第一学年 一学期

ひねくれ少女

「ありゃとしったぁー。」



 いつも通りの気の抜けた声に送り出され本屋を出た私は、今しがた店員から受け取った紙袋を覗いた。

 前々から楽しみにしていた某有名作家の新書を手に入れたのだ。意図せず笑みを浮かべてしまうのも仕方のないことだろう。


 さてと、この後はどうするか。普段通りならば家に帰って読み耽るのだが、たまには喫茶店やカフェなんかで読書するのもなかなかオツなものかもしれない。

 しかしまぁ読書に集中したいのもあるし、やはり家に帰って読むことにしようか。


 そう思考を帰結させて歩きだそうとすると、ジャージズボンのポケットに入っているスマホが細かく震え出した。母親、と表示されたスマホを取り出して電話ボタンをタップする。



『――もしもし尋?』


「要件だけ手短に。」


『あのねー、今日スーパーでお肉が安かったから晩御飯ねー、肉じゃがにしようと思ったのー。でもねーそればっかり気にしちゃってねー、じゃがいも買い忘れちゃったのよー。』


「で?」


『スーパーでーじゃがいも買って帰って来てー。あーあとついでにー、糸こんにゃくとさやいんげんもおねがーい。』


「今手持ちそんなにない。」


『PoyPoyで送るー。』


「分かった。」



 通話終了ボタンを押す。

 これからというときに邪魔が入ったような気分になって一気にムカついてくるが、母親のそういうところは今に始まったことではない、と自分を慰めた。

 

 さっさと用事を済ませて帰ろう。明日からまた月曜日なのだから。

 一分一秒無駄にはするわけにいかない私は億劫なため息をついた。



 ◇◇◇


「じゃがいも、糸こん、さやいんげん……」



 カゴの中を確認してレジから出る。昼下がりのスーパーは結構混みあっており、休日ということもあって家族連れも多く見受けられた。


 にしても、余ったお金は好きにしていいだなんて、随分と太っ腹なことだ。電話越しにも私が不機嫌にしているのが伝わったのだろう。子供扱いされてるようで気に食わなかったから買ってないけど。変に気を回させるくらいならばちゃんと物腰柔らかにしておけばよかったか。

 とはいえそんなことを気にしていても仕方ない。今の私には新書があるのだ。早く読みたいし、早いところ帰宅しよう。


 そうしてレジ袋に三つを詰め込み、私は家に帰ろうと出口へと向かおうとした。



「――すみませぇーんっ!」



 只事では無いような形相で声をかけられ、私は何事かとそちらを振り向いた。



「なんですか?」


「あの、お子さんが迷子になってしまっているのを見つけて――」


「この人じゃない……」


「えええええ!?」



 店内だというのに出し抜けに大きな声で驚嘆した彼女は、そうして私と少年とを交互に見た。



「ちょ、ちょっとごめんなさい。……さっきこの人だって言ってたよね!?」



 何故か耳打ちしながら、しかし普通に丸聞こえの会話が展開される。彼女は戸惑いながらも少年の話を伺っている。



「遠くから見たらそうだったから……」


「そ、そっか……なら仕方ないね。」


「あ、あれ!お母さん!」



 少年が指差す方向を見る。スーパーの飲食スペースのようなところでイカリングを食べている中年男性がそこにいた。



「あの人?分かった!すみませ――」


「待て待て待て!待ってください!」



 予想だにしていなかった彼女の行動の突飛さに、おもわずこちらも声を荒らげて待ったをかけてしまった。彼女は目を丸くしてこちらを振り向くと、ハッとしたようにお辞儀をした。

  


「す、すみませんでした。こっちの勘違いだったみたいで……」


「そうじゃなくて!あれがお母さんはないでしょ!?」


「え?」



 本当にそんなことを思っていなかった、とでも言うふうにポカンとした顔をする。あまり言うのもあれだが、絶望的に頭が悪いのだろうか。



「……うん、お母さんじゃないや。」


「え?」


「当然でしょ……」


「あの人かも!」


「いやたった今入店してきた人――」


「あの人!絶対にあの人!」


「うぉぉぉ!すみませぇーんっ!!」



 ダメだ、あいつ馬鹿だ。

 多分考えるよりも先に行動するタイプの脳筋だ。



「やっぱり違った……」


「全然見つからないよお……」


「探す気あります?」



 落ち込む二人に色んな言葉を飲み込みつつ、抑えきれない分の毒を呆れと共に吹っかける。しかしそれも全く堪えてなさそうだ。



「二時間くらい探してるんですけど、どうにも見つからないんですよねぇ。」


「そんなに経って音沙汰なしって、それ本当に店に親御さんいるんですか?」


「分かんないです……」


「分かんないですかぁ……というか、店の人は何か言ってないんですか?」



 私が店にいた限り、迷子のお知らせなんかのアナウンスは聴こえてこなかった。伝達ミスか何かで迷子の対応を忘れてしまっているだなんていうのも考えにくい。



「何も言ってなかったよ。お姉さんに見つけてもらった前に言ったんだけど。」


「……ふーん?」


「だから自分でお母さんを見つけるしかないって思ったんだけど……」



 少年はモジモジと床を見ながらそう言って肩を落とす。結果はご覧の有様で芳しくなかった、ということらしい。



「とにかく、そうやって無闇に声をかけまくるのはやめた方がいいと思いますよ。大分悪目立ちして――」



 してるみたいですよ、と続けようとした矢先、きゅぅうと可愛らしい腹の声が割って入ってきた。時刻は既に昼下がり、長い間親を探していたという少年の空腹も厳しくなってくる頃合だろう。



「……なにか食べよっか。」



 場の雰囲気を和ませようとはにかむように笑った彼女に、少年は安堵の表情を返したのだった。


 スーパーの飲食スペースにはジャンクフード店などが立ち並んでいて、ハンバーガー、ドーナッツ、うどんの三つをここで食べることができる。



「なんで私まで……」


「せっかくですから!」



 半ば成り行きで同席してしまうことになったので、私は母に『昼食は外で食べる』と連絡した。

 手持ちのお金はなかったけど、母から譲り受けた買い物代の余りで乗り切ることができて助かった。



「それで?君はお名前なんて言うの?」



 ドーナッツを食みながら少年に目を向ける。少年はシャツの長袖を掴み、恐る恐るといった表情でこちらを見上げた。



「スズナリ……です。」


「スズナリくんね。私は戸国尋。……そっちは?」


「私の名前は加萩浮だよ。よろしくね!」



 あっそ



「それで、スズナリくんはどこでお母さんとはぐれたの?」


「このスーパーで……」


「うん、このスーパーのどこで?」


「それは……覚えてない。」


「なるほどね。」



 また一口ドーナッツを食む。これ以上追及の余地はないので味わう方へと意識を集中させる。なかなか美味い。

 スズナリと名乗った少年も、リスのような一口でドーナッツを齧り始めた。



「戸国さんはお幾つなんですか?」


「初対面の相手にする最初の質問がそれですか?」


「確かに!ご趣味は?」


「……」



 嫌味にも怯むことなく応対した彼女に刺すような視線を送り、聞こえるようにため息をした後に答える。



「十六歳、読書。」


「おぉー!……ってか同い歳じゃん!」


「そうなんですね。意外です。」


 知能と言動的に年下かと思っていた。


「そんなぁー、お姉さんに見えるだなんて恥ずかしいなぁー。」


 言ってねぇよ。一ミリ足りとも言ってねぇよ。


 私は彼女が自分の苦手なタイプの人種であることを肌で感じ、会話を断ち切るために少年の方へと絡みに行く。



「……あ、ほっぺになんか付いてるよ。」



 私は少年に手を伸ばし、頬についた砂糖の欠片を取ろうとした。



「――っ!!」



 少年はその瞬間に身を引き、怯えるような目で私のことを見つめていた。机に置いてあったグラスに肘が当たり、少年の長ズボンに盛大な洪水が起こった。



「おわぁ!?どしたのスズナリくん!」


「あ、いや……」


「……私そんな怖い?」


「……」



 スズナリくんは閉口した。おい。



「……にしても、どうするんですかこれ。二時間探して見つからないって、もう警察に届けた方がいいんじゃないですか?」


「そうだねぇ……スズナリくん、食べ終わったらお巡りさんのとこに行こっか。」


「お巡りさん……?」


「そうそう、お巡りさんならきっとスズナリのお母さんを見つけてくれるよ!」


「……うん。」



 スズナリくんはまた小さい一口でドーナッツを齧り、とうとう自分の分を平らげてしまった。

 食べるの早くない?私たちまだ食べきれてな――



「ご馳走様ー!」



 ……私まだ食べきれてないんだけど。


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