タメ口と約束


「お待たせいたしました。プッシーキャットです。」



 バーテンダーさんからプッシーキャットを受け取ったのは、それから一、二分後のことだった。



「おぉ……なんか緊張するわ。」


「それは確かに分かる。」


「戸国が……共感した!?」


「私のことなんだと思ってんの?」


「一匹狼。」


「それ広まってんの?」



 気取ったコミュ障ぼっちみたいな感じするからやめて欲しい。私は友達がいないわけでも作る気がないわけでもない。ただ、友達になりたいと思える人がいないだけだ。



「戸国は拗らせてるとこあるからなぁ……」


「鳩尾の痛み、もう忘れたの?」


「堪忍してや……」



 調子のいいことだ。さぞかし生きやすいことだろう。

 呆れてため息を吐くしかなくなった私は、代わりにグラスを傾けてそれを飲み込んだ。

 瑞々しい酸味甘味が、口の中で大波を起こした。



「あー!なんで撮る前に飲んじゃうん!?」


「は?カクテルは飲むもんでしょ?」


「いやそうやけどさ!」



 古舘はプンスコと擬音が鳴りそうな様子でスマホを取り出した。私、別に何も悪いことしてないよな……



「戸国も女子高生やろ?ならインスタで写真あげるくらいするんとちゃうん?」


「え、何それ面倒くさい。」



 インスタント・フォトグラフ。略してインスタ。歳若い女性たちがこぞって使う写真投稿アプリで、ユーザーたちはそこで日々、陽キャっぽい写真を投稿しては見せびらかすことで、謎の陽キャマウントを取り合っている。言わば地獄である。



「え、まさか戸国、インスタやってないん……?」


「別にそんな驚くことでもないでしょ。新書の情報なら青鳥とかネットニュースとか色々あるし。」


「うっそやろ……」



 まさにドン引き、という顔だ。インスタしてないだけでそんな表情向けられるのはさすがに不服だぞ。



「まぁええや。ちょっとそれ借りるで。」


「は?あげないけど?」


「勝手に飲むわけとちゃうわ!あげるのは写真の方やし!」



 関西味あるツッコミをお見舞され、私は古舘にグラスを奪われた。何をそんな必死になって写真を撮るのか、私には理解出来ない。



「……あぁ。でも確かに、多少の宣伝効果はあるのかもね。」


「え?何が?」


「いや、このお店お客さんが少ないらしくてさ。」



 インスタで写真をあげたら、少なくとも多少は人の目にはつくだろう。そうなったら、近場にいる人くらいは何人か来てくれるかもしれない。



「どうやろか……ウチ別にぎょーさんフォロワーおるわけとちゃうし。」


「あぁ、まぁ普通にそうか。」


「でもまぁ、SNS使うのは悪い案とちゃうけどな。」



 パシャリパシャリと様々な角度から写真を撮り、古舘は思案するように呟いた。



「マスターさん。MEOとかはしてませんよね?」


「え、えむ……?」



 バーテンダーさんは横文字に弱いのか、拙い言い方で首を傾げた。しかし分からないのはバーテンダーさんだけでなく、表情からして加萩さんや、私もそれが何のことなのかはサッパリだった。



「MEOっていうのは、マップエンジン最適化のことです。ゴーグル検索で店舗情報……例えば『近くのコンビニ』とか検索したら、マップと一緒にオススメの場所教えてくれるでしょ?あれで優先的に紹介されるように情報を登録したり、評価を高めたりすることをそう言うんですよ。」


「は、はぁ……なるほど。」


「言うたらここら辺におる人が『近くのバー』って検索したときに、ネットで優先的に紹介されるのとされへんのとでは集客率が違うでしょ?」



 ツラツラと、さも当然の知識かのように説明する古舘に、バーテンダーさんと加萩さんは呆気に取られていた。



「よくそんなこと知ってるね……」


「ウチの親が結構デカい会社やっとるからな。そういう知識は色々と叩き込まれるんよ。本意では無いけどな。」


「デカい会社……」


「結構有名なファッションブランドですよ。"Laica"って、聞いたことありません?」



 彼女の両親は、国内の若年層に絶大な人気を誇るファッションブランド"Laica"を立ち上げ、その運営を担っている、案外凄い人たちなのだと言っていた。

 そしてその一人娘である古舘は、バリバリのキャリアファミリーの英才教育の下、企業戦略のノウハウを幼い頃から詰め込まれたご令嬢なのである。



「ライカって、あのライカ?」


「そうですそうです。」


「うわぁ……古舘さんって凄い人だったんだ……!」


「やめてや、別にウチが凄いわけじゃあらへんし。」



 古舘は顔を背けながら頬を掻き、加萩さんからの熱烈な視線から逃げるように私に視線を寄越してきた。私に何をしろと言うのだ。

 


「それで、その……めおでしたか?それはどのようにしてすれば良いのでしょう?生憎、私は機械に疎くて。」


「あ、はい。普通に検索すればそれのページが出てくるはずなので、そこで色々すれば簡単に出来るんですけど……まぁそういうのが苦手なら、大人しく業者さんに任せた方が良いと思いますよ。」


「業者の方もいらっしゃるのですか。」


「えぇ。彼らはそちらの知識やノウハウに長けてるんで、やっぱり自分でやるよりも効果が目に見えて違いますね。ある程度の予算があるなら、うちの会社も贔屓にしてる業者さん紹介しますけど。」


「良いんですか?ぜひお願いします。」


「はい。まず会社名は――」



 バーテンダーさんと古舘はビジネストークを繰り広げ、私と加萩さんはそれに置いてけぼりにされてしまった。

 私はこれ以上話を聞いていても仕方が無いため、電子書籍を読むことにした。



「あ、そういえば尋ちゃん。この前教えてくれたショートショート?の本、読んだよ。」


「そうなんですか、どうでしたか?」



 オススメしたものを読んでもらえるのは素直に嬉しいことだ。私は顔を上げて加萩さんの感想を伺う。



「尋ちゃんの言う通りだったよ。一つ一つのお話が短くって、それでちゃんと面白いから、空き時間を見つけては読みまくっちゃった。」


「へぇ……それは、良かったです。」


「こりゃあ尋ちゃんがいつも本を読みたがる気持ちも分かるね。」



 おお、分かってくれるか加萩さん。やっぱりこの子は出来たバーメイドだ。金銭が許すなら、週二でここに通ってもいいくらいである。



「ちょっと戸国、浮ちゃんに変な趣味教えんといてや?」


「変な趣味じゃないけど?」


「それはそうやけど!あんたのレベルになると!変というかもはや異常やねん!」


「どこが?」



 私はあくまで常識の範囲内で読書を楽しむ、善良な一般市民だが?人に自分の制服着せて興奮してるお前みたいなとは違うんだよ。



「じゃあ聞くけど、初恋は?」


「七歳のとき、大庭葉蔵。」


「え、それ誰なの?」


「太宰治の『人間失格』の主人公や。」


「いや、『道化の華』にもいる。」



 太宰治はやはり、鬱屈とした病的精神に陥りがちな少年期の心なんかにはピッタリだ。

 言わば彼の作品はネガティブの教科書。彼の作品を粗方読み終えた者は恐らく、青鳥やインスタで見るような病みツイートやストーリーを鼻で笑えるようになるだろう。

『お前のその気持ちは、そのような表現で足りてしまうほど矮小で惰弱なものなのか』と。



「この顔、まーた小説んこと考えとるわ……」


「楽しそうだし、いいんじゃないかな?」



 とりあえず断言出来るのは、太宰治も立派な文豪であり、日本文学を彩り形作った偉大な一人であるということだろう。



「ま、戸国は自分の世界に入ってもうてるわけやけど……浮ちゃん、よぉこんなんとマトモに話できるなぁ。嫌なこととか言われてない?」


「え?そんなことはないけど……」


「あれ?ウチのときは初対面どころか、今もチクチク言葉やのに……?」



 そう言うと古舘は私の方をしげしげと見つめる。そして目元を隠し、突然鼻をすすりだした。



「……ふぇーん、戸国がウチにだけ厳しいー!」


「舐めてんの?」



 明らかな嘘泣きに、私は殺意さえ込めて拳を握った。無駄に運動をしない私の握力は弱々しく頼りないが、幾分か怒りの力で強力に見える。



「どうしよう尋ちゃん、古舘さん泣いちゃった……」


「ほっとけ。」


「わァ……ぁ……」


「黙れ小さくて可愛いわけでもないくせに。」



 癒しアニメのキャラクターみたいな顔で泣きじゃくる古舘を軽蔑の眼差しで見る。しかし、古舘に効果はないようだった。

 


「ふふーん、でもええもーん。戸国はウチと話すときだけタメ口やし。ウチらの方が実は仲えぇもんなー?」


「は?敬語使う価値も無いと思ってるだけだが?」


「戸国ツンデレやからなぁ。」



 ツンデレと嫌悪の違いすら分からないのか。はたまた分かってて言ってるのか。考え無しの顔から見るに、恐らく前者だと思われる。



「ま、ごめんな浮ちゃん。戸国はウチの方がええみたいやわ。モテる女は辛いなぁー。」


「浮、今度どっか遊びにでも行く?」


「え!良いの!?」


「なにそれめっちゃウチのこと好きやん。」


「何言ってるんですか古舘さん。」


「……」



 どうやらショックの余り言葉も出ないらしい。

 ふん、ざまぁない。人を馬鹿にして調子に乗ってるからだ。



「……尋ちゃんが、下の名前で呼んでくれた。」



 私が勝利の美酒(プッシーキャット)に酔い知れていると、加萩さんは声を震わせながら呟いた。 

 


「あ、失礼しました加萩さん。少し馴れ馴れし過ぎましたかね。」


「そんな……そんなことないよ!浮、うん!これからは私のことは浮って呼んで!」


「え……?」



 加萩さんは目を大きく見開き、キラキラと輝かせながら私にお願いしてくる。邪な考えもありそうになく、ただ純粋にそう呼ばれたいからそう言っている、という感じに見える。



「ま、まぁ良いですけど……」


「やったー!あ、あと敬語も使わなくていいよ。というかタメ口で話して欲しいな!」


「え?あ、はい。」


「はい、じゃなくて?」


「……うん、分かった。」



 まぁ、このことを断る理由も無い。相手がそれを望むというのなら従ってあげても良いだろう。加萩さんは……浮はそれだけの相手だ。



「あーあ……ウチの唯一の特権奪われてもうた……」


「残念だったね。雑魚乙。」


「ムキーッ!こうなったら戦争や!表出ろ戸国ぃッ!」


「やっぱりこれ美味しいね、浮。」


「聞けやぁぁぁっ!」



 ここまで来ればいつもの仕返しもそろそろ十分だろうか。これに懲りて、少しは学校でも大人しくなってくれれば良いが。


 プッシーキャットを一杯飲みきり、私はカウンターにグラスを置いた。浮はそれを引き取り洗い始めた。

 そして、チラリとこちらに視線を向けて、口を開いた。

 


「ねぇねぇ尋ちゃん。さっき一緒にどこか遊びに行こうって言ってたよね?」


「あー……うん。あんまり遠いと厳しいだろうけど。」



 古舘に見せつけるために適当な約束をその場で取り付けた私は、後から浮にそれを冗談だと言って反故にするつもりだった。

 だがしかし、浮は想定以上の期待の視線をこちらに送ってきていた。断るには些か良心が痛み過ぎる。まさかそこまで期待されるとは思っていなかった。



「ならさ、一緒にショッピングモール行こうよ!」


「ショッピングモール……ですか?」


「うん!ここから電車で行けば結構近いし、それにちょっと気になる映画があって、それも一緒に見に行きたいなって!」



 なるほど……悪くないんじゃなかろうか。

 下手に山や川、海やその他疲れそうな場所に連れて行かれるよりかはよっぽどマシだし。

 ショッピングモールなら空調設備は完備されているだろうし、疲れたら気楽に休憩もできる。映画鑑賞も座っているだけで汗をかくこともない。



「うん、良いよ。」


「やったぁー!それじゃあいつにする?」


「近いうちに定期考査があるから、それ終わってからで良い?」


「分かった、約束ね!」


「はいはい、約束。」



 浮は既に浮かれ気味になっているようで、私と約束を取り交わすと、フンフン鼻歌を歌いながらグラスを再び洗い始めた。



「……なぁ戸国。」


「なに?」


「ウチ今気づいてんけど……浮ちゃんって、もしかしてめっちゃえぇ子?」


「……さぁね。」


「いやあれ絶対えぇ子やろ。なんかそういう雰囲気というか……そんな感じすんで?」


「そりゃあ怪しい見た目の詐欺師はいないだろうしね。」



 ……そうだよな。

 ついさっきまで普通に、彼女の笑顔が本物だと思っていたけど、そんな確証はどこにも存在しないんだもんな。

 わざわざ私みたいな奴の趣味に付き合う理由だってそもそも謎だ。何かの目的で、付け入ろうとしているのか?



「……まぁ、他人のことを完全に知ることなんて出来ないんだから。それは憶測でしか語れないことなんじゃない?」


「相変わらず考え方めちゃくちゃひねくれとんな……」



 そう言うと古舘もグイッとグラスを持ち上げて、中のカクテルをその口へと流し込んだのだった。











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