多分ウェディングドレスとかも持ってる


 今日は月曜日。絶望だ。



「おはようさん。そんな死にそうな顔してんと、シャキッとしぃや。」


「うっさい死ね……」


「いつにも増して口悪いな……」



 私はここ数日、あまりよく眠れていない。趣味の読書にも手が出ないし、加萩さんたちのバーにもしばらく顔を出せていない。それと言うのも、近いうちにアレが控えているからだ。



「そういえばもうすぐテストやなぁ。ウチ全然勉強してへんわー。」


「黙れ死ね。」


「喋っただけで!?」



 今はその一単語を聞いただけで発狂死してしまいそうだ。本を読んで精神回復したい……けどそんなことしてる暇あるなら日本史とか覚えないと……



「戸国はホンマ真面目やからなぁ……また切り詰め過ぎて倒れたらアカンで?」


「あれはテスト終わってからだからセーフ。」


「そういう問題やないと思うけどな……」


「大体そっちは勉強しなさ過ぎ。テスト前にテーマパーク行くって、どういう神経なんだよ。」


「え?だって年パス期限切れそうやったから。」


「テスト前に行くか?普通。」


「じゃ、お互い様ってことで手ぇ打とか。」


「なんで私も異常扱いされてんだ。」


「いや異常やろ。」



 おかしいのは絶対に古舘の方なのに……納得のいかない結論だが、必死になって抵抗してやる義理もない。不服だが無視が一番の上策か。



「なぁ戸国も今度どっか行かへん?そんな陰キャみたいな生活続けとったらチー牛やで?」


「いいよ別に。特に行きたい場所も――」



 そこまで口から出て、ふと以前バーテンダーさんに言われたあの言葉が頭をよぎった。



「……古舘、バーに興味とかない?」


「ん、バーかぁ……え?バー?」


「うん、カクテルとか飲む感じのバー。」


「……」



 古舘は呆気にとられたかのような眼差しで硬直し、それから私の肩をがっちりと掴んだ。



「戸国、とりあえずウチが悪かった。ごめんな?多分いっぱい負担とか掛けてたんやろ?でもやからって法を犯すのは良くないと思うねん。確かにそういうことに憧れを持つ時期なのは分かるんやけど健康にも良くないしバレたら経歴にも傷がつくことになるやろ?やから――」


「何の話だよ。あと触んな。」



 ◇◇◇


 ドアベルがチリンと、鳴った。



「いらっしゃいませ。今回は少し久しくなりましたね。」


「期末考査が近いので、どうしても時間が足りなくて。それよりもこの前言われた通り連れて来ましたよ。」



 もはや私はバーテンダーさんとの会話も慣れたものだが、初来店の古舘としてはおっかなびっくりといった様子だった。



「こ、こんばんは。」


「いらっしゃいませ古舘さん。あなたのことは戸国さんと中出から兼ねてよりお聞きしていました。」


「え?先生?」


「幼馴染らしい。」


「マジ?」


「さ、こちらの席へどうぞ。」



 いつも通り、今日も店内には誰もいない。客足が無いと言っていたのは謙遜ではなかったようで、優しく流れるジャズの音色だけが聴こえている。



「うわぁ……なんか、凄いな。新鮮な感じするわ。」


「それじゃあ私、プッシーキャットください。」


「え?なにそれ、私も同じやつで。」


「かしこまりました。」


「うはぁー……注文してもうたわぁ!」



 異様なハイテンションなのは緊張の余りのことだろう。それでも意外と場は弁えられるようで、うるさく騒ぎ立てたりはせずに控えめな声量だった。

 これなら普通に本が読めただろうか。何か一冊持ってくれば良かったかな。



「厨房の掃除終わったよー。」



 私が小さな後悔をしていると、カウンター内にある厨房の出入口から加萩さんが現れた。



「あ、尋ちゃん!良かったー、もう来てくれないかと思っちゃったよ。」


「たかが半月程度でしょう……」


「常連さんでもふっと来なくなっちゃうことなんて、結構あるもんだよ?」


「まぁ私もここに来たの、これでまだ四回目だけどね。」


「十分来てくれてる方だよぉ!」



 とはいえバーの雰囲気に慣れたというのも事実。私も堂々と常連を名乗っても良いレベルにまで、ここに通いつめているらしい。



「……いい。」


「ん?古舘、なんか言った?」



 常連という言葉に酔いしれていると、古舘が隣でブツクサなにやら呟いているようだった。私はそれを聞き返した。


 

「――可愛いっ!!」



 勢い良く席を立ち、カウンターをバン!と激しく叩いて飛び上がった。出た、古舘のいつものウザテンション……



「ふぇあっ!?」


「なぁなぁ名前、あなたの名前はなんて言うん?」


「か、加萩浮です……」


「加萩 浮!ええ名前やねぇ!ウチは古舘。古舘粧奈!そんなことより、浮ちゃんめっちゃ可愛えなぁ!?」


「え?あ、どうも……」



 興奮気味に手を取られ、初対面の加萩さんはあからさまに困惑している。それでも心に火がついた古舘は止まる様子も無く、目を輝かせて暴走している。



「ちょ、ちょっと浮ちゃんこっち来てくれる?」


「は、はい!」



 加萩さんは古舘に言われるがまま、厨房を通って客席側へと来させられると、そのまま手を引かれて店内トイレへと連れ込まれた。



「……あれは、大丈夫なのでしょうか。」


「大丈夫ですよ、多分。」


「多分……」



 ここから異様なガタガタ音とか、喘ぎ声とか、そういうのが聴こえてくるなら古舘をボコボコにして出禁にするべきだが、彼女にそういう趣味は無いことは分かっている。


 とはいえ、なんの趣味も無く他人をトイレに連れ込む人もいないわけで……



「――出来た!」



 衝動の赴くままに激しくドアを開き、古舘は顔を真っ赤にした加萩さんを引っ張り出してきた。



「こ、これは……」

 


 バーテンダーさんはその目をかっぴらいて加萩さんの姿を注視した。まさかのシェーカーまでその場に置いて放置する始末である。それで大丈夫なのかバーテンダー。



「ふっふっふ……加萩浮、学生服風ファッション!」


「それアンタの制服じゃん。」


「サイズは今測って合わせたからもう浮ちゃんの制服。」


「オイオイ死んだわアイツ……」



 やり切った感で額の汗を拭う素振りを見せる古舘の後ろで、私の学校の制服を着た加萩さんが照れ笑いしながら茶を濁している。



「古舘さん。」


「え?あ、はい!」



 バーテンダーさん、自分の娘を改造されたばかりにご立腹なのだろう。そいつなら五回くらいぶっても、誰も文句言わないと思いますよ。



「……今後ともご贔屓に頼みます。浮はいつでも貸しますので。」


「え……えぇっ!ホンマですか!?ありがとうございます!任せてください!」


「おじいちゃん!?」


「ちょっと待ってなさい。一眼レフカメラを向こうにしまっていたはずだ。」



 バーテンダーさんは仕事のことさえ忘れているようで、カランと氷が溶ける音がしたシェーカーに気もとめず、早足気味で厨房の方へと入っていった。



「……愛されてますね。」


「あはははは……」


「なぁ次は何がいい?メイド?水着?着物?逆バニー?」


「逆バニーって何?」



 やめろ古舘。加萩さんの純粋な心を穢すな。



「逆バニーはバニーガールの服の逆で、隠してるところは出して、出してるところを隠してる服や。つまりおっぱいとま――」


「えい。」


「んゴェ」



 おおよそ人の出す声とは思えない声で、肘にデコピンを喰らった古舘はその場に倒れ込み、プルプル震えながら転げ回った。



「何すんねや戸国ぃ……」


「当然の報いだろうが。死んで詫びろくそビッチが。」


「こちとら彼氏いない歴イコール年齢やぞ!どうしよう!」


「知らねぇよ。」



 自分の魅力不足をこれ幸いにと転嫁するな。もっと淑やかにでもなればモテるんじゃないのか?



「にしても、こんだけ可愛い子が相手やと腕が鳴るなぁ。戸国は可愛いけど、性格キツいからさせてくれへんねん。」


「ほぼ初対面の相手に逆バニー着させられたらそりゃそうなるでしょ。」


「あれホンマ可愛いかったわぁ……ぐへへ」


「古舘のえげつない性癖に加萩さんも引いてるぞ。」


「あはは……」


「嘘嘘!冗談やって!そもそもウチはどっちかと言うと巨乳派やし、戸国の貧相な体見ててもなんも楽しくな



 ◇◇◇


「古舘さぁぁぁん!」



 鳩尾に頭突きを喰らった古舘は、叫び声をあげる間もなくその場に倒れ伏し、顔色を悪くしながら全身真っ白に燃え尽きている。



「これはいったいどういう……」


「さぁ……コレステロール値が高くて頭の血管でも詰まらせたんじゃないですか?」



 戻って来たバーテンダーさんは、目の前の地獄絵図に青ざめながらカメラを首からぶら下げている。



「……あれ?ウチはどこ?ここは、誰?」


「古舘さぁぁぁん!」


「へぇ?私よりも古舘の心配ですか。会ってばかりなのに、随分と仲が良いんですね?か・しゅ・う・さん?」


「ごめんなさい古舘さんが悪いです。」


「浮ちゃぁぁぁん!」



 私は加萩さんの頭をヨシヨシと撫でてやると、加萩さんは照れ臭そうにはにかんだ。やっぱり私はこういう妹が欲しかったのかもしれない。



「あ、っていうかおじいちゃん!ダメでしょ?お仕事中に持ち場から離れちゃ!」


「うっ……すまん。どうしても写真に納めたく……」



 いや、どんだけ?



「とにかく急いでもう一度作り直そう。古舘さんはコレステロール値が高いということだから、ヴァージン・メアリーもサービスで。」


「え?ヴァージン……が何かは分かりませんけど、えぇんですか?」


「良いよ良いよ。材料のトマトジュースは滅多に使わないし、それに初来店のサービスってことでね。」


「そうだな。なら戸国さんにも差し上げよう。思えばチャージ無料くらいしか、ロクにしてあげられてないからね。」


「いえ、十分ですよ。」



 というかそんな感じで大丈夫なのか?ただでさえ客少ないんだから、毟れるときに毟っといた方が良いんじゃないのか?



「なぁ、そのチャージってのは何なん?」


「あぁ、その手の質問は……浮ペディア。」


「はいはーい!チャージって言うのは、端的に言えば座席料金のことだよ!バーの支払い形態は少し独特でね?」


「え、そうなん?」


「そうだね。私も最初は戸惑ったよ。」



 二度目の来店で、想定していた値段よりも数百円ほど高く請求されて焦ったのも良い思い出だ。初めがチャージ無料だったために、計算に含めずに勘定してしまったのだ。



「バーでのお会計はチェックって言われたりしてね?その内訳は大抵『チャージ+ドリンク代』って感じになるよ!」


「じゃあウチが六百円の飲み物頼んでお会計したら、六百円より掛かるってこと?」


「まぁそういうことだね。ちなみに、当店のチャージは六百円となっております。」



 つまり六百円のドリンクに六百円のチャージで、代金は千二百円となる。



「うっ……なかなかに高いな。」


「お前実家金持ちだろうが……」


「家は金持やけどウチは貧乏や。」


「え?お小遣いとか貰ってないの?」


「貰っとるけどそんなんすぐ消えるわ。」


「くだらない物買ってるからじゃん……」


「逆バニーは自作やで。」


「聞いてねぇよ。」



 そんなもん自作してる暇があるならテスト勉強しろや。後から毎度提出物手伝わされるこっちの身にもなれ。



「とりあえずまずはプッシーキャットを。その次にサービスでヴァージョンメアリーを。それでよろしいでしょうか?」



 私と加萩さんで古舘に呆れていると、バーテンダーさんが確認のために私たちに聞いてきた。私はそれに首肯する。



「はい、私はそれで。」


「ウチもです。」


「かしこまりました。」



 私たちから了承を受けたバーテンダーさんは、また新しくシェーカーを取り出して準備をすると、流れるような所作で材料を計り、カクテルを作り始めたのだった。


 なお、最初に放置された方は加萩さんが完成させて美味しく頂いていました。











◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



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