ひねくれ少女とバーメイド
そんなこんなでスーパーを出た私たちは、少年を私の自宅付近の交番に送った。
ここで彼女と別れても良かったのだが、彼女がまたバカでかい声で「心配だから一緒に行くよ!」だのなんだの抜かしてくるため渋々連れて来ることになったのだ。
「分かりました。この子はこちらで預からせてもらいます。」
「よろしくお願いします。」
「スズナリくーん、次は迷子にならないようにねー!」
「は、はい……」
「それじゃあ私はこれで。」
「あ、私もこれで!」
私は踵を返し、彼女はチラチラ振り向いては手を振り返している。精神年齢はあの少年と同じくらいか。
「いやぁー、手伝ってくれてありがとね。」
「別に……私は何もしてませんから。」
「そんなことないよー。あの子の話し相手になってくれただけでも、あの子にとってありがたかったと思うよ?」
「どうでしょうね。」
「きっとそうだよ。だから――」
彼女が立ち止まったのを、私は振り返って見た。
「――ありがと、尋ちゃん!」
快晴の青空のような彼女の笑顔が、その言葉に嘘偽りが存在しないことを容易に感じ取らせた。
他人のことで、ここまで親身に礼を言える人間がいるのか。
思わず私はその景色に目を奪われ、しばし言葉が口から出なかった。
「……あ!そうだ!」
そんな私に気づいていないのか、はたまた観察力が無さすぎるのか、彼女は自身のポーチの中を漁り始め、一枚のチケットを渡してきた。
「私のおじいちゃんバーやってるんだけどね?私もそこのお手伝いしてるんだー。それはそこのクーポンだよ!チャージが無料になるからとってもお得!」
「はぁ。」
つまるところ店の宣伝か?なるほど、私をここまで引きずり回したのはこれを渡す機会を伺ってのことか。
「気持ちだけ受け取っておきます。最近は色々立て込んでて行けそうにもないので。」
「そっか……でもまぁ受け取るだけ受け取っといてよ!期限とかもないし、来れるようになったらいつでも来て欲しいな!」
屈託の無い笑顔でそう言うと、私にそのチケットを握らせて「じゃーねー!」と駅前へと向かっていった。
「……変な子。」
それを見送った私は踵を返し、紙袋とナイロン袋をぶら下げながら帰路についたのだった。道中、あまりにも帰りが遅れているからか、母親に心配の電話を掛けられた。
◇◇◇
午後八時頃、私はクーポンに記された地図に従って、とあるシャッター街を彷徨っていた。
「多分この辺の……これ?」
人気のない不気味さを感じる通りで足を止め、目の前の店を傘越しに見つめてみる。
レンガ調の壁が特徴的なその店の名は『BAR:Orange Blossom』と言うらしい。
洒落た字体でそう描かれていた店看板は夜闇をほんのり照らし、窓下からは垂れ下がるようにして名も知らぬ植物が小さな花をつけている。重厚な作りの扉は見るからに重々しく、すりガラスから漏れる光が人の気配を思わせた。
こういうとこって、なんだか入りにくいよなぁ……そもそも私未成年だし。未成年ってバー入って良かったんだっけ?まぁここまで来たからには行くしかないんだけど……
「はぁ……」
私は一度大きくため息を吐いて覚悟を決める。そして扉に手をかけ、手前に引いた。
ドアベルがチリンと、鳴った。
「――いらっしゃいませ。」
「――」
最初に感じたそれを一言で言うなれば、非日常であった。
シックで落ち着いた意匠のインテリアは、私が想像していた通りのバーであり、自然と香る爽やかな匂いは心地良ささえ感じる。
店内に流れるジャズか何かは耳障りにならないくらいの音量に調節されており、どこか肩の力が抜けるような安心感がある。
「こちらの席へどうぞ。」
そうして私を案内してくれるバーテンダーさんに従いカウンター席へと座る。どうやら未成年だからと追い返されたりとかは無いようだ。懸念点が無くなりホッとする。
「珍しいお客さんですね。当店へのご来店は初めてですか?」
「そうですね。こんなものを貰ってしまったので。」
懐にしまってあったクーポンをカウンターに出し、愛想笑いで相手の様子を窺う。
バーテンダーさんはそれを見て僅かに目を見開くと、「失礼」と断りそれを手に取った。
「……あなたが浮の言っていた戸国さん、ですか。」
「はい。私のことは既に話を通されてたんですね。」
「えぇ、孫から今日の昼のことを。その件につきましては誠にご迷惑をおかけして……」
「いえいえ、迷惑だなんてそんな。」
低姿勢のバーテンダーさんに、こちらも思わず腰が低くなる。彼女の祖父とは到底思えないほどに性格が真反対だ。
そんなバーテンダーさんはテキパキと、何かしらの準備を進めながら私との会話を繋いでいる。客を飽きさせずに手も動かす。これがバーテンダーの職人技というものなのだろうか。
「浮は今裏のキッチンで果物の下処理を任せているので、その内戻ってくると思います。それまではまず……どうぞ。」
ナッツ系のつまみが載った皿が私に差し出された。
私は会釈してそれを受け取ると、塩の振られたそれを一つつまんで、口の中へと放り込んだ。
「ん……美味しいです。」
「スーパーのやつですけどね。」
「あ、はい。」
とりあえず褒めておけの精神を見抜かれていたのだろうか。見事に梯子を外された私は、バツの悪さを誤魔化すために無言でナッツを頬張るしかなかった。
「おじいちゃーん、全部絞り終え……た……」
「あ。」
カウンター奥の扉が開き、そこから見覚えのある顔がひょっこりと出てくる。私がその少女と目を合わせると、彼女は少しの間だけフリーズして、その少し後カウンターに身を乗り出す勢いでこちらへ詰め寄ってきた。
「……じ、尋ちゃん!」
「はい。」
「ホントに来てくれたんだ!」
「いやまぁはい……」
「あ、そういえば予定は?忙しかったんじゃないの?」
「あれ体裁良く断るための方便ですけど。」
「ほーべん?」
「要するに嘘です。」
「嘘なの!?」
会話のレベル違いすぎて根も葉もないこと説明しだしてない?ダメだ、引っ張られるな私……
「でも、それならなんで急に来てくれる気になったの?」
「あぁ……帰ったら父親が友達連れて酒飲んでたんですよ。その二人で飲んでるときの五月蝿さと言ったらもう、その辺の居酒屋より酷いですよ?」
「おぉう、それは相当だねぇ……」
今日は日曜日。それは私だけでなく父も母も同様だ。まぁ家事をこなす母にとっては毎日平日のようなものかもしれないが、父親は残された時間を楽しむために友達と、いわゆる『宅飲み』というやつを計画していたらしかった。
私にとってはまさに寝耳に水で、落ち着いて本を読める状況ではなくなっていたわけだ。
「静かに読書するならこちらの方がマシかと思いまして。……マシ、ですよね?」
「なんで私を見ながら……?」
兎にも角にも事情も話し終えたことだし、読書開始……と、いきたいところだが。しかし店に来たからには何かしら頼まないと失礼な気がする。店来たと思ったら本読んで帰る客なんて、もはや客とすら呼べないだろう。
……でも、何頼めばいいんだ?私カクテルの種類とか全然知らないけど。っていうかそもそも未成年だからカクテル頼めないんだけど。あれ?これ私もう既に詰み?
「戸国さんはまだ高校生ですので、ノンアルコールで何かご用意致しますね。ご希望などありますか?」
「あ、特に。」
普通に気を利かせてくれたバーテンダーさんに反射的な返事を返すと、彼は「承知しました」と柔和な笑みを携えて準備を始めた。気の利くイケおじって現実にもいるんだなぁ。
「ねぇねぇ、今の『特に』ってさ。……戸国だけに?」
「?」
「ふふ、やめろ浮。危うく零してしまうところだった。」
イケお、じ……?
「……ん?尋ちゃん、その本って……」
バーテンダーさんもともに笑っていた彼女が、私の持っている本を見て意外そうな顔をした。
「これですか?私が好きな作家さんの最新作です。」
「へぇー……なんとか、唄?」
「
まぁ確かにコウモリを漢字で見る機会もそうそう多くはないだろうし、普通なら読めなくても仕方ないか。
それよりもこの本に興味を持つとは、存外彼女もなかなかのセンスを持っていたようだ。
「あなた……名前は?」
「加萩浮だけど、言わなかったっけ?」
「すみません、あんまり関心のない人の名前は覚えないようにしてたんです。」
「じゃあ私おもしれー女になったってことだ!」
「まぁそうなりますね。」
「えへへ、じゃあこれでお友達だね!」
「それは距離詰めすぎでは?」
「あれぇ!?」
漫才であればズッコケていただろう加萩浮を軽くあしらいつつ、私はこの本についての解説に入る。
「まずこの作品は『
「とにかくまぁ凄い本なんだね!」
「端的に言えばそうです。」
分かってくれたようで何よりだ。ここまで私の趣味について話せる機会もないし、私も嬉しくなってしまう。
「お待たせ致しました。シャーリーテンプルです。」
「あ、すみません忘れてました。」
私が熱く語っている間に既に完成してたっぽい。気を使って待っていてくれたのだろう。なんだか申し訳ない気持ちになってくる。
にしても、シャーリーテンプル?だっけか。なんかどっかで聞いたことあるような名前な気がするな……
「シャリーテンプル。小さい頃から子役として、世界に名を馳せたアメリカの女王。その名を取って名付けられたのがこのカクテルだよ。」
「……あぁ!『私が育ったハリウッド』!」
かつて私が読んだ本の中にそのような物があったはず。
確かそう、『シャリー・テンプル:私が育ったハリウッド』は彼女の子役時代、母親時代、外交官時代が綴られた自伝だ。当時そのあまりにも人間離れした功績と栄光の数々に、本当にこんな人物が実在するのかと思わず疑ってしまったほどの人物である。
「まさかカクテルにまでなってるとは……」
「カクテルの本場もアメリカだしね。シャーリーさんが宿泊したホテルの人が作ったって言われてるらしいよ。」
「めちゃくちゃ詳しい……」
「えっへん!これでもバーメイド志望ですから!」
胸を張って自慢げにする加萩。そんな態度の相手を素直に褒めるのも癪なので、そこで話は切り上げてグラスを持った。
「――じゃあ、いただきます。」
初めてのカクテル。ノンアルコールとはいえ大人の領域に踏み込んでいるみたいでほの暗い背徳感を覚える。
私はそれをグラスの中身と一緒に飲み込んで、その刺激的な味を口いっぱいに堪能した。
「……美味しいでしょ?」
「……そうだね。」
刺激的。そう、刺激的だ。
レモンの酸味が爽やかに口に染み込み、後引く僅かな辛味は熱を持ったように残留している。それでいて確かな甘みがそれらをまろやかにするように纏めている。
一度に三つの味を感じる。初めてのカクテルは刺激的な味わいだった。
「でしょ!おじいちゃんのカクテル凄いんだよ!」
「こら浮。そう騒ぐもんじゃない。」
「あうっ、怒られちゃった。」
加萩の一言に同意した私に、彼女はまるで自分のことのように喜んでいる。彼女に注意したバーテンダーさんも、その内心から咎めて言っているわけでは無さそうだ。
「いやぁー、うちの店ってなかなかお客さん来ないからさ。そういう感想もらえるの超嬉しいんだよねー。」
「そうなんですか?こんなに立派なお店なのに。」
「だよね!やっぱりそう思うよね!なーんだ、私たちやっぱり気とか合うと思うよ?」
「あ、そっすね。」
「その素っ気なささえなんとかなればなぁ……」
「もう少し距離感測ってくれればまぁ。」
たはは、と苦笑いをした加萩は、それから一つ咳払いをして茶を濁すと、改めて私の方を見る。
その顔にはまた別の、彼女のおじいさんによく似た笑みを浮かべていた。
「それじゃあ尋ちゃん。」
「はい?」
「――良き時間をお過ごしください。」
◇◇◇
「やべぇやべぇ……」
月も空高く浮かぶ頃、私は一人夜道を大股で歩いていた。
加萩から一礼を受けた後、その店の雰囲気と美味しいカクテル、そして手に入れた新書を読み耽った私は、文字通り時間を忘れてしまったのだ。スマホの時計では既に日を跨いでおり、警察に見つかれば確実に補導されるであろう。
車で送ってもらおうと思ったが、家族の中で唯一の免許持ちである父は今頃デロンデロンに決まっている。
結果、行きと同じく遠回りだが安全な電車で帰ることになり、たった今最寄り駅まで急いでいるというわけだ。
店を出るときに「送りましょうか?」とバーテンダーさんに提案されたものの、そこまでしてもらう義理も無いしお断りさせていただいた。すると加萩が「じゃあ私が送るよ!」と言い出したのでそれは普通に断った。
「――またのご来店、お待ちしております。」
そんな世話焼きな二人の、丁重な一言が反芻された。春を載せた夜風が、私の髪を撫でた。
「――またのご来店、ね。」
存外、居心地は悪くなかった。
月が照らす夜、私は口に残るシャーリーテンプルの風味に酔いながら、静かな街を抜けて行った。
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