タバスコ組成率約五十パーセント
「お待たせ致しました。バージン・メアリーです。」
私たちの会話が一段落した頃、バーテンダーさんは二杯のカクテルをカウンターに差し出した。
会話に水を挟まないようにこのタイミングを狙っていたのか。だとしたら流石プロだ。
「さっき言ってたMEOはどうなりました?」
「えぇ、古舘さんから業者さんをご紹介頂きまして。ちゃんと勉強してコンピュータを扱えるようになるまで、管理など全てお任せすることにしました。」
「へぇ!その内おじいちゃん自分でやるつもりなんだ!」
「ずっとお任せするにもお金の問題がね……」
場末のバーでは満足な収入は得られない。古舘が言っている対策をした上で成果が得られなかったとき、それに掛けた分の金は、それこそ目の前のカクテルみたいに大赤字となるわけだ。
「これが先程仰っていた、トマトジュースを使ったカクテル……」
「レシピ自体は結構あるけど、これを使ったカクテルで有名なのは少なめだからね。そんなトマトジュースカクテルの中でも有名なカクテル、ブラッディー・メアリーのノンアルコール版がこのバージン・メアリーだよ。」
「やっぱめっちゃ詳しいな……」
「バーメイド志望だからね!」
えっへん、と胸を張っている浮を微笑ましく眺めている古舘は、結露したグラスを一つ手に取った。
「……ん?これもしかして胡椒とちゃうん?」
「え、これそうなの?」
氷も浮いている赤の水面に、黒い粉末が振りかけられている。その正体は何なのかは分からなかったが、そう言われて見ると確かに黒胡椒だ。
「よく分かったね!正解だよ!」
「やっぱり!飲み物でも胡椒かけたりすんねんなぁ。」
「でも、それって美味しいの……?」
「ふっふっふ……まぁ飲んでみなされっ!」
「せや、そういうのは飲んでみんと分からんからな。という訳で早速……」
浮に促されグラスに口をつけた古舘は、そのままゴクリとカクテルを飲み込んだ。
「……ん!これ美味い!」
「本当?」
「こんなとこで嘘なんかつかんて!ほれほれ、飲んでみ?」
「わ、分かった……」
勢いに気圧され、私は一口バージン・メアリーを飲んだ。
「……!」
私は目をかっ開き、その瞬間に開いた口を防げなくなった。
「う、うぇあ……辛い……」
「え何その顔、めちゃくちゃ可愛い。」
「死にたいの……ゲホッ!」
「アッハッハ!え?戸国もしかして辛いの無理なん?」
「黙って……」
「あれ!?そうだったの!?」
「一応タバスコは少なめにしておいたのですが……」
「た、たばしゅこ……?」
「フヒィぃぃぃっ!あかん笑てまう!」
舌の回りも覚束なくなるくらいに辛味が巡り、脳天まで鋭く刺すような痛みが目元に涙を溢れさせてくる。
タバスコって……辛いものの代表格みたいなものではないか。そんなものが食べれる訳が無い。
「……あ、そういえば尋ちゃん自分のこと、子供舌だって前言ってたっけ。」
「てっきりご謙遜なのかと……申し訳ありません。」
「いえ……予め確認を取らなかった私にも非はありますし。」
「せやせや、ちゃんと気をつけなあかんで。」
「タバスコください。こいつの穴という穴に注ぎますので。」
「そんなことしたら死んじゃうよ!?」
「死んじゃいますね。」
「承知の上で!?」
私はケラケラと笑い続ける古舘を羽交い締めにしながら浮に目線を送り続けた。
「とぅっ。」
「あうっ。」
「そして呆気なく振り払われてる……」
「戸国は非力やからなぁ。」
「チッ。」
気に食わない。私は苛立ちを見せつけるように舌打ちをして足掻いた。それを見た古舘はまたせせら笑った。
「ま、戸国がこれ飲めへんのやったらウチが代わりに飲むで?」
「代わりの一杯も何か無償でお作り致しましょう。」
笑った笑った、と息を整えながら提案する古舘と、心底から申し訳なさそうに言うバーテンダーさん。私はまず古舘にバージン・メアリーを無言で押し付け、それからバーテンダーさんに返答した。
「結構ですよ。むしろせっかく作ってくださったのに飲めなくてすみません。」
何か出してもらうなら、辛いものがダメだと先に言っておくべきだった。これは間違いなく私の落ち度だ。こちらに非はあれども相手が賠償する必要は無いはず。
「ふむ……とはいえ、どこかでお詫びしなければこちらも気が済みません。」
「お気遣いありがとうございます。ですが……」
「はい、分かっております。執拗に謝罪するのも不快にさせてしまうだけですからね。とはいえ、いずれまた何かあれば是非とも、お申し付けくださって構いませんが。」
「お気持ちだけ受け取っておきますね。」
他人同士で貸し借りの関係を作るとロクなことが無い。そういったトラブルは御免こうむりたいところだ。だから、親切心で言ってくれたのであろうバーテンダーさんの提案もやんわりと拒絶する。
「それにしても粧奈ちゃんは辛いの得意なの?」
「えー?普通やと思うけどなぁ。マスターさんこれもうちょいタバスコ追加してもろてええですか?」
「即落ち二コマかよ。」
「エッチなのんちゃうわ!」
「誰もそんなこと言ってねーよ。」
「?」
公共の場でよくそんなことを堂々と言えたもんだ。コイツには恥とかが名誉とか、そういうのは無いのだろうか。
「そんなん言わせてもらうけどな!多分ウチより戸国の方がエロい目で見てる男子は多いっ!」
「きっしょ。」
「そういうとこやて!」
「どういうとこだよ……」
ビシッと指を指してくる古舘に、私はげんなりとしながら浮に視線を送る。浮は話に着いて行けていないようで、頭にハテナを浮かべながら、会話の内容を理解しようと神妙な面持ちになっている。
「浮、厨房で果物の下処理をしておいてくれないかい?」
「えー?今?」
「頼むよ。お仕事だからね。」
「ちぇー。」
これこの会話を不健全判定して孫退避させたな。
「男っ気の無い雰囲気、庇護欲を唆るちんまり感、きめ細かくて白い肌に、贔屓目なしに学年一可愛い顔……エロい目で見るな言う方が無理やろ!」
「タバスコの飲み過ぎで頭バグったんじゃないの?」
「それにやな!戸国自身はそのちっこい胸を気にしてるみたいやけど!」
別に気にしてないが?
「……ええか?ある人物はこう唱えた。曰く、『貧乳はステータスだ。』と。」
古舘は大仰な素振りでそう言って胸を張った。
古舘のたわわな物が二つ、自らを誇示するように私の視界に入る。
「死ね……」
「余りにも唐突な殺意の宣告!?目ぇガチやん!」
「黙れ死ね……」
「やはり何かお作りしましょうか……?」
「タバスコください。古舘の身体を構成する物質の七割をタバスコにしてやります。」
「成人女性の体に含まれる水分と同じ割合!確かにタバスコ追加とは言ったけども!!」
私は無言でバーテンダーさんからタバスコを受け取って、いきり立つ古舘の方へと歩み寄って行った。
「え、待って待って?嘘やんガチでやるん?てかなんでマスターさんタバスコ渡したん?え、なぁちょっ、やめ
◇◇◇
「なんか既視感なんだけど……」
「浮、おかえり。」
バーテンダーさんから貰った水を飲んで一服している私の横に、全身を痙攣させながら血涙を――否、タバスコを流している古舘の姿があった。
「人の体の特徴を馬鹿にしちゃいけないってことですよ。」
「シテ……コロシテ……」
「なんか言ってるよ?」
「この店のタバスコが美味しくてご満悦みたいです。」
「え、そうなの?もー!そんな嬉しいこと言わないで、よーっ!」
「ゴェアッ」
バシン、とけたたましい音が店中に響き渡り、照れた浮の繰り出した平手打ちが、古舘をきりもみ回転させながら吹き飛ばした。
「あぁっ!ごめんね粧奈ちゃん!わざとなんじゃなくて……」
……浮だけは怒らせないようにしよ。
私は目の前の信じられないような事実を目にして、固く心に誓ったのだった。
「……さてと、じゃあそろそろチェックをお願いします。」
私たちのようなうるさい客がいると、バーテンダーさんも迷惑するだろう。いつもよりも早いが、今日はここらで退散させてもらおう。
「チェック?なにそれ何のチェックなん?」
「お前生きてたのか。」
「タバスコ如きで死ぬわけないやろ。」
そうか?私なら余裕で死ねるが。
「チェックはお会計のことだよ!こういうバーではカッコつけてそう言ったりするんだよねー。」
「あー、なるほどな。確かにカッコええわ。」
「だよねだよね!なんかこうさ……『チェックで。キリッ。』みたいなさ!」
「分かるぅー!」
盛り上がってる話の内容くだらなすぎだろ……
二人の会話が昂る様子に呆れ、私は鼻で笑いながら電子マネー決済を済ませた。
――ドアベルが、鳴った。
「――失礼します。加萩
「あれ、町内会長さん?こんな夜にどうしたの?」
開かれたドアの前には気の良さそうな、しかし今は堅い面持ちの老人が、神妙な面持ちで私たちを見回した。
「多田さん。このようなお時間にどうなされましたのですか?」
「至急回覧です。確認を追えたら次の方にお渡しください。」
「それは……ふむ。」
多田さんはバーテンダーさんに持っていた回覧板を渡し、バーテンダーさんは受け取ったそれを見て口元に指を添えた。
「なになに?何て書いてあるの?」
「ここら辺に住んでいた子供が一人、行方不明になっているらしい。その子を見かけた人は連絡をするように書いてある。」
「行方不明者ですか……」
至急回覧が出るくらいなのだから、ここからかなり近い場所にいた子なのだろう。あまり言うのも気が引けるが、どうやらここら辺は治安が良くないらしい。この店までの道にもいくつか、スプレーで作ったらしき落書きを大量に見つけることができた。
小さい子供なら、連れて行かれるくらいのことは起こっても不思議では無さそうである。
「それでは、私はその子を探してる人たちと合流するのでこれにて。」
「えぇ、夜道は暗いですのでお気をつけて。」
多田さんはバーテンダーさんに軽く会釈すると、私たちにも目配せをすると、不審そうな目をして店から出て行った。
……そりゃそうだよな。未成年がバーにいたらそんな顔にもなるわ。
「最近は物騒やねぇ。場合によってはこれ、テレビとかにも出てくる事件になるんとちゃうん?」
「否定は出来ませんね。まぁそれが杞憂であれば良いのですが……」
「それでも不安だよ。おじいちゃん、私もその子探すの手伝いたい!店抜けても大丈夫かな?」
浮は迷いを見せることもなく、バーテンダーさんに一時離脱の許可を求める。
そんな浮に、バーテンダーさんは目尻に皺を作って笑った。
「はっはっは、そう言うと思ったよ。あんまり遅くなり過ぎないように。」
「ありがと!ついでに回覧板も回しとくから頂戴!」
「あぁ、任せたよ。」
バーテンダーさんは浮に回覧板を手渡した。浮は受け取ったそれを一瞥した。
一瞥して、分かりやすく仰天した。
「えぇぇぇっ!?……ちょ、尋ちゃんこれ!」
「なんで私……って、嘘!」
この子を私たちは知っている。
以前スーパーマーケットで迷子になっているところを浮が拾って、それに巻き込まれる形で私もその子を警察にまで送り届けたのだ。
「スズナリくん……?」
そう。『
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