第23話 水棲の絆

 レントの熱が下がったのは、それから五日後のことだった。

 ようやく起き上がれるようになったレントは、最近ずっと寝たきりばかりだったせいでむずむずしていた。

 ご飯も食べたし、走ったりはしないからとイシュカと約束をして、滞在させてもらっている屋敷の庭を散歩している。この屋敷が、前に宿屋に押しかけて来た迷惑な赤髪親子の家だと知って最初はびっくりした。

 父親の中年軍士とは会っていないけれど、赤髪の少年グンロンとは眼が覚めたときに挨拶をした。嫌なやつかと思っていたけれど、イシュカの話を聞く感じでは良いやつだったっぽい。


「で、イシュカとアーヴィンは仲直りしたんだな」

「まあ、そんな感じ~?」


 日当たりのいい場所をのんびりと歩きながら、レントは自分の意識がなくなったあとの話を聞いた。自分だけ仲間外れにされたのはちょっともやっとしたけれど、イシュカとアーヴィンが仲直りしたのなら嬉しい。他のこともなんとか丸くおさまりかけているようで、ここ最近不安だった気持ちもすっかりと落ち着いた。

 歩きながらレントはちょっとだけ唇を尖らせる。


「おれ抜きで話してたのはずるいけど……まさか、こんなに熱が下がらないなんて思ってなかった」


 ぼやくレントの金色頭を、イシュカは仕方ないようと言いながら撫でてご機嫌を取る。


「自分の容量以上の力を使おうとしたんだ。僕が助けに入らなきゃレントの身体、破裂してたからね? 人間の器じゃ無茶なんだってこと、分かってる?」

「わかってるよ」

「二度としない?」

「しない。つーか、どうしてあの時できたのかもわかんないから、できないって言ったほうが正しいかも」

「レントはそういうの、もうちょっと知ったほうがいいと思うんだけどなあ」


 軽口を言い合うようにぽんぽんと今回の件を反省するレントに、さすがのイシュカも苦笑い。いつもはレントがイシュカにもっと気をつけろと言う側だけれど、今回ばかりはイシュカが小言を言う立場だ。

 のんびりのんびりと歩く。レントの小さな歩調に、イシュカが合わせて歩いてくれる。そうしてこの三年、旅をしてきたんだよな、とレントは思った。

 この三年、イシュカの側に一番いたのは間違いなくレントで。

 だからこそレントは、胸の奥底に感じている残り物の感情を見つけてしまう。


「で、イシュカ。おれに隠しごとあるよな」

「えっ」


 イシュカの足が止まった。

 そんなに驚くことじゃないと思う。

 むしろこれはイシュカのほうがよく気づくことだから。

 でもレントだって感じる時はある。

 今みたいに。


「なんとなくわかる。イシュカからもやもやしている気持ちとか、言いたいけど言えないようなもどかしさとか……そんなのを感じる」


 振り向いてイシュカの顔を見上げると、蜂蜜色の目がまん丸になっていた。

 それからふにゃりと表情がとけて。


「わぁ……成長したねぇ、レント」

「茶化すなよ。イシュカが隠していること、今はまだ聞かないほうがいいのか?」

「聞かないでいてくれる選択肢があることに驚き」


 頭よしよしと頭を撫でてくるイシュカの手を甘んじて受けながらも、半眼でレントは問いをかさねた。

 ますます驚いた様子のイシュカに、レントはむぅと唇を尖らせる。


「だって言おうかどうか、イシュカは迷ってる。どうして迷っているかはわからないけどさ。迷っているのを無理やり聞くのは、おれがもやもやする」

「レントは優しいねぇ」


 イシュカがやんわり笑う。

 レントがまっすぐに見上げていると、イシュカはぐうっと腕を振り上げ背伸びをし、吐く息とともに力を抜いた。

 気持ちの方向性が定まったのが、レントに伝わってくる。


「決めた。レントには教えておいたほうがいいかも。まだまだ子供だって油断していると、君たち人間はあっという間に成長するからねぇ」

「子ども扱いすんなって!」


 肩をすくめておどけるように言うイシュカにレントは吠えた。いつまでも子供扱いをしないでほしい。

 むっとしているレントに笑いかけて、イシュカはその背中を押した。散歩の続きをしようと言いながら。

 そうして歩き出すと、イシュカは訥々と話し出して。


「僕ら幻獣がどうしてこの世界に現れ始めたのか。幻種の国ティル・ナヌグが大変なことになっているっていうのは、レントも聞いたよね」

「ああ。イシュカの兄ちゃんから」


 レントは意識を失う前に喧嘩腰で向かっていったイシュカの兄ケルピーの話を思い出す。

 イシュカもあの言葉を思い出したのか、その声がほんの少しだけ沈んだ。


「その原因はさ、僕ら幻種ナヌグが生まれる世界樹が枯れたから」

「世界樹?」

「そう。世界樹は全ての幻種ナヌグの生みの親。幻種の国ティル・ナヌグ幻種ナヌグによって作られた世界。幻種ナヌグの生まれないあの世界はどんどん荒廃していって、とうとう僕たちは棲めなくなった。それが二百年前」


 知らない言葉が続いていく。

 イシュカの世界のことを知らないレントがわからないなりに拾い上げたのは、その時間の長さだった。


「二百年?」

「そうだよ。そこが幻種ナヌグの別れ道になった」


 イシュカの言葉が滔々と続く。

 幻種の国ティル・ナヌグの生命はすべて、世界樹と呼ばれる大きな大樹から生まれるそう。けれどその世界樹が枯れたことで世界の層が薄くなり、幻種の国ティル・ナヌグとこちらの世界がつながりやすくなってしまった。というのも最初に暴走を始めたのは妖精種と呼ばれる幻種ナヌグたちで、彼らは元々、世界を移動する力をもっていたらしい。

 その力で世界を行ったり来たりするのが、妖精種の特権なのだとか。本来なら妖精種もむやみやたらと界渡りはしない。世界樹の意思で世界の均衡を保つためにほんの時々、こちらの世界に干渉するための力だった。

 けれどそんな彼らをまとめていた世界樹が失われると、幻種ナヌグを満たす力を求めて妖精たちは界渡りを重ねるようになる。界渡りをするほど世界の層は薄くなり、やがて穴のように道ができてしまったのだとか。

 そうして本来なら界渡りのできない幻種ナヌグまで、こっちの世界に来るようになり、今に至るそう。

 レントは黙ってイシュカの話を聞いていた。

 世界樹とか幻種ナヌグとか。レントのよくわからないことだらけだ。おとぎ話を聞いているような気持ちになる。

 その中で気になったことは。


「イシュカは自分でこっちに来たのか?」

「そうとも言えるかな~。僕も川精って言って妖精種の仲間だから、界渡りの力を持っているよ。でも幻種の国ティル・ナヌグが荒廃して僕の力も弱っていたから、昔のように一人じゃもう界渡りができなくなってる。薄くなった世界の層にその力を使って、なんとかって感じかなー」


 レントの目がぱちぱちと瞬く。それはレントの知らない話だ。


「昔はできたんだ?」

「うんと昔の話だよ。こっちじゃ五百年くらいかな?」

「……待って、イシュカ何歳なの?」

「え~? 幻種の国ティル・ナヌグとこっちじゃ時間の流れが違うからなぁ。でも最初にこっちに来たのは千年くらい前の暦じゃないかな」


 想像以上におじいちゃんなイシュカの年齢に、レントは愕然とした。むしろそんなに年をくっていたならもう少し人間のことを知っていてもいいと思ったけど、五百年も前の話をされても困る気がしてそっとこの話に蓋をする。

 レントはうなった。うなりながら一生懸命イシュカの話をかみ砕いて理解しようとする。


「それじゃあイシュカは、本当はあいつらみたいにこの世界の人間を食べにきたのか?」


 これにはイシュカが唇を尖らせた。

 論外だと言うようにレントを半眼で見る。


「言われると思った。言ったでしょう? 僕は広い世界を見に来たって。世界樹が枯れて、僕は向こうの世界で世界樹を復活させる方法がないか探したんだ。でもなかった。でもさ、向こうの世界にないだけで、こっちの世界にはあるかもしれない。そう思って界渡りができる力をかき集めて――レントに出会ったんだよ」


 一か八かの賭けだったんだよね、とイシュカは笑う。

 もしイシュカがレントと出会えなかったら。

 なんとなくその先を考えようとして、レントはその思考を振り払う。そんな『もしも』はなかったし、レントにとってもイシュカにとっても、あの時あの場所で巡り合えたのはもう過去のこと。

 起きたことだけが真実だ。

 イシュカが歩きながらレントに笑いかける。ちょっと困ったような笑い方。


「だからレント、これは僕の我がままなんだけど……たくさんの世界を冒険するついでに、幻種の国ティル・ナヌグを救う方法も一緒に探してくれないかな?」


 契約の繋がりから、イシュカの不安定な気持ちがほんのりとレントに伝わってくる。はっきりと分からないのは、レントがまだ未熟だから。

 だからレントは素直に言葉にする。言葉にしないと伝わらないことだってあるんだぞ、と伝えるために。


「わかった」

「すごいあっさり~」


 イシュカが気の抜けるような声で言うものだから、レントはもっとはっきりと言ってやる。


「おれがしたいことも、イシュカがしたいことも変わらない。もっといろんな世界を見たいってこと。そこに目的が一個増えただけだろ? 見つかるかわかんないけど、あてのない旅よりは絶対そっちのほうが楽しいと思う!」


 レントが立ち止まって言い切れば、イシュカは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。

 それから顔を伏せて、肩を震わせて。


「は、はは! あはは! そうだね、レントはそういう子だ! だから僕は君と契約できたんだよね!」


 大きな声で笑いだしたイシュカが、レントを抱き上げた。

 わっと驚いたレントの顔を、イシュカが見上げてくる。

 レントの青い瞳にイシュカの顔がめいっぱい広がった。

 穏やかに、晴れやかに、陽気に笑うイシュカ。

 蜂蜜色の瞳いっぱいに広がった自分の顔を見て、レントは決意する。


「イシュカ。おれ、早く大人になる。大人になって、イシュカにもっと広い世界を見せてやる。だから少しだけ待ってて。おれ、強くなるから。イシュカの相棒だって、胸張って言えるようになるから」


 そう宣言すれば、お日様がのぞくようにイシュカも嬉しそうに笑って。


「いいよ、ゆっくりで。僕はのんびり待ってるからさ」


 レントの小さな身体を抱きしめる。

 イシュカの腕にすっぽりと収まるレントの身体はまだまだ小さい。

 小さいけれど、いつかは大人になる日が来る。

 案山子だった少年と水棲馬ケルピーの小さな約束は、そう遠くない未来に果たされるだろう。




【水棲の契約 完】

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水棲の契約 采火 @unebi

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