※バイト先を選ぶときは慎重に
「う、ぐぅ……」
寂れた商店街の中で、今日も人知れず明かりを灯す。ひっそりと佇むそんな小さなバーに、今日も私は訪れていた。
「尋ちゃん、どうしたの?」
「あー、ちょっとね。」
彼女はこの店を切り盛りしているバーテンダーさんの孫であり、将来の夢がバーメイドであるという少女。名前は加萩 浮、私の顔見知りである。
さて、そんな彼女が私のことを気にかけてくれているようなのだが……生憎、彼女自身にどうすることが出来る訳ではない。それは別に見栄や意地から来る理由ではなく……
「……最近、金欠なんだよね。」
――ここ数ヶ月の浪費によるツケが回ってきたのだ。
◇◇◇
私にはこれと言ってお金を使い込むようなことはして来なかった。それは友達なんかと一緒に出掛けることもなければ、金のかかるような趣味を持っているわけでもないからだ。
私には本さえあれば良かったし、本ならば購入しなくても学校の図書室や地域の図書館で調達出来る。そこにお金の取引は挟まる余地もない。
だがここ数ヶ月、私がこのバーに通うようになってからは使うお金が明らかに増えた。
まずそもそもバーは高い。他の飲食店とは比にならないほど高い。
それは十万だの百万だの、そう言った意味のそれではない。ジュース一杯が約千円とか、量に対して注文一つ辺りの単価が割とお高めなのだ。
私は多額の貯金を有していたとはいえ、れっきとした収入源があるわけではない。溜め込んでいたお金はみるみる内に消えていき、先日のショッピングモールでの買い物がトドメとなって、残金はあとカクテル一杯分ほどしかない。
お金が尽きかけるなんて初めての経験だ。どうにかして収入を得なければ、この場所に来るのも難しくなるだろう。
「それで、ここで働かせて欲しいと言うことですか……」
「ダメかなぁ……?」
私は浮に連れられて、厨房の中にいたバーテンダーさんへと頼み込みに行った。
学生がお金を得る方法といえば、アルバイトである。
「残念ですが、少し厳しいかもしれません。」
「ダメなの!?」
「い、一応ちゃんと働きますよ?カクテルの知識とかはないかもしれませんが、掃除とか接客とか、雑用的なものなら全然……」
「いえ、その点に関して心配しているわけでは無いのですが……いかんせん、うちも財政が厳しい状況でして。それは浮も分かっているだろう?」
バーテンダーさんに言われて、浮は思い当たる節があるように視線を落とす。
「今日も私たちの晩ご飯はもやし炒めでね。一週間前からそうなんですよ。ですので、ここから一人分の給金を支払えるとはとても……」
「なるほど……分かりました。」
あちらはあちらで財政難に苛まれているらしい。そこで私が割って入って迷惑を掛けてしまうのはいけない。ここは大人しく身を引いておいた方が良さそうだ。
「すみませんね、お力になれなくて……」
「いえいえ、また別のところを当たらせてもらいます。」
とはいえその心当たりといえば、たまに使う近所の書店くらいのものだけど……
「……そうだ浮、近くこの近所に新しいカフェがオープンするみたいなんだ。挨拶がてら戸国さんとそこに赴いてみてはどうだい?」
「カフェ?……あー!なんか言ってたね!」
「え、この商店街にですか?」
少し悪いかもしれないが、この商店街はお世辞にも集客性に富んでいるとは言い難い。むしろその真逆である。
そんな場所に、わざわざカフェを建てようという人がいるというのだろうか。
「なんでもここら辺では市の方針から再開発が進んでいるみたいで、この商店街もどうにかしようと市長さんが誘致してくれたみたいなんですよ。」
「再開発、ですか……」
「ですので、もしかしたらこのボロボロの店も潰されてしまうかもしれませんね。はっはっは。」
「おじいちゃんそれ笑えないんだけど!?」
「なんにしろ、行ってみて損は無いと思いますよ。向こうは全国チェーン店だと聞きますし。確か、ハナノサキ珈琲店でしたかな?その知名度も相まって、オープン直後は人手も足りないことでしょう。」
ハナノサキ珈琲店……知らないな。
つまりバーテンダーさんが言うにはそのよく分からない場所で雇ってもらえ、と。
「え?っていうか近くにそんな有名店出来ちゃうんじゃ、お店の利益大丈夫なの?」
「安心しなさい。営業時間で棲み分けができるし、何より元から全く儲かってないから大丈夫さ。むしろ向こうのおこぼれに預かれるかもしれないな。」
「今のお店の利益大丈夫なんですか……?」
そんなレベルでなんで今も営業出来てるんだ……?
苦笑いしか出てこない私はこれで話を一区切りし、元いたカウンター席へと戻ろうとしたその時だった。
ドアベルがチリンと、鳴った。
「あ、お客さん来ちゃった。」
「じゃあ私は戻るよ。」
「はい、戸国さんもごゆっくりお過ごしください。」
バーテンダーさんに軽い会釈で返して、私は客席へと戻った。
カウンター席に座っていたのは、まるで見たことの無い二人組の男だった。
浮が気安く話し掛けていない辺り、おそらく彼らは初めてのご来店なのだろう。
「そういうことで、今後は私たちでこの商店街に活気を取り戻していきましょう。」
「えぇ、宜しくお願いします。」
バーテンダーさんが恭しく握手までしている。会話から察するに、相手は何やら商店街と関係しているらしい。
「そうだ、中さんに一つご相談したいことがありまして。」
「ほう。と、言いますと?」
「プレオープンの際、お忙しくなったりはしませんか?」
あぁなるほど、じゃあこの人がハナノサキ珈琲店の店長か。こっちから伺うって話だったが、向こうから来てくれたようだ。もう一人は……知らん。
「そうですね。失礼ながら、ここは人が集まりやすい場所とは言い難いですから……どうなるかは五分五分といったところでしょう。」
「そうですか……いやなに、私の孫の友人が働き口を探してましてね。良いアルバイト先が無いかとなったので、そちらでいかがかと思った次第だったのですが……」
「あぁなるほど、そういうことでしたか。ちなみにどんな方かお聞きしても?」
「今あちらにいらっしゃる子ですよ。」
そう言ってバーテンダーさんたちは私の方へと目を向けた。いきなり話の渦中に放り込まれた私はギョッとして背筋を正す。
「おやおや、あなたでしたか。お名前を伺っても?」
「は、はい。戸国尋です。」
「採用です。」
「はい……はぁっ!?」
いやいやいや!?名前聞かれただけなのに!?っていうかこれ面接だったの!?
「うちのお店はいつも可愛い女の子を募集してますからね。あ、変な意味じゃないですよ?」
変な意味じゃなかったらどういう意味なんだそれ。一気に不安になってきたぞ。
「そうだ、私が本日ここまで赴いたのも理由がありまして。すみません、お孫さんはいらっしゃいますか?」
「浮ですか?いるにはいますが、どうしてでしょうか。」
「えぇ、彼女もうちで単発のアルバイトに来ないか、とスカウトしようと思っていたのですよ。彼女も随分も可愛らしいとお聞きしたものですから。あ、変な意味じゃないですよ?」
だから変な意味じゃなかったらどういう意味なんだそれ。
「なになに?誰か私のこと呼んだ?」
「おぉ!素晴らしい!」
ガタッと音をたてて立ち上がり、ハナノサキ珈琲店の店長はカウンターに手をついた。
「お名前をお伺いしても?」
「うぇ?え、えーと、加萩浮、ですけど。」
「採用。」
「はい……はい!?」
既視感……
浮は突然のことに頭が着いていけていないようで、混乱しながらこっちを見た。
「なんか、単発バイト入って欲しいんだってさ。」
「バイト!?でも私この店が……」
「心配いりません。そこら辺のシフト調整はどうにか致しますので。」
相当浮に惚れ込んだらしい。私のときよりも遥かに対応が良い。別に羨ましいわけではないけどなんか腹立つな。
「そういうことならまぁ、単発だし……分かりました!」
「ありがとうございます!」
キャー!とはしゃぐ店長を隣の男は無表情で諌め、腕時計を見た。
「店長、そろそろお時間です。」
「おや、もうそんな時間か。詳細は後ほど連絡させてもらいます。それでは。」
そう言い残し、颯爽と立ち去る店長。もう一人の男はカードで支払いを済ませると、追従するように退店して行った。
「……あの、大丈夫なんですか?」
「何がです?」
「さっきの人ですよ。可愛い女の子常時募集って、犯罪臭しかしないじゃないですか!」
「あぁ、大丈夫ですよ。色々マズい方ならば市長さんがこちらに寄越すこともありませんし。」
だと良いんだけどなぁ……
私は不安と共にため息を吐くと、何かまた注文しようと思案した。
ドアベルがチリンと、鳴った。
「おーっす……って、お前らまた来てたのかよ。」
「先生、また酒飲んだくれに来たんですか?」
「良いだろ別に!先生だって人間なんだぞぉ!」
入ってきたのは私のクラスの担任、中出類先生だった。
先生は先程まで店長が座っていた席へとドッカリ座り込むと、羽織っていたコートを脱ぎ、畳んで背もたれへと掛けた。
「暑くないんですかそれ……」
「くっそ暑いぞ?でもなんかこれ着てたら大人っぽくなれる気がすんだよ。」
「理由がしょうもない……」
「中出さんっ!私アルバイトすることになったよ!」
呆れる私とは裏腹に、浮は先程のことを先生に報告した。途中までは普通に聞いていた先生だったが、何やら店の名前を出した途端に笑いをこらえ始めた。
「……なるほどな。いいんじゃないか?」
「何か隠してません?」
「隠してない隠してない。……ふっ。」
「何なんですか!?」
「何でもねーよ。言さんいつもの。」
「あぁ。」
それからどれだけ問い詰めても、先生は笑うばかりで答えようとはしなかった。
やっぱりあの店は何かおかしいのだろうか。帰ったら調べてみるか。
そうして私は帰宅した後でハナノサキ珈琲店について調べ、そこでアルバイトすることになったのを死ぬほど後悔することになったのだった。
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