馬鹿馬鹿しい

 昼休憩のチャイムが鳴る。私はすかさず読書に取り掛かる。



「さすがにご飯くらい食べてから読みぃや……」



 呆れたような声でそう言ってくるのは、ショートカットの髪が綺麗に生え揃っている、快活とした性格の迷惑な隣人である。



「古舘も、私のとこ来る前にご飯食べとけば?」


「ウチは戸国と一緒に食べよ思ってここ来たんやって。」


「どんな罰ゲームだよ。」


「むしろご褒美やろ何言っとん。」



 自分をご褒美と言える、その精神の図太さだけは大したものだ。厚顔無恥、ここに極まれりである。



「まーたよぉ分からん本ばっか読んで……少しは青春っぽいことできひんの?」


「たった今してるところだけど。」


「どこがやねん!」

 


 バン、と机を大きく叩き、古舘は私に抗議した。

 やれやれ、ゆっくり読書もさせてくれないのだから彼女は面倒くさい。ここ数日は彼女のせいで、学校での読書がみるみる減っているというのに。

 私はわざとらしく大きなため息をついて本を閉じた。



「お?やっと分かってくれたん?いやぁ、こっちもあんま言いたくはないねんけどな?何事も限度っちゅうもんがあるというかな。ほんならまぁ、一緒に食べよか!」


「お手洗い行ってくる。」



 私は本を抱きながら教室を出た。



「あ……」



 自分の望む展開から一転、明らかな拒絶を示され、さすがの古舘もこれ以上の深入りはできないと悟ったようだ。追いかけて来ることはなく、仕方がなさそうに肩をすくめて自身の席へと戻って行った。


 全く、馬鹿馬鹿しい……



 ◇◇◇


「コウモリさんが、まさか主人公のお父さんだったなんて……」


「そこの伏線回収が気持ちよすぎて私、鳥肌立っちゃったんですよね。」



 カウンターの向こうでしみじみと感想を述べる加萩さんに、私も共感して同意する。

 時計は十時半手前を指しており、そろそろ退店しなければマズい時間帯だ。



「それにしても、尋ちゃん結構な頻度で通ってくれるようになったよね。週一くらい?」


「そうですね。さすがに毎日、とはいきませんけど。でも――」



 初来店から三週間ほどがたった今、私は順調にこの店の常連と化していっている気がする。二回目までは言い訳できるが、今回からはもはや言い逃れはできまい。



「――私、このお店結構好きですから。」



 まるで夜に浮かぶ月のようだ。

 手を伸ばしても届かず、熱を振りまくわけでもなく、ただそこにあるだけ。それだけの存在。

 しかし歴然と輝いているそれは、心を安らげてくれる。



「う……嬉しいっ!何これ凄い嬉しいっ!凄いっ!」


「語彙力戻って来て。」


「こら浮、危ないよ。」



 その場でぴょんぴょん跳ね飛びながら、加萩さんは子供のようにはしゃいでいた。隣でグラスを磨き終わったバーテンダーさんがそれを制して、その衝動はやっと収まったらしい。



「ごめんおじいちゃん……でもさでもさ!好きって言ってくれたんだよ?そしたらなんかこう、いてもたってもいられなくなっちゃって……」


「そんなにですか?」


「そんなにだよ!?このお店、私だって大好きなんだから!」

 


 好きな物を共有できるというのは、とても楽しい。彼女のその気持ちが、よく分かった気がする。



「最初こそ、加萩さんの考え無しさ加減にドン引きしたりはしましたけどね。」


「んぇ!?」



 スーパーで迷子になっていたスズナリくん。あの子が母親だと指差す人に、迷いもなく声を掛け続けていた疑心の無さは呆れてものも言えないほどだ。

 イカリング食べてるおじさんを母親だと信じていた際には、本気で彼女の頭が心配だった。



「うう、せっかく浮かれてたのに……浮だけに。」


「?」


「ふふ、やめろ浮。危うく落としてしまうところだった。」



 片付けようとしていたグラスを持って、全然落としそうには見えない程度の笑みを零したバーテンダーさん。

 このやり取りで祖父と孫の繋がりを認識できるの、なんか嫌だな……



「さてと。時間もかなり迫って参りましたし、最後に一杯どうですか?」


「そうですね……じゃあそろそろ、別のカクテルにも挑戦してみようと思います。」


「お!いいねいいね!」



 いつも同じシャーリーテンプルというのも味気ない。もっと飲めるもののレパートリーを増やしておいた方が飲む楽しみも増えるというものだ。



「それでは、しばしお待ちください。」



 バーテンダーさんは道具を取りだしカクテルを作り始める。私には何をどうしているのかさっぱりだけど、加萩さんはその様子をじっくりと眺めていた。



「そんなに見てどうしたんですか?」


「ん?観察だよ?」


「観察?」


「そ、観察!ただ教えられることをやってるだけじゃ足りないから、こうやって少しでも技術を盗むためにね!」


「ガチ勢過ぎる……」


「いやいや結構普通だよ?それに現状で満足してるようじゃ、そこで打ち止めだからね。」



 どこからともなくメモ帳を取り出して、加萩さんは必死に何かを書き連ねた。

 バーメイドにはこういうハングリー精神も必要なのか。だとしたら私には無理かもしれない。本以外に興味を示せる趣味すらないのに……



「お待たせいたしました。プッシーキャットです。」


「おぉ……」



 プッシーキャット。なんとかのネコ……っていう意味だろうか。プッシーがどういう意味なのか分からない。



「プッシーキャット。可愛い子猫って意味の名前だよ。」


「へぇ、可愛い子猫……」



 にゃーん、と私の脳内で子猫たちの合唱が見えてくる。ここは天国か。



「オレンジ、パイナップル、グレープフルーツのジュースを三対三対一の割合で、それにティースプーン二杯分のグレナデンシロップを合わせてシェイクしたら完成!だよね?」


「あぁ、よく見ているじゃないか。」


「えへへー」



 なるほど、観察する理由はこういうことなのか。確かにこれは勉強になっているのかもしれない。



「その、グレナデンシロップ?っていうのは何なんですか?」


「グレナデンシロップはキイチゴとかクロスグリ……いわゆるカシスとか、そこら辺が諸々使われてるシロップだよ。由来はザクロから来てるんだけど、現代だとあんまり使われてはいないね。」


「浮ペディア……」


「はっはっは。やめてください戸国さん。」



 これだけの予備知識がありながら、加萩さんはまだ一人前とは程遠いのか。バーメイドへの道は、相当長いらしい。



「とりあえずまぁ、いただきます。」



 私は受け取ったグラスを口につけ、プッシーキャットを飲んだ。



「……へぇ、これも美味しいです。」


「ぃぃやったぁっ!」



 バーテンダーさんよりも先に本気のガッツポーズを加萩さんがした。バーテンダーさんも「ありがとうございます」と、落ち着いた声で喜んだ。


 私が知っているカクテルはこれとシャーリーテンプルくらいのものだから、私の評価が正しいものかは分からない。だがしかし、確実に言えるのは美味しい、ということだった。

 オレンジの味わいある酸味、グレープフルーツの苦味を伴った酸味、パイナップルのトロピカルな酸味が合わさった味。そこになるほど、ベリー系の甘みと香りも混ざり、新しいまた一つの味を作り上げている。



 私が確かめるようにカクテルを飲んでいる様子に、加萩さんは嬉しそうに見続け、バーテンダーさんは満足げにして後片付けを始めた。



「さてと、今日は少し早いけど店じまいの準備をしようか。」


「えー、もう?」


「どうせこの時間からここに来る人もいないだろう?それに、浮に色んなことを教えてあげられる時間も増える。」


「うーん……」



 バーの営業と勉強の時間を天秤にかけられ、加萩さんは腕を組んで唸った。



「失礼を承知でお聞きしたいんですが、このお店そんなに客足が少ないんですか?」


「そうですね。今の時代、バーを趣味にしている人も少ないですから。直近であればあなたと、あと中出が一度くらいしかいらっしゃっていません。」


「へぇ……こんなに美味しいのに、勿体ないですね。」


「はっはっは。浮も同じことを言っていましたよ。」



 そう言って浮の方へ顔を向けるバーテンダーさん。視線の先の浮は、未だにウンウン唸りながら悩んでいる。



「お孫さん、本当に好きなんでしょうね。」



 バーメイドになるための練習。それは想定より遥かに膨大な知識の会得であり、並大抵の執念で覚えられる量じゃない。

 それを懸命に覚えようと躍起になり、こうして練習と現場という二つの間で葛藤さえしている。彼女の執念が並大抵じゃないことの証としては十分だった。



「えぇ。きっといいバーメイドになりますよ。」



 バーテンダーさんはそれだけ言うと、視線を元に戻して再び片付けを始めた。



「まぁ……シェーカーの振り方とか、ちゃんと教えてくれるんだったら、仕方ないかな?」


「そうだな。今日はそれを教えてあげよう。」


「本当にっ!?閉めよ閉めよ!お店早く閉めよ!」



 うぉっ、変わり身はやっ。どうやら相当シェーカーの振り方を教えて欲しかったみたいだ。

 シェーカーって言ったら、多分あのさっきもバーテンダーさんが使ってた、ザ・バーテンダーみたいなやつだよね?カクテルの材料入れてシャカシャカするやつ。

 確かに、あれ出来るようになれば一気にバーメイド感増しそうだしな。というか今まで逆に教えてもらってなかったのか?



 そんなことを考えている間に鼻歌交じりに片付けを手伝っていた加萩さんは、グラスや色んな器具、今しがた使っていたシェーカーなど、諸々の洗い物をしようとそれらを持って、裏の厨房らしき所へとスキップで消えていった。

 シェーカー一つで随分とご満悦である。


 

「……戸国さん。」


「はい?」



 こんな妹なら欲しかったかもな、とぼんやり考えているところに、バーテンダーさんがふと話しかけて来た。

 加萩さんと話しているときは、出来るだけ邪魔しないようにか口数が少ないけれど、まさか向こうから話しかけてくるとは……何かあるのだろうか。



「古舘さん、でしたっけ?戸国さんのお知り合いの。」


「え?まぁ、はい……」


「これは個人的な頼みになるのですが……また今度、その方も一緒にご来店いただければなと。」



 古舘を?それはどうだろう。私はどちらかと言えば一人でここに来たいと思うし、古舘を連れて行けばうるさくなってしまいそうであまり良い気はしない。

 しかし、向こうの事情は一応聞いておくべきだろうと思う。


 

「それは、どういう……?」



 私が事情を尋ねると、バーテンダーさんは少し後ろを振り向いて、誰もいないことを確認してから答えた。



「……浮は、諸々の事情で学校には通ってはいないんですよ。そのために同年代の子と会う機会が滅多に無く……親代わりの身としては、あの子にもっとそういう機会を与えたいと思っているんです。」


「学校に通っていないって……中卒ですか?」



 バーメイドを目指すのならば、確かにそこら辺の学歴なんかは関係ないかもしれない。が、それだと仮に夢敗れたときに破滅するんじゃないのか。



「子供には、友達が必要なんですよ。心を許して、本音を語り合えるような友達がいればきっと――」


「おじいちゃん、洗剤切れてたー!」



 ヒョイ、と扉の向こうから顔だけを覗かせて現れた加萩さんに、私たちは思わず息を飲んで過剰な反応をしてしまった。

 さすがの加萩さんでも、その様子が不自然に見えたらしい。バツの悪さを誤魔化すように取り繕う私たちに、訝しげな目を向けてきた。



「何?どうかしたの?」


「いえ、特に何も……」



 加萩さんは私の顔をじっと見つめる。なんとなしに、表情を読まれないようじっと私も見つめ返した。


 互いを見つめる数秒間。眉に皺を寄せて見つめてくる加萩さんに、私は耐えきれずにその目を逸らして抵抗した。

 互いに沈黙し、腹の底を探られている感覚。そんな緊迫した雰囲気の中で、遂に加萩さんが発した言葉は……



「――戸国だけに?」


「……はい?」


「ふっ」



 的外れな言葉に拍子抜けし、私は心の底から「何を言ってるんだこいつは」と言いそうになった。

 緊迫した空気感から一転、ふと笑いの込み上げてくる雰囲気へと一変した。



「……何なんですか。」


「えぇ?だから、『戸国』と『特に』を……」


「それは分かりますよ。」


「はっはっは。やめてくれ、腹が痛い。」


「えへへー。」


「馬鹿馬鹿しい。」



 本当に馬鹿馬鹿しい。


 だけど、案外悪くないかもしれない。



 私はそんなことをぼんやりと考えた。



「……尋ちゃん。」


「はい?」



 再度共に顔を合わせ、じっと沈黙した。



「……特に何も無いよ。」

 


「……」



 なにを、言ってるんだこいつは……




 ……


 



 ……ふっ。」


「あ、笑った!尋ちゃん笑ったよ!」


「うるさい、うるさいですよ。黙ってください。」


「……」


「……いや本当に黙らないで?」


「はっはっは。」



 陽気な彼女の為せる技なのだろう。なんだか色々馬鹿らしくなってきてしまった。


 チビリチビリと少なくなっていくプッシーキャットをまた飲んで、口元から剥がれない笑みの形をグラスで隠した。


 

 この店のカクテルは、多分どこよりも美味しいだろう。


 

 堪えようとする気持ちとは裏腹に、誤魔化そうともついつい上がってしまう口角を手で解しながら、店じまいまでの少しの時間を、加萩さんらと談笑しながら過ごしたのだった。











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