不誠実


「みりん、じゃがいも、醤油、豚肉、にんじん……」



 スーパーマーケットのコーナーで、私たちは浮がバーテンダーさんから頼まれたおつかいを手伝っている。

 なんでもライムやイチゴなどの果物と、今日の晩御飯の材料を買わなければならないらしい。



「それってもしかして、今晩肉じゃが?」


「正解!私の得意料理だよ!」


「ふふん、ウチもモテるために肉じゃがだけは作れるようにしてん。」


「一点の曇りもない動機の不純さ……」



 古舘の恋愛に対する意欲には敬服すら覚えるが、肉じゃが作れたらモテるは安直過ぎる気もする。

 というか極論、料理なんてお湯さえ沸かせられればカップラーメン作れるし、現代日本ではそこまで重要なスキルでも無くなったように感じる。それよりも男性からモテたいと思っているのなら、夜の床の上のテクニックでも磨いた方がためになりそうなものだ。男とか結局性欲八割で動いてるような奴らなんだし。知らんけど。



「ん?ねぇ、あの子……」



 私が偏見たっぷりの持論を展開していたら、不意に浮がカゴを持った手とは逆の手で前を指さしていた。

 私はその指の先を目線で追う。そこには一人、見覚えのある子供がいた。

 フードコートで迷子になっていた子だ。



「あの子、迷子かなぁ。」


「さぁね。でも周りに親らしい人いないし、あの歳で一人で来たとも考えられないし、そう考えるのが自然かな。」


「そうなんやったら迷子センターかどっかに連れてってあげなアカンやん。」


「え?今買い物してる途中でしょ?終わってからでも別に……」



 買い物を中断してまですることでは無い、と古舘の案を拒否しようとすると、そんなことは何処吹く風と浮が駆け出して行った。えぇ……



「ちょっと良いかな?君、もしかして迷子?」


「……」



 深くキャップを被っていた少年は、しゃがみこんで話す浮の方を見ると、少し怯えたように後ずさりした。



「من أنت؟」


「……え?」


「من أنت؟」


「ご、ごめん!分かんない!」



 まさかの外国語!?もしかして、だから今まで他の人も助けようとしなかったのか?



「あれ多分アラビア語やな……さすがにウチも分からへんわ。」


「むしろ分かったら怖いわ。」


「Hey! Can you speak English?」



 本場っぽい発音で古舘は子供に話しかける。子供は古舘の方を向くと、手のひらをギュッと握った。



「A……little……」


「OK. Where is your mother or father?」


「……」



『あなたは英語を話せますか?』と質問した古舘に対し、『少し』と返した子供。『大丈夫。あなたのお母さんやお父さんはどこにいますか?』と続けて聞くと、子供はそれに答えられずにモジモジと指を弄んだ。



「お、おーけー!私、ユーを迷子センターにレッツゴーする!」


「浮、気合いだけじゃどうにもならないよ。」


「Can you come to me?I want to find your mother or father for you.」


「هل ستساعدني...؟」


「んんんん……Yeah! Please follow me!」



 あ、こいつ気合いで乗り切ったな。アラビア語での返答が分かんなかったからって強引に話を進めやがった。



「尋ちゃん、粧奈ちゃんがなんて言ってるか分かる?」


「着いて来いって言ってる。浮英語分かんないの?」


「あはは……カクテルの名前なら英語でも言えるんだけどね。」


「とにかく……子供連れて行くんなら先に買い物済ませないと。古舘、私たちは買い物済ませてから行くから、先にその子迷子センターに送っといてあげなよ。」



 さすがに買い物カゴを放り出して退店するのは良い目で見られないだろう。ここは別れて行動した方が効率的だ。



「りょーかい。Are you OK?」


「……OK.」



 古舘は子供の頭にポン、と手を置くと、そのままその子の手を握って歩いて行く。浮は心配そうにそれを見守っていた。



「そういえば、浮も初めて会ったとき迷子の子の親探してたよね。」


「ん……そうだね。スズナリくん、元気にしてるかなー。」


「あー……してるんじゃない?多分。」


「また迷子になっちゃってたりしてないかな?」


「どうだろ、してるかも。」


「えー?」



 クスクスと笑う浮は、それから買い物を続けるために踵を返した。



「スズナリくんには感謝しないと!尋ちゃんと会えたのはあの子のお陰だもんね。」


「まぁ確かに……あの子がいないと浮は話し掛けて来てないだろうし。」


「私ね、最近すっごく楽しいんだ!前までは知り合いなんて、中出さんくらいしかいなかったし。だから、尋ちゃんたちと友達になれて本っ当に良かった!」



 屈託の無い表情。万人いれば万人が微笑み返してしまうような太陽の如きその笑顔が私に向けられた。


 浮が本心からそう思っているのは分かる。表情筋の細かな動き、そのような言動を取るまでの心情の推移、体の一挙手一投足、どれをとっても違和感はまるで感じない。

 

 ――彼女の私への好意は、本物だ。

 


「……あはは、それはどうも。」


「むぅ……本当に思ってるんだよ?」


「はいはい、分かってるって。」


「本当だってばぁー!」



 やっぱりダメだ。私への好意を、信じられない。頭では分かっていても、心が拒絶するのだ。だからこうして不誠実な誤魔化し方しか出来ない。


 不誠実……実に私にピッタリな言葉だと思う。



「ねぇ尋ちゃん!聞いてる?」


「聞いてるよ。私に友達がいないって話でしょ?」


「急な自虐!?違うよ!?」



 そう、私に友達なんかいない。

 後にも先にも、私が信じられるのはたった一人なのだから。


 私は私に寄り添う浮を嘲るように笑いながら、胸の塞がるような思いを噛み潰した。



 ◇◇◇


 迷子センターは一階の中央にある。買い物を終えた私たちがそこに向かう途中でアナウンスが聞こえ、古舘が無事子供を送り届けたのを知った。

 そこから私たちは程なくして迷子センターに到着すると、古舘とその子が近くのベンチに座っているのを見つけた。向こうも同時に見つけたらしく、バッチリと視線がかち合った。



「戸国と浮ちゃん。買い物は終わったん?」


「うん!粧奈ちゃんありがとね!」


「別にお礼言われるようなことはしてへんよ。迷子がおったら助けてあげんのが人情や。」


「うっ……」


「ん?どうした戸国。」



 言えない……一回あの子見つけたけど放っておいただなんて……



「あ、さては戸国、一回あの子のこと見つけてたな?」


「なっ!?」


「え図星なん?」



 鎌かけられた!?それは卑怯だろ!?



「こういうとこ戸国は冷たいからなぁ……自分に関係ない言うて、いっつも見て見ぬふりしようとする。」


「た、確かに他人を助けることは善行に値すると思うけど、助けなかったからって責められる謂れは無い。」


「あーあー冷たい冷たい。こういうタイプは自分さえ良ければええんやろなぁ。ホンマそういうとこはガチで直さなアカンで?あんたのためを思って言っとんねんからな?」


「……」



 腹は立つ……が、実際道徳的に正しいのは向こうだし、これ以上言い返しても醜態を晒すだけか。

 抗うだけ無駄。さっさと降伏した方が被害は少なくて済むと思われる。



「……分かったよ。直すよう尽力する。」


「うん、よろしい。」


「ちっ。」



 古舘に言いくるめられるとは……なんともまぁ屈辱的だ。

 私は思わず舌打ちが出た。



「ねぇねぇ、今の尽力ってさ……尋だけに?」


「……?」


「……?」



 浮は浮で、何を言っているのか。

 憤慨も度を越して、もはやため息が漏れるばかりだった。



「あ!そんなことより、ちょっと待っててね……」


「そんなことって自覚あるなら黙っとけば良かったのに。」



 浮はゴソゴソと手に持っていたナイロン袋を漁り始める。古舘と迷子のその子は、何をする気なのかとそれを見つめている。



「あったあった。はいこれ!」


「……!」



 浮の手にあったのは、先程スーパーで購入していたオレンジジュースの缶だった。それを子供に手渡し、笑顔で手をその頭に置く。



「えーっと……オレンジジュース、ノメル?」


「Can you drink this?」



 古舘が仲介して浮の言葉を翻訳する。子供は一瞬驚いたかのように目を見開くと、遠慮がちに頷いて缶を開けて中身を飲み始めた。



「ジュース買ったるなんて、浮ちゃん随分太っ腹やな。」


「言葉が通じない場所で一人でいるんだよ?きっと怖いに決まってる。だから少しでも怖さを無くしてあげたくて……」


「本当、殊勝な心掛けだこと。」


「戸国は人の好意を素直に受け取られへん虚しい人間やからなぁ……」



 なぜ赤の他人のためにそこまで世話がやけるのか、理解に苦しむ。放っておいても自分には関係の無いことなのに……



「っていうか、英語で会話すんのも疲れるなぁ。リアルタイムで英文を脳内構築すんの想像の何倍もムズいで。」


「あぁ、それなんだけど。スマホ使うんじゃダメなの?」


「スマホ?……あ。」


「翻訳、出来るでしょ。」



 思い至らなかった、と古舘の顔に書いてあった。目を丸くして、今までの苦労を思い返し呆気に取られていた。



「……もっと、早うに気づいてぇやぁ。」


「気づいてたけど、わざわざ言うこともないかなって。」


「あるわ!おおありや!」



 憤慨する古舘を他所に、私はこの子供について色々聞き出すため翻訳アプリを開いた。



 ◇◇◇


 ムラトくんはアラブ系の父親とアフリカ系の母親を持つハーフである。

 父親の仕事の都合上世界各国を転々としている彼は、ある日母親と一緒にショッピングモールへと出掛けた。

 しかし、朝ご飯に当たったのか母親が急に腹痛を訴え出す。生食用でない魚でも刺身にして食ったか。ともかくそうしてトイレに走った母親を追いかけるも、そのままはぐれて迷子になってしまった。


 というのが彼、ムラトくんの経緯だった。



「子供置いていくのは関心せぇへんなぁ。」


「でもトイレはどうしようもないからねぇ。」



 翻訳機能を使って聞き出した情報を共有すると、二人は見当違いなところを指摘し始める。



「ちょ、もっと重要なところあるでしょ。」


「重要なところ?」


「まさか、気づいてないの?」


「刺身の下り?」


「そこは私の推察だよ。」



 どうやら気づいていないらしい。いや、古舘は敢えて気づいた上で私をからかおうとしているのか。


 

「Ulikuwa wapi!!」


 

 遠くから大きな声が聴こえてくる。人を薙ぎ倒しながら誰かが近づいて来ているらしい。

 まるで暴れ牛のような怒号がする方を向いてみると、そこには見覚えのある人物の姿があった。


 

「الأم!」


「تصل بشكل صحيح!」



 ムラトくんが席を立ち母親の方へと駆け出した。

 その黒光りする鋼の肉体を持った母親の言葉は、一瞬使っていた別の言語からアラビア語になり、そのままムラトくんを抱き締める。


 ギリギリ、と骨の軋む音が聞こえる……



「……あれ、大丈夫なん?」


「さぁ……」



 ともあれ本人たちにとっては感動の再会であるようで、ムラトくんも母親も、涙ながらに抱き合っていた。

 ……あれ、ムラトくん白目剥いてる?



「とはいえ、見つかったなら良かったな。」


「そうだねぇ。それじゃ、私たちも帰ろっか。」


「そうだね。結構時間も遅くなっちゃったし、門限無いとは言ってもあんまり遅すぎるのも……」


「……」



 ……あれ、そういや浮と古舘、それぞれ門限あったよな。



「……戸国、今、何時?」



 錆び付いたようにぎこちない首の動きで私の方を見る古舘。私は薄々察しながらスマホのロック画面を見せた。



「二十時、二十五分……だね。」


「というか古舘の門限五時は服屋で着せ替えごっこしてる頃にとうに過ぎてた。」


「い……言ってやぁぁぁぁぁぁあ!!」



 その場で崩れ落ちる古舘。浮も顔色が悪くなっている。

 浮の門限は二十一時。残り三十五分だから急げばまだ間に合うか……?



「何はともあれ、急いだ方がいいかもね。」


「は、走らないと!」


「しゃーなしやなぁ……」



 あたふたしながらも出立する方針が固まり、私たちは慌ててその場を後にしようとした。



「Hey !」



 するとそれを見たムラトくんの母親が、私たちを呼び止めた。



 ◇◇◇


「助かりました!ありがとうございます!」



 車から降りた私たちは、運転席のムラト母にお辞儀する。

 


「エエンヤデ」


「なんで某掲示板みたいな喋り方なんかは分かりませんけど……」



 時間が危ういことを悟ってくれたムラト母の粋な計らいによって、私たちは彼女に浮のバーの前にまで送って行ってもらえた。

 電車であれば一本逃して惨事になる時刻だったため、彼女のその申し出を断る理由もなく、ありがたく乗せていただく運びとなったのだ。



「ワイノムスコ、メンドウミテクレタ、サンガツ。」


「三月?今は七月だけど……」


「『ありがとう』って意味やで。」


「ふーん……サンガツ!」



 いまいちよく分かっていないような浮だったが、すぐさまそういうものだと割り切ったらしい。覚えたての言葉を使って少し誇らしげにしていた。



「Thank you!」



 車の後ろからムラトくんが、笑顔でこちらにお礼を言った。古舘と浮もそれに笑顔で応える。



「ええんやで!」


「ええんやでー」



 その返答に、ムラトくんは親指を立ててくすぐったそうに笑う。なんともまぁ、この短時間で仲良くなったものだ。



「Thank you!」


「……え、私も?」



 期待の眼差しを向けてくるムラトくんに、戸惑う私は後ずさる。しかしその道を阻むかのように古舘が後ろへと回り込んだ。



「今更一匹狼ぶんのも良くないでぇ?ちゃんとええんやでしぃーや。」


「ええんやでするってどんな動詞だよ。」


「御託はええから、ほら。」


「え、ええんやで……?」


「Congratulation!」



 ムラト母が笑い、ムラトくんも笑い、それに吊られてこちらの二人も笑う。何が面白いんだこれ。


 ……でもまぁ、楽しそうならいいか。



 それからムラトくんと母親は名残惜しそうに手を振ると、夜の道路を車で走って行ってしまった。

 車窓から覗いていたムラトくんが、見えなくなるまで手を振っていたのが見えた。



「じゃ、行こっか。二人はどうする?うちに寄ってく?」


「あー……今あんまり手持ち無いし、今日はいいかな。」


「ウチもやなぁ。甲冑意外と高かったから……」


「そっか!じゃあまた今度ね!」


「おう!そんじゃウチ、ヤバめやから帰らな。ほなねー!」



 あながち冗談でもなさそうに全速力で走り出す古舘を、浮は大手を振って見送った。

 古舘のお母さん厳しいからなぁ……生きて学校で会えるだろうか。



「尋ちゃんも、またね。」


「あ、うん。また……」



 私もここで別れて踵を返そうとする。



「……あのさ。」


「え?」



 どう言った心境か、私は何故かそれを思い留まり、何らかの衝動を抑えきれなかった。

 なんなんだろう、この感じ。ものすごく……切ない?



「……またどっか、一緒に行こうよ。意外と楽しかったしさ。」


「……!」



 夜風が吹き抜ける音が聴こえる。冷たい空気が肌を焼き、二人だけの路地はとても静かだった。



「……うん!また今度、ね!」



 真っ暗な夜空に輝く星は焦がれるほど輝き、私の目に強く焼き付けられる。

 それを大事に抱き込むように、私はゆっくり目を閉じた。



「じゃあね。」



 そして私は今度こそ歩き出す。楽しかった一日もこれにて終了し、またもや日常へと戻っていく。

 それでも、私は何度でもここに帰って来たいと、そう思った。



「……今日は星がよく見えるな。」



 空に瞬く星々を目でなぞりながら、私は家へと向かって行った。











◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



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