七章

試問

   七章



 ようやく王に目通りがかなったのは、暑熱を鎮め秋の雨を呼ぶ祭儀が済んだ後だった。

 旱の悪魔が隠した水を人の国へ持ち帰った神話の英雄をなぞり、アルハーシュはつつがなく大役を果たした。遠目には弱ったところなどいっさい感じさせない、堂々とした振る舞いだった。

 やがて秋の到来を告げる最初の雨がぽつぽつと乾ききった地面に落ち、それからやっとシェイダールに謁見の許しが下りたのだった。


 久方ぶりに間近で見る王は、記憶にあるより明らかに痩せていたが、以前と同じ力強さを瞳に湛え、自ら立って彼を招き入れた。

「しばらくぶりだな、我が跡継ぎよ。少し見ぬ間に背が伸びたのではないか?」

「ええ、いくらか。背丈だけでなく肩幅なども増してくれたらいいんですが……俺のことより、アルハーシュ様がお元気そうでほっとしました」

 シェイダールは言葉尻で安堵の笑みを浮かべた。日常的な挨拶を装いきれず、声音に真情が表れる。アルハーシュは第一候補と従者をいつものように絨毯の上へ誘い、わざとらしいほどしかつめらしく詫びた。

「心配をかけたようだな」

「そんなことは」

 シェイダールは是とも否とも応じられず言葉を濁した。案じていたと正直に言えば、相手の衰えを認めることになってしまう。内心の葛藤をごまかすように、早口に続けた。

「早く成果をお知らせしたいと、ご快復を待ちわびていました。選定の白石の、正しい使い方がわかったんです」

 持参した白石を差し出しながら、報告する。本来は『路』を開き理の力を通すための物であり、先達の標を写し取る術と、脆い路を保護する術が込められていることを。

「既にヤドゥカにも試して、問題なく路を開くことができました。アルハーシュ様、手を置いてください。もしかしたら、これを使えば儀式をしなくても済むのでは」

「いや、ならぬ」

 じっと耳を傾けていた王は、即答して首を振った。白石には触れようともせず、ただじっと注意深いまなざしを注いで言う。

「そなたが見出した通り、これは本来、路を開く道具であろう。だがあくまでも最初の一歩を標すにすぎぬ。王の『知恵』は代々受け継がれ蓄積され、あまりにも膨大だ。その石に込められた術で扱いきれるものではない。……残念だが」

「試してみるだけでも、いけませんか」

「貴重な白石が砕けるぞ。気落ちするでない、そなたが見出したわざは確かなものだ。より多くの者がウルヴェーユに携わることが可能になるだろう。余が政務をさぼって寝床で思案していた計画に、ちょうど間に合ったというわけだ」

「……えっ?」

 シェイダールは沈鬱に白石をもてあそんでいたが、王の言葉に顔を上げ、露骨に疑惑の声を出す。アルハーシュは悪戯っぽい目つきをして続けた。

「いささか体調がすぐれなんだのも事実だが、煩わされずにあれこれ考える時間が必要だったのだ。何しろ余の跡継ぎは次々とかつてない行動を取り、思わぬ事態を出来しゅったいさせてくれる。安閑としておったのでは、手綱さばきを過つことになろう。それゆえ、余もまたそなたに倣い、当然とされてきた物事を一から見直しておったのだ」

 思いもよらないことを聞かされ、シェイダールとリッダーシュは揃ってぽかんとする。アルハーシュは小さく笑い、薄荷の香る清涼な水で喉を潤して一息ついた。

「そもそも候補者の身元を明かさず、接触もさせぬ定めは、かつて凄惨な争いがあった歴史ゆえだ。その代の候補は全員が野心と力をもつ名家の者であり、かつ戦に災害、凶作も重なって国情は非常に不安であった。“真に正しき王”を選ぶため候補者の半数が殺され、各々の支持者も多くが死に、あるいは位を追われ家を潰され、新王の即位後も長く混乱が続いたというが……現在の状況とは大きく異なる」

 考えを整理するようにゆっくりとそこまで言い、王はシェイダールに目を戻す。

「そなたは己に後ろ盾がない、ゆえに人は従わぬだろうと言う。だが見方を変えれば、要らざる敵もおらぬということだ。平穏な今の時代に、才に恵まれ、かつ因縁のない平民が見出された。しかもその者は神を信じず、旧来の秩序に疑念を抱き変革の意志を持っている。……世界が変わろうとしているのだよ、シェイダール。なればこそヤドゥカも、そなたの示した可能性に惹かれた。他の候補者や長官らもだ」

 さらりと告げられた一言に、シェイダールは息を飲んだ。

「アルハーシュ様、まさか」

 それきり絶句した彼に、王はご満悦の笑みを返す。そして、壁際に控える衛兵に手振りで指図した。兵が奥の出入り口に行き、召使に何事か命じると、じきに外からヤドゥカが従者連れで入ってきた。続いて同様に主従と見られる若者らが二組。

 シェイダールは声を失ったまま、天を仰いで嘆息する。アルハーシュは眉を上げた。

「あまり驚かぬのだな」

「もしかしてそうじゃないかと、先日話し合っていたので。これほど長くお会いできないのは、アルハーシュ様が密かに動いてらっしゃるからじゃないかと」

「ふむ、読まれていたか」

 アルハーシュはおどけて首を竦めたが、悪びれずに続けた。

「臥せっている間に、見舞いに来た一人一人と話し合ったのだよ。第二候補については紹介は必要なかろう。その左にいる金髪の若者が第三候補ツォルエン、水利長官のそくだ。右端が第四候補ザヴァイ、そなたと同じく平民で街に住まいがある。第五はしばらく前に候補から外した。もとより資質の面で劣っておるがゆえに」

 王の紹介に合わせ、第三候補は冷たく不機嫌な一瞥をよこし、第四候補は困惑気味の苦笑をくれた。

「皆、ウルヴェーユの探究には強い関心を持っておる。王の力……否、我々のこの資質と理の力について真実を明らかにするため、そなたに協力すると誓った。競い合って互いを蹴落とすのでなく、助け合って共に険しい道を登るとな」

「……本当に?」

 思わずシェイダールは不信の言葉を漏らす。あまりのことに放心気味のまま、彼は他の候補者を観察した。

 ヤドゥカはいつもの平静。彼については心配ないだろう。既に白石を用いて路を開き、標を写し取る術をおこなった。彼の協力を得て鉦は完璧に仕上がり、同じものを何組か追加で作成中だ。

 第三候補はシェイダールよりも二つ三つ歳下らしき少年で、どこかあらぬ方を向き、いかにも嫌そうに横目でこちらの様子を窺っている。第一候補を汚い野良犬かのように見下しているのは明らかだが、恐らく誰に対してもこうなのだろう。全身から、寄るな触るな、と威嚇する気配が滲んでいる。

 黒髪の第四候補は二十歳ほど、朴訥な印象の青年だ。今は身ぎれいにしているが、元々何か手仕事をする職業らしく、落ち着きなくもぞもぞ動かしている手指は胼胝たこや傷痕が目立つ。シェイダールと目が合うと、人の良さそうな、かつ卑屈な笑みを見せた。やあ、お互いこんな高貴な所には馴染めないね、君も大変だな……一緒にしちゃ失礼かな。そんな心の声が聞こえてくるようだ。

 アルハーシュ王の声が鋭さを帯びた。

「今日より後、候補者全員が白の宮へ立ち入ることを許す。共にウルヴェーユの秘密を解き明かし、いずれ誰が王になろうとも手を携えてワシュアールの安寧と繁栄に尽くすのだ。良いな」

「御意にかなうよう励みます」

 ヤドゥカが臣従の礼をとり、シェイダールと他の候補者らもそれにならう。王は満足したように、今日は顔合わせまで、と退室を促した。

 第二以下の候補者と従者が出ていくと、王は立ち上がって第一候補に向かい合った。

「シェイダール、そなたの遠大な野心には並々ならぬ多くの支えが必要だ。余はこの手が届く限り、助けとなる者に引き合わせよう。だが彼らの信を得るのは、そなた自身の行いにかかっておる。心して励め」

「お言葉ですがアルハーシュ様、俺は」

「王にはならぬ、と申すか。見込みが甘いぞ、我が跡継ぎよ。儀式の結果如何にかかわらず、いずれそなたが王位を継ぐのだ。この先いつか余のたねが生まれるとしても、成長を待つだけの時間はない」

 王はシェイダールの肩をぐっと掴んだ。その手は力強く、まだ何十年でも老いや衰えを遠ざけておけそうだというのに、シェイダールは急に目の前の王の姿が薄れて消えるような錯覚をおぼえた。動揺が顔に出たのだろう。アルハーシュ王は表情を和らげた。

「むろんまだ当分、そなたがウルヴェーユの究明に専念できるよう、面倒なまつりごとは余が引き受けてやるつもりだ。玉座を支える臣らにも、そなたが余に代わって即位した暁にはよく仕え、便宜を図るように命じてある。さあ、今日は彼らに顔を見せてやりに行くぞ」

 言って王は立ち上がり、歩きだす。だがシェイダールは後に続かない。王が不審げに首を傾げると、彼は絞り出すように言った。

「……アルハーシュ様。王位はヤドゥカに譲ることにして、俺はウルヴェーユを調べる新たな役職に就かせて頂けませんか。どう考えても、王のつとめを兼ねるのは無理です。一番資質に恵まれている俺がウルヴェーユに携わるのが、実用化への早道でしょう。自在に使いこなせたらきっと、人の病や衰えだって退けられる」

「そなたはウルヴェーユをまさしく神の力だと勘違いしてはおらぬか。決して万能のわざではないぞ。それが証拠に『最初の人々』は歴史から消え去った。それに……皮肉なことだが、実用化へ最短の道をと望むならば」

 アルハーシュはそこまで答え、優しくも哀しげな、それでいて挑発するような微笑をこぼし――己の胸を指差した。

「そのための『知恵』はここにある。奪え、シェイダール」

 途端、シェイダールは声を詰まらせ、歯を食いしばる。つかのまの緊張。そしてアルハーシュは再び手振りで促し、無言で外へ向かった。

 帳をくぐり、廊下を歩く。シェイダールは前を行く王の背を見据え、殴りかかりたくなるほどのやるせなさを堪えていた。それを察したか、王は振り返らぬまま、ふっと小さくため息に似た苦笑をこぼした。

「そなたの情の篤さは、王たるには重荷やもしれぬな」

 独り言のようなつぶやきは、夜空の深みを湛えている。シェイダールはやはり、何も言えなかった。

 連れて行かれたのは謁見殿だった。今は衛兵がいるぐらいで人影もまばらだ。中に入ると、聳え立つ列柱に圧倒される。床も柱も白い大理石だ。黄金の蔓が幹を這い、柘榴石や黄水晶が実る林を縫って、うっすらと色違いの床石が路をつくる。そこを辿る足音は、重く冷ややかな静寂の中へ密やかに吸い込まれてゆく。

 やがて人の頭より高く設えられた壇上の玉座が姿を現した。金銀宝石を惜しげもなく使い、精巧な彫刻を随所に施して、この椅子だけで一国が買えそうなほどだ。

 その足元に、三人の貴人が集っていた。それぞれのお供も少し離れて待機している。

 王はシェイダールとリッダーシュを止まらせ、壇に登って玉座に腰掛けた。非公式ではあるが、これは『王』の前での会見だというしるしだ。発言も誓約もすべて、神の現身たる王の前でなされること。私宮殿あるいは他の場における内輪の話し合いではない。

 アルハーシュは玉座から「待たせたな」と声をかけ、一同から臣従の礼を受けた。

「異例のことであるが、継承に先立ち第一候補を引き合わせよう。余の時とは異なり、此度の第一候補は王宮内の顔ぶれを見知っておらぬゆえ。シェイダール、前へ」

 改めて呼ばれ、シェイダールは昂然と顔を上げて進み出ると、三人に視線を走らせた。胸の奥が波立ち、ざわめいている。誰もが強い資質を持つゆえだろうか。

 最も年配の男は雪まじりの黒髪で、彼の視線を鷹揚に受け流した。すぐ隣には栗茶の髪をした小太りの男。三十路の手前と思しき愛嬌のある顔は、朗らかな雰囲気だ。

 二人と離れて立つ最後の一人は暗い色合いの金髪で、青紫の目に冷ややかな尊大さを浮かべていた。一分の隙もなく髭を整えている辺り、神経質そうだ。ついさっき同じような顔と態度を見たな、と感じたと同時に、アルハーシュが答えを言った。

「まず水利長官、ジャヌム家のラウタシュ。ワシュアールの生命線とも言える水利事業を一手に担っておる。河川工事、灌漑水路、またこの王宮の上下水道も、彼の管轄だ」

 ラウタシュは無言で目礼する。続けてアルハーシュが名を呼んだのは、小太りの男。

「イェンナ家のハディシュ、土地管理長官。つい最近就任したばかりだが、この分野の仕事は長く続けておる。王領の運営のほか、各地の管理官の人事や裁定を行う。土地の売買や譲渡は何かと揉め事が絶えぬのでな、王となった後もかかわることは多かろう」

 言葉尻で王はちらりと皮肉めかした声音になった。ハディシュは首を竦め、苦笑いで会釈する。シェイダールも事情は承知とばかり、不自然に真面目くさった顔で頭を下げた。

「最後に……シャリム家のリヒト、財務長官にして元第二候補だ」

 えっ、と思わず声を上げたシェイダールに、リヒト本人が答える。

「アルハーシュ様の前の代の、だがね。王宮では古参の部類だ。財布を握っているので大勢に嫌われておる」

 冗談めかして言いつつも、灰色の瞳は剛毅な光を湛え、浮薄さの欠片もない。まともに目が合うと、シェイダールの内なる深淵でゴゥンと大鐘のような衝撃が響いた。リヒトも同じだったらしく、おっ、というような顔をしてたじろぐ。

 二人の反応を見て、アルハーシュは興味深げにうなずいた。

「やはり、資質に優れた者同士が出会うと響くものだな。シェイダール、リヒトは多忙ゆえウルヴェーユを究める手助けはできまいが、成果が出たなら伝え授けるが良い。そなたの見出したわざを、さらに磨く『知恵』が目覚めるやもしれぬ。むろん余が最初に知りたくはあるが、状況によってはリヒト、あるいは他の候補者が適任ということもあろう。人材は臨機応変に用いよ」

 はい、とシェイダールが至って自然に答えたもので、一拍置いてリヒトが失笑し、ハディシュが口元を隠し、ラウタシュは胡乱げに眉を上げた。三人の反応を見て、シェイダールは頬を紅潮させた。まだ候補者にすぎないのに、高位の貴人を「用いる」と応じたことに気付いたのだ。既に王になったかの如く。

 彼の羞恥には構わず、アルハーシュは鷹揚に続けた。

「軍事は原則として王に決定権があるが、平時はバルマクが兵を管理しておる。祭儀は神殿から祭司長が折々に指示を寄越すゆえ、こちらからあれこれ話をもちかけることはまずない。そのほか細々とした役職の長官がおるが、政治についてはこの三人のいずれかに相談すれば話が通る。候補者を公にするとは言え、あまり大勢に顔を知られるのも不都合があろうしな。今後は実際の場にそなたも同席し、存分に政務を学ぶのだぞ」

 はい、と今度は控えめに首肯し、シェイダールは顔を上げて三人の重臣を順に見つめた。返される視線は好意的なものもそうでないものも、等しく彼を値踏みする現実的な鋭さを持っている。シェイダールは気を引き締めて背筋を伸ばすと、あえて飾らぬ言葉を発した。

「俺は平民だから、あなた方の常識を覆すことをこれから沢山すると思う。だからその時は諫めるのでなく、どうしたら上手くひっくり返せるか、一緒に考えて欲しい」

 未経験な年少者からの突拍子もない頼みに、重臣三人は揃ってぽかんとする。シェイダールは真顔のまま、静かに強い口調で訴えかけた。

「これまでの国を、世界を、変えたい。飢えと苦しみが減り、弱者が強者に虐げられず、安心して暮らせる世の中にしたい。……どうか、手を貸してください」

 腰を折って深く頭を下げた第一候補に、すぐには誰も答えない。アルハーシュがわざとらしく咳払いすると、水利長官ラウタシュが苦りきった顔で唸った。

「ようやく文字が読める程度の素人が、大言壮語するものだ」

 話にならぬとばかりの軽侮に、シェイダールはすかさず応酬した。

「素人だからこそ大きな夢を描ける。根本的な不条理に気付ける。それを無知な子供の戯言として切り捨てるなら、行きつく先は過去が未来を塞ぐ袋小路だ。あなた方は、既にある仕組みを動かしてまつりごとを行うのは得意だろう。だが俺はその仕組み自体を変えたい、いや、変えるべきだと考えている。だからあなた方も認識を改めて欲しい。素人をこれまでの連続に上手くはまるよう育ててやるのではなく、素人の夢を現実にするために、蓄積した経験と力をふるって欲しい」

 前代未聞の所信表明を受けて、ラウタシュが鼻を鳴らした。

「口ばかりは達者だな」

「当然だ、実績はこれからつくる。そのための口上だ」

 ぴしゃりとシェイダールは言い返した。相手が喧嘩腰ならこちらも遠慮しない。アルハーシュ王がくすくす笑いだしたので、ラウタシュは不愉快そうに抗議する。

「笑い事ではございませぬぞ、王よ。第一候補がきわめて資質にすぐれ、王の御力の神秘に近付こうとしていると仰せられたがゆえに、ならば我らが他事を担い、専心できる環境を整えましょうと申し上げたのです。子供の気まぐれで非現実的な無茶を……」

「揚水機」

 水利長官を遮り、シェイダールが声を張り上げた。無礼な、とラウタシュが苛立ちの目を向ける。それを叩き返すようにシェイダールは凛とした声を発した。

「王宮の揚水機を新たに建造できるとしたら?」

「……何だと?」

「必要な場所に揚水機を設置できるようになるとしたら、あなたも子供の気まぐれとは言わないだろう。俺はいにしえのわざを解き明かして、見ろこれぞ神の力だ、と崇め奉らせたいわけじゃない。ウルヴェーユを使いこなし、人の暮らしを変えるのが目標だ。だからこそ、力を貸して欲しいと頼んでいる」

 ラウタシュが真顔になると、横からリヒトがえへんと咳払いして割り込んだ。

「私にはどのように力を貸せと言うのかね。むろんあらゆる事業には金が必要であるが」

「節約を」

 シェイダールは答えた。訝しげになった財務長官に対し、彼は淀みなく語る。

「ウルヴェーユが実際に役立つようになったら、きっと皆が豊かになる。成果が出た途端に飢えた狼よろしく税を取り立てなくてもいいように、上手く節約して欲しい。ちょっと楽になった途端に締め付けがきつくなったら、皆やる気をなくしてしまう」

「緊縮財政にしろと言うのかね」

「そこまでしなくていい。ただ、貯えが尽きたからってよそから奪うために戦を起こされたら、じっくりウルヴェーユを調べられなくなる。皆も不安がって新しい取り組みを嫌うだろう。そうならないように、安定した財政を保って欲しい」

「ふむ。身の丈に合った暮らしをせよ、とは昔から言うが、すなわち身の丈が充分にあれば、新たな『暮らし』に対応し得ると言うわけか」

 リヒトが唸って顎に手を当てる。隣で土地管理長官がいそいそ身を乗り出した。

「では、私は? 何か土地に関する要望があるかい?」

 気さくというよりは、面白がっている態度だ。シェイダールはわずかに眉を上げた。なるほど、この試問は予め彼らの間で了承済みというわけか。だが彼は気付いたそぶりを見せず、誠実なまなざしを返した。

「もちろん。揚水機の話をしたが、設置するには適した土地を調べなければならないし、水利が良くなれば周辺の土地の値打ちも変わる。あなたには今まで以上に、公正な管理をお願いしなければならない。一部の人間が利をせしめて、貧しい者がさらに貧しく弱い立場に落とされないよう、しっかり手綱を取って欲しい」

「……これは大変だ」

 ハディシュは大袈裟に目を回すふりをした。シェイダールは訴状の山を思い出して苦笑し、いくぶん柔らかな口調になった。

「慰めになるかどうかわからないが、ドゥスガルの王は神器を用いて裁きをつけるとか。恐らくそれも、いにしえの遺物なんだろう。理屈がわかればウルヴェーユで人の嘘や物事の真偽を確かめる術も立てられると思う。少しは楽になるはずだ」

 ぎょっとなったのはハディシュだけではなかった。三人の重臣がぴりっと緊張する。シェイダールがわざとらしい視線を王に向けると、悪びれない笑みが返された。

「そのような術が世に出れば、大変な騒ぎになろうな」

「真偽を判定すること自体は問題ではないと思います。それをどう扱い、どう裁くか、運用を定める法がしっかりしていさえすれば。抜き打ちで品定めしてやろうってもくろみを暴くために、いちいち発言の度に嘘か本当か調べていたら、話が進みませんしね」

 一瞬の空白。そしてアルハーシュの哄笑が響く。ハディシュとリヒトが苦笑いで顔を見合わせ、ラウタシュはむっつりと唇を引き結んで腕組みした。

 ややあって王の笑いがおさまると、ラウタシュが疑わしげに問いかけた。

「王よ。本当に何も知らせずお連れになったのですかな」

「むろんだ。今だけ姑息に切り抜けたとて、いずれはそなたらと渡り合うのだからな」

「……であるなら、なるほど確かに仰せの通り、第一殿は育ちからすれば驚くほど聡明であると認めざるを得ませんな」

「よく学んでもいる」リヒトが援護する。「専門用語を出されても問答に詰まらず、理路整然と自論を展開できるだけの知識は、既に蓄えておるようだ。あとはもう少し、年長者に対する敬意を身に着けてもらえたらありがたいがね」

 おどけて一言付け足したこの場の最年長者に、シェイダールは畏まって「善処します」と一礼した。途端にハディシュが小太りの身体を揺すって笑いだす。

「善処! どうですかリヒト殿、この若者ときたら、既に我々の間でお決まりの、何の約束もしない素晴らしい答えの使いどころをわきまえていますよ。いや参った、完敗だ」

 あはは、と楽しげに笑われて、シェイダールは何ともややこしい顔になる。こんなことで認められても、と言うかこんなろくでもない返事を認めないで欲しいものだが。背後でほっと息をつくのが聞こえ、彼は従者を振り返って睨みつけた。

「おまえは知っていたのか」

「まさか。もし事前に聞かされていたならば、礼節の重要さについて一言申し上げております、我が君」

 つくづくと諦念を込めて言ったリッダーシュに、王が「苦労をかけるな」とねぎらいの言葉を賜ったもので、シェイダールはすっかり苦りきってしまったのだった。


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