朝の待ち時間 (古舘視点)
「粧奈ちゃーん!」
店の前で二人を待っていると、道の向こうから可愛い女の子が駆け寄ってきた。古舘が待っていた内の一人、加萩 浮である。
「えへへ、今日は寝坊しなくて良かったー。」
「でも一番乗りはもろたで加萩?」
「せやかて古舘!」
自慢の舌は今日も健在。それに加萩も乗ってくれるから軽口の叩き甲斐もあるというものだ。いつもの無愛想な隣人だとこうはいかない。
「にしても……さすがに戸国は来てないよなぁ。」
スマホを見てみるとそこには『8:12』と表示されている。
いつもの外出は出発ギリギリまでコーディネートで悩んでいる古舘だが、今日は日が昇るのと同じ時間に起きてしまったため、余裕を持って済ませることが出来た。
そうして家でボーッとしているのも退屈だったので、七時くらいに家を出たのだ。
そんなこんなで、今は集合時間よりずっと前。昨日釘を刺したとはいえ、さすがにこのような時間に彼女が来るわけがない。
「にしても粧奈ちゃん、なんだかとってもおしゃれ!」
「えー?そうかなー?そうかもなー!」
まるで芸術品を見るような目で褒められた古舘は、満更でもないような気がして口が余計に軽くなってしまった。
薄手のジャケットにロールアップした黒スキニーパンツ、レタリングの施された『RAICA』の文字がプリントしてあるシャツに、小さなポーチを肩からかけている。
古舘家の服は親の方針で、基本的に自社ブランドのみだ。徹底した他社との競合から、一銭足りとも敵に塩を送るような真似はしたくないらしい。
「多分ショッピングモールにもウチの店あったと思うし、よろしければ是非ご購入をお願いします〜。」
「え!そうなの!?見に行こ見に行こ!」
「うんうん。戸国は嫌そうな顔するやろうけど、二人でダメ押ししたらイケるやろ。」
以前までは悪ふざけも含めて色んな服を戸国に押し付けていたが、あれほどの上玉なら衣装次第でとんでもない化け方をする。古舘は純粋に、それを見てみたいと思っているのだ。
そのため今日の古舘は、戸国に隠して『戸国をオシャレさせる』という秘匿ミッションを企んでいる。もちろん加萩のコーディネートも欠かすつもりはないが、合法的に戸国に服を着せることが出来るなんてそうあることもない
この機会を存分に有効活用しない手は無いだろう。
「そのシャツに書いてあるのは……ら、らい……?」
「『ライカ』やで。ウチの親の持ってるブランド名や。」
「えへへ、私あんまり英語は得意じゃなくて……カクテルの名前だったら覚えてるから大丈夫なんだけど。」
「好きな物やと、割となんでも覚えられたりするからなぁ。」
戸国が浮のことを『浮ペディア』と揶揄していた通り、加萩のカクテルへの造形はどうやら並大抵のものでは無いらしい。昨日店に行っておいて今更疑うこともないが、どうして自分と同い年の少女が、カクテルになんて興味を持つようになったのだろうか。
「なぁ、浮ちゃんはバーメイドになりたい言うとったよな。それってなんかキッカケとかあるん?」
「え?いきなりどうしたの?」
「いやぁ、なんかふと気になってな?」
前置きも何も無い質問に、加萩は驚き戸惑い頭を巡らせているらしかった。しばらく「うーん」と唸った後、自分でも初めて言葉にしたかのような声色で答えを返した。
「……お酒は、私にとって恩人みたいなものだから?いやまぁ人じゃないんだけどさ。」
「恩人……お酒が?」
「あはは。話すと結構長いし湿っぽくなっちゃうから。」
カラカラと笑う加萩に、古舘は超えてはいけない一線を感じて引き下がる。バーに親の姿が見えないことから薄々察してはいたが、やはり何やら訳ありらしい。
「あー……なんかゴメン。」
「良いよ良いよ!今から楽しい思い出作りだし、気持ち切り替えていこーっ!」
小さな体でピョコピョコと飛び跳ねる加萩は、さながらお散歩前の小型犬である。早く外に出たくてうずうずしている。
「って言うても、集合時間までまだまだあるわ。」
「えーっ!?尋ちゃん家行く?」
「え行く?」
「……迷惑だしやめとこっか。」
「時々あるある、急に常識が復活するやつ。」
「尋ちゃんならこういうとき、本とか読み始めるんだろけど……今日は持って来てなくてさ。」
暇を持て余し、やることがなくなってしまった古舘たちは頭を抱える。一度戸国に連絡でもしてみるか?……否、へそを曲げられたらかなり面倒だ。
やはり何か話題を見つけて会話を繋ぐしかないか……
「……ん?いや、ん?」
「え、どうしたの?」
「いや、待って……あ、あああ!」
「どうしたのっ!?」
罪深き重大な事実に気づいてしまった。古舘は頭を抱えていたその手を震わせ、心の底から後悔の叫びをあげた。昼のシャッター街に声がこだまする。
心配そうに古舘のことを見る加萩と視線が合わさり、古舘はそのまま泣きそうになりながら言った。
「……浮ちゃんに、『私服可愛い』って言うの忘れてた。」
「……え?」
スチャ、とスマホを構えながら古舘は早口で説明する。
「最初に浮ちゃんから褒めてもらったのに、なんかそのままどうでもええような話をベラベラ喋ってもうてたけど、アカンやん!肝心なことまだなんも言ってなかったやん!最高!国宝!世界遺産!可愛いのギネス世界記録更新やろこんなんさぁぁぁぁぁぁ!」
「え?あ、ありがとう……?」
最後はもはや怒りながら、様々な角度で撮影していく。
古舘と同じミディアム程度のだが、自分よりもふんわりとしている髪質と、日に輝くように綺麗な茶髪が柔らかな印象を与えている。編み込みも良いアクセントになって非常に可愛らしい。ハウス・チェック柄でシックな色合いのワイシャツに白いオーバーオール。あどけなさを残しつつも目を引くような、奇跡みたいなコーディネートだ。
「いやまじ……そもそも顔もええからな。何着ても似合うのにこんな服着てたらアカンわ。いや、こういう子がおるからウチ彼氏出来へんのやと思う。もう責任取って結婚して欲しい。」
「け、けっこ……!?」
「冗談やて。でもまぁホンマにそうしちゃいたいくらい可愛ええけどな。」
「あぅ……ありがとうございます……」
「なんで敬語?」
ちゃんと表情に出して照れてくれるから、こっちもなんだか嬉しくなってしまう。こういうのところはちゃんと彼女にも見習って欲しいところだが……まあアレはアレで良いとも思うので良し。ツンデレは戸国の専売特許だ。
「にしても、こんだけ二人でオシャレして来たんやから……戸国もさぞかしめかしこんで来てるんやろうなぁ?」
「あはは、尋ちゃんこういうのに興味無さそうだもんねー。」
「あの性格からしてジャージで来てもおかしくないからな……そのときはウチら二人で戸国挟んで歩いたろ!」
「それ尋ちゃん一緒にいるの恥ずかしくなっちゃわない?」
「それが狙いや!」
「あはは、ダメだよぉ!」
さてと、そうと決まれば心して待っておこうではないか。いつもぶっきらぼうで色恋沙汰にも偏屈な視線を向けているような戸国がどんなオシャレをしてくるのか、大変見物である。
「ん?ねぇ尋ちゃん。あれ……」
「……戸国?あれ戸国ちゃうん?」
遠くから歩いてくる人影が見え、古舘らはその姿に目を凝らした。目を凝らして、唖然とした。
「な、なんやて……」
「嘘、でしょ……」
人通りの無いこの路上を歩く黒髪の美少女は、その流れるような髪をかぜにたなびかせながら、『DEBESO』というローマ字と共にプリントされている出べその描かれたシャツを、華奢で白いその体に身につけていた。
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