方が良いのでは?」
「街、ね。この辺もいいトコだぜ?ま、ちっと
ヴァンスはニヤリと笑う。
そして、ぴっ、と何かを指さした。
そこにあったのは。
「あの、あれは何でしょうか?」
「ありゃ、知らなかったのか。」
二人でその物体へと近付いていく。
緑の木々に囲まれた場所。
鳥居だ。
それがあるという事は、その先は神の
鳥居を潜る前にヴァンスは礼をする。
ヴァンスに促されて、二人は不自然な程に右側に寄って奥へと進んでいく。
最奥にはよく手入れされた木造の社があった。
「これは?」
「ん?神社だよ。神様の居場所、って奴さ。」
ヴァンスの言葉にメアリーは少々驚く。
目の前の頼もしいとも言える彼が、神頼みをするとは。
ヴァンスは賽銭箱に硬貨一枚放り込み、二礼二拍一礼。
メアリーも彼の所作を真似してみた。
それが終わるとヴァンスに促され、境内の端に連れていかれる。
そこには木製の
周囲の雰囲気と随分ミスマッチな、黒い金属の装飾が目立つちょっとお洒落な椅子。
ヴァンスはそれに腰掛ける。
その隣、少し間を開けてメアリーも座った。
ざぁっ、と風が木々を揺らす。
髪が顔に被り、メアリーはそれを手で制した。
ヴァンスは何も言わない。
沈黙に居心地が悪く、メアリーは自分から言葉を発する。
「あ、あの、結局これは何をしているんですか?」
「何も?何もしてねぇよ。」
「え?」
ヴァンスの言葉が理解できず、メアリーの目が点になる。
少し笑って彼は続けた。
「メアリーは少し
「ええと。『何もしない』を『する』ですか?」
メアリーの言葉を肯定して、ヴァンスは首を縦に振った。
「飯屋や酒場に連れてく事も考えたが、今のお前さんにはこっちだと思ってな。」
ヴァンスは含み笑いをして、風に乗って流れてきた緑の木の葉を掴んだ。
「こいつみたいに気ままに漂う日があっても
風に乗りたいとパタパタ騒ぐ葉を解放した。
弱い風に乗り、そのまま地面に落ちる。
と思った所で、少し強い風が吹いた。
木々がざわめき、地に落ちようとした木の葉が風と共に大きく空へと向かっていく。
その姿は風に乗せられつつも、なんだかとても自由である様に見えた。
「何も考えず、何もしない。何もしないをする。悪くないと思うぜ?」
ヴァンスは、にっ、と笑う。
考えた事すら無い。
ただぼうっとするだけの時間を過ごすなどという事は。
時間が空いたならば、次のやるべき事の準備をする。
それでも時間があるのであれば、先にやった事を振り返る。
そういうものだと思っていた。
何もしない、という選択肢自体が、メアリーの思考に存在しなかったのだ。
ああ、なるほど。
父がこの人物に自身を預ける事を決めた理由の一端が分かった気がした。
「分かりました、やってみます!じゃない、ですよね?」
「お、分かってるじゃないか。」
気合を入れてやるような事では無い。
ただただ、ボケっとするだけの事だ。
ざわざわと鳴る木々の葉の音を聴きながら、二人はしばらくそうしていた。
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