第三空 面倒事は御免だぜ

ヴァンスはほうけていた。


歴史を感じさせる煌びやかな応接間に通され。

随分とふかふかな黒革の一人掛けソファに腰を下ろし。


何だか高そうな紅茶を振舞われ。

飲んでみたけど何の味も感じられず。


屋敷の主人が来るまでひたすら待つ。


ここはアルドメレ社社長のご自宅。

つまりは、ヴァンスが助けたのは彼の娘だったわけだ。


冗談めかしてお嬢さんと呼んだが、それは正解。

ヴァンスは自身の慧眼けいがんを大したものだと褒めたたえていた。


どれくらい待っただろうか。

屋敷の主人がやって来た。


「この度は我が娘を救って頂き、誠にありがとうございました。」

「あー、いえ。当然の事をしたまで、っす。」


とりあえずヴァンスはそう言っておいた。

まあ、悪印象にはならないだろう。


「早速で申し訳ないのですが謝礼についてお話を。」


そう言ってアルドメレ社長はパパっと紙に筆を走らせ、それを紙束から切り取った。

小切手だ。


それをヴァンスの前の机に差し出す。


「むぇっ。」


変な声が出た。


予想していた金額より、ゼロが一つ多い。

娘を助けられたならば妥当なのかもしれないが。


「もしご不満でしたら上乗せを。」

「ああいえ、これで十分です、はい。大した事はしとらんので。」


ヴァンスの回答に社長は顎に手を当て、ふむ、と小さくうなった。


頭の中で警戒の鐘が鳴る。

この流れは絶対に面倒事が来る、断言してもいい。


直感による警告を聞き入れて、ヴァンスはソファから腰を浮かせる。


「それじゃ、俺はこれで。」

「ああ、待ちたまえ。」


制された。

これを振り切るのは現実的ではないだろう。


浮かした腰を再び下ろす。


「これはご相談なのですが。」


権力を持った人間からの『ご相談』

それは大体の場合、命令と同義である。


「うちの娘をヴァンスさんの所で働かせては頂けないでしょうか。」

「ぽぇ。」


また変な声が出た。


娘を働かせる?

どこで?

うちで?


野郎一人の零細運送屋で?

なんで?


いや、そもそも娘は年頃だろう?

野郎の所へ働きに出させて大丈夫か?


何考えてるんだ、この社長。


「何考えてんすか。あ。」


思わず口に出てしまった。

出た以上は取り返しがつかない。


このまま押し切ってしまう事にした。


「俺のトコは従業員は俺一人っす。少なくとも年頃の娘さんが来る所では。」

「いえ、今回の件で信頼が置ける方だと判断いたしました。」

「いや、それは嬉しいですが、間違いがあったらマズイでしょう。」

「間違いを起こす、おつもりですか?」


一瞬だけ、社長の目が光った気がした。

流石に娘の身は案じているようだ。


ならば、なぜヴァンスの所へ送り込むのか。


「いやいやいや、そんなわけがないでしょう。」

「その言葉、安心致しました。」

「ですが何で俺の所へ?運送屋なら大手もある。それこそ御社の傘下にも。」


その言葉に社長は首を横に振った。


「現場を、最前線の仕事を体験させたいのです。それには大手では無理です。」


ふう、と一つ溜息を吐いて、社長は続ける。


「どうしても私の娘という肩書が邪魔をする。必ず安全な仕事をさせるでしょう。」

「そりゃ当然というか。もし危険にわれたら大変ですし。」

「ですな。しかし、最前線を知らずに我が跡を継がせるわけにはいかない。」

「それじゃあ、あーっと。堅実な中小のトコならどうです?」


社長は再び首を横に振る。

ヴァンスは内心、諦めかけていた。


「中小では我が社に取り入ろうとします。娘を篭絡する可能性も。」


ずおっ、と社長から闘気オーラが溢れたように見えた。

これは確実に娘馬鹿だ、ヴァンスは確信する。


「なので、信用が置ける貴方の所で、と。」

「なぜそこまで信頼を?ただ助けただけですが。」

「その場で娘を襲わなかった。捕まえてどこぞに売り飛ばす事も出来たでしょう。」


その言葉にヴァンスは生返事をした。


メアリーは見た目が整っており、控えめに言って美少女だ。

更に乗っていた機体は高級な最新鋭機。


どちらも売り飛ばせば相当な金になるのは明白である。


それをしなかったから信頼する。

分からなくもない。


「娘の事、よろしくお願い致します。」


社長は深々と頭を下げた。


ヴァンスは理解する。

渡された小切手の金額は、娘の実地研修の代金も含まれているのだ。


最早退路は存在しない。

ヴァンスは渋々、首を縦に振った。




三日後。


先日見た機体と随分大きな鞄を抱えた少女がやって来た。

散らかった事務所兼自宅の、誰も来やしない応接室に初めて人を通す。


散らかった書類などを端に固めてある、少しばかり埃っぽい部屋。

キラキラと輝いて見える美少女が、その空間にちょこんと行儀よく座っている。


めに鶴とはまさにこの事だろう。

改めて感じる、実にミスマッチな状況だ。


「あーっと。社長のヴァンスです、まあよろしく。」

「はい。メアリー・アルドメレと申します。先日は家名を名乗らず失礼しました。」

「自衛のためには仕方ない。下手に喋れば危険だからな。」


メアリーはお嬢様。

であれば下手に家名を出せば、いらぬ危難を招くだろう。


全くの世間知らずでは無いようだ。


「こんなトコで申し訳ないな。片付ける時間もなくて。」

「いえ、私が片付けますので大丈夫です。お気になさらず。」

「は?」


片付ける?

お嬢様が?


余所よその人間に話したら、恐れ多い事だと十人が十人言うだろう。


「それと、私もここに住み込み致します。」

「はぁ!?」


思わず椅子から飛び上がった。


住み込み?

うちに?


それはつまり、同居と言う事だ。

何言ってんだ、このお嬢様。


「何言ってんだ、このお嬢様。」


一言一句違わず、ヴァンスは思っていた事と同じ事を口走った。

メアリーはそんな彼の事を真っすぐ見て、口を開く。


「現場を知るには常に現場にあれ。父より教わりました。」


それは間違いなくそうだろう。

理解は出来る。


だが納得は出来ない。


自由気ままに暮らしていたヴァンス。

突然美少女が転がり込んで来るなど居心地が悪い。


そう言えば、ヴァンスは聞いていない事があるのに気付く。


「そういやメアリー、齢は?」

「十八です。」


それを聞いてヴァンスは椅子に勢いよく倒れ込んだ。


「俺の、半分じゃねぇか。」


こうして、訳の分からない同居生活が始まったのだった。

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