一匹狼は読書がお好き


 やはり月雫さんの小説は最高だ。そしてこの『蝙蝠歌』でまたもや彼の腕に惚れ直してしまった。

 今作を読み始めて三日。ついにそれを読破し、私は今読後感に浸りまくっている。



「今回も神作ありがとうございました……」



 私の読破後の行事、物語への感謝を伝えて本棚に片付ける。こうして私のお気に入りの蔵書がまた一つ追加されるのだ。嗚呼、この感覚も堪らない。

 

 どうにかして、この気の昂りを誰かに共有したい……



『とにかくまぁ凄い本なんだね!』


「……」



 私はそのとき、ふとある人物の顔を頭に浮かべた。

 どんなことを話しても興味津々に聞いてくれそうなあの少女は、私のこの気持ちも受け止めてくれるのだろうか。



「……お小遣い、まだあったっけ。」



 ◇◇◇


 多くの人々が家を目指して電車に乗り込む向かいのホームを眺めながら、ガラガラの電車から降りた私は目的地へと歩いていく。

 冬の気配が去って凍てつくような寒さは感じなくなったものの、静けさを孕んで街を吹き抜ける風になんだか身震いしてしまった。

 それでもこの熱、誰かと気持ちを共有したいという欲求はとめどなく体の内側から溢れ出てくる。だから私は暗い気持ちになることもなく、なんならスキップまでもしてしまいたいくらいに浮かれていたのだ。



「確かここら辺に……あっ」



 見覚えのある通りに見覚えのある外装の店、先日訪れた老人と少女が切り盛りするその場所。

 『BAR:Orange Blossom』に私は到着した。



「……」



 初来店の際はバーという名前に戦々恐々としていたが、二回目ともなるとそうともいかない。知っていると知っていないとでは大きく違う。

 私はドアのノブを掴み、一呼吸を置いて引いた。


 ドアベルがチリンと、鳴った。




「いらっしゃいませ。お席にご案内致しますので少々お待ちを。」



 にっこりと微笑んで、カウンターの奥に立つバーテンダーさんは布巾を取って手を拭いた。

 その所作は年齢と経験の深さが垣間見え、どこか流麗さを感じさせる。


 私はその指示に従うままに、入口の前でひとまず待機する。



「……マジかよ。」



 そんな折、ふとここより一番遠くのカウンター席から驚愕の声が聞こえた。それは間違いなく私に向けられた物であり、私自身その声に聞き覚えがあった。



「せ、先生……」


「まさかこんな場所で会うとは……それも戸国、お前とな。」



 黒のタートルネックウォーマーに身を包み、席の背もたれにはトレンチコートが掛けられている。そんな飲みかけのカクテルをカウンターに置いた壮年の男性は、私の通う高校の社会科教師であり、私のクラスの担任を持っている人物だ。



「中出、君は彼女と知り合いなのか。」


「知り合いも何も、前に話したうちのクラスの一匹狼だよ。言った通りだろ?」



 先生は私のことをそんな感じに思ってたのか……傍から見て私、そんな関わりにくそうに見えるか?



「はっはっはっ。そうかそうか、言われてみれば確かに、話に聞いたままだな。」


「バーテンダーさんまで……」


「すみませんすみません。さぁ、お席はこちらに。」



 バーテンダーさんは先生の席から一つ開けた場所にミックスナッツを置きながら、楽しそうな笑顔で軽く私に謝罪する。その表情はどこか柔らかなものだった。



「バーテンダーさん、中出先生と仲良いんですか?常連客だったり?」


「まぁそれもありますが……幼馴染なんですよ、私たち。」


「なんだかんだ小学生以来の付き合いだからなぁ。そりゃあ嫌でも仲良くなるさ。」


「へぇ……」



 知られざる二人の関係性を知り、私はその付き合いの長さに感服した。友情は基本的に脆く弱いものだ。古今東西あらゆる名著においても友情は副次的なスパイスに過ぎず、メインディッシュは恋愛や夢を追う気持ちなど、大きく読む人の心を揺さぶれる題材であると相場が決まっているものだ。

 そんな浅く脆弱な友情という結び付きが、この二人の間では何十年という時を掛けようとも朽ちなかった。ありえないものを見た気分だ。



「……まぁきっと、戸国さんにも分かるときが来ますよ。」



 そんな私の想いを知ってか知らずか、バーテンダーさんは優しい声色でそう言う。

 

 その瞳は、どこか私を他の人と重ねて見ているようで――



「厨房の掃除終わったーっ!!」



 私がそれ以上バーテンダーさんから読み取ろうとする前に、カウンター内の扉から耳に馴染みのある声が聞こえてきた。ここに来た本来の目的を思い出した私の脳はふっと回転を止めてしまった。



「加萩さん、いたんですか。」


「そりゃいるよー。逆に尋ちゃんも来てたんだね。」


「気が向いたので。」


「えへへ、嬉しいな!」



 そう言うと加萩さんは恥ずかしげもなくニカっと笑う。

 そういうことを素直に口に出来る実直さは尊敬だ。私なら小っ恥ずかしくてとても言えたもんじゃない。



「そうだ!尋ちゃんこれ見て!」



 そんなふうに感心していると、加萩さんは何か思いついたように手を打って、再び裏へと戻って行った。

 いったいなんだろうか。突拍子も無くこれだから予測さえできない。


 するとすぐさま戻って来た加萩さんが、腕に持った本を掲げて私に見せてきた。



「これ!尋ちゃんが読んでるの見て、私も興味出てきちゃってさ。買っちゃった。」


「こ、『蝙蝠歌』じゃないですか!!」


「まだ途中までしか読めてないんだけどね。」


「途中まで、というとどこまで?」


「あそこだよ。あの、地底湖を渡るために大蛇にお願いしてるところ。」



 おお、あそこか。あのシーンはコウモリが少女のために獅子奮迅の活躍ぶりを見せる激熱シーンだ。随分良いところで本を閉じてしまっているな。



「でも小説って疲れるねぇ……読むの休憩するとき疲労感凄くてビックリしちゃったもん。」


「まぁそれは慣れと、人によりけりでしょう。私なんかは本も無数に読んだことありますし、そもそも読書が好きなので苦痛になることもありませんしね。」


「改めて尋ちゃんの偉大さを感じたよ。」


「そんな大層なものじゃないんだけど……」



 目をキラキラ輝かせる加萩さんへの返答に窮する。自慢げにしとくのも、卑屈に謙遜するのもどうなんだとも思うし……



「くっ……あっはっはっは!」



 私が悩ましい問題に頭を抱えていると、一つ開けた隣の席から笑い声が発される。バーテンダーさんはそんな先生の様子を見守っていた。



「先生?どうされました?」


「いやなに、こんな簡単なことだったのかと思ってな。」


「はい……?」



 答えになっていない。その言葉の真意を読み解くために、私は先生のことを観察する。


 安堵、納得、そういった感情が表情に現れており、視線も体の向きもこちらへと向けられている。

 彼は高校教師で私の担任で、私を一匹狼だというふうに他人に説明していた。

 きっと私の読書趣味も知っているであろう先生、孤立して人と関わりたがらない私、同じ小説を読んで私と話を交わす加萩浮……



「……まさか、私に友達がいないのをずっと懸念されていたんですか?」


「おぉ、よく分かったな。」


「簡単なことですよ。でも生憎ながら友達のつもりはありません。店員と客、そこら辺ちゃんと割り切っておかないと。」


「うぇ!?友達じゃないの!?」


「違うよ。」



 さすがに会って数日の人物を友人というには、いささか日が浅すぎる気がする。というかそもそも加萩さんと友達になるつもりもない。



「バーテンダーの仕事は酒の販売と客とのコミュニケーション。つまり私はお金を払って楽しい会話を買ってるだけです。」


「別にそこは無料で良いんだけど……」


「よせよせ、戸国は強情だから言っても聞かんだろう。」



 先生はどうしようもない子供に呆れて笑うように肩をすくめると、ワイングラスをクイと上げて中身を飲み干した。



「戸国は一匹狼だもんな?」


「それは先生が勝手に言ってるだけでは……」


「まぁこんなやつだが、良かったら話し相手になってやってくれ。特に浮ちゃん。」


「もちろんですっ!」



 この店に通っている歴が違うのだろう。ここでの発言権が強いのは明らかに向こうのため、下手なことを言うのはよしておくことにする。



「よーし、そんじゃそろそろ帰るかな。俺は明日も仕事なんで。」


「土曜日にも出勤されてたんですか、意外です。」


「これでも俺は一端の社会人なんだぜ?」


「意外です。」


「うっそだろお前……」


「はっはっはっ、僕もそう思うよ。」



 先生のだらしのなさは学校でも有名だが、どうやらそれはプライベートでも健在らしい。その面での信用が全く無い先生は、がっくりとして見せてから代金を支払った。



「ま、友達を作れとは言わねぇが……もう少し本から顔上げる時間も作れよ。じゃねぇとマジで本の虫だぜ?」


「虫でもなんでも本さえ読めれば。」


「その執念はどっから湧いてくるんだかな。」

 


 先生は力なく笑いトレンチコートを羽織ると、扉を押して店から出て行った。



「――またのご来店、お待ちしております。」



 閉じていく扉の向こうへ、バーテンダーさんは物腰柔らかな姿勢で見送った。











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