第22話 術士のグンロン
グンロンの家、もとい常天軍の将フェインの屋敷は常天でも中央部、皇城城下の区画にあった。
レントが起きていたら、屋敷の大きさにきっと目を丸くしていただろうなぁとイシュカは思う。
そのレントは規格外の呪力を操ろうとした反動で、屋敷に来る頃には発熱してしまっていた。屋敷につくと部屋を借りて、イシュカはレントを柔らかな寝台の上で休ませた。
イシュカがレントの側を離れるのを嫌がったので、その部屋にグンロンたちも集まった。イシュカはレントの枕元に腰かけ、グンロンは備えつけの椅子に座る。アーヴィンは扉の近くで腕を組んで立った。
口火を切ったのはやはりグンロンで。
「それじゃあ、イシュカさん。ことの顛末を先に教えてほしい。あの水路の底で起きていた出来事を」
まったくぶれないグンロンに、イシュカはあははと笑った。
レントを休ませてくれるお礼にそれくらいのことなら、とイシュカは水路での出来事を教えてあげる。
とはいっても。
「そもそも僕らケルピーは
のんびりとした口調で話すイシュカに、グンロンの緑の瞳が輝いた。
その表情筋は相変わらず動かないけれど、少年らしい好奇心が顔をのぞかせる。
「幻獣の世界か……本当にそんなものがあったのか」
「術士の中でも半信半疑な話だからね。でも前々から幻獣がどこから来るのかというのは調べられていたんだ。僕の母さんはその道の人で、母さんから
アーヴィンの眉間にしわが寄る。
グンロンが意気揚々と話し出すと、イシュカがちょっと不思議そうな顔になる。
「そうそれ。人間がその呼び名を知っているなんて思わなかった。どこで聞いたの?」
これまで旅をしてきて幻獣の話を聞く機会がそれなりにあったけれど、幻獣がどこから来るのか知っている人は誰もいなかった。イシュカも特に話したこともないし、知っているのはレントだけだ。
だからグンロンからその言葉が出てきたのが意外で、こうして着いてきたのだけれど。
グンロンがそれはね、と話し出す。
「僕のひいひいおばあちゃんが幻獣と契約していた人だったんだって。もう八十年くらい昔の話だよ。母さんはそれをひいおばあちゃんから聞いて、研究を始めたんだ」
幻獣との契約と言われて、イシュカの金色の目が瞬いた。
「その契約していた幻獣はもしかしてケルピー?」
「君たちは自分のことをそう呼ぶんだっけ。そうだよ。水棲馬ケルピーだった。水草をからめた蒼銀の髪に金色の瞳。歩いたあとには砂の足跡。聞いた通りなんだね」
グンロンの視線がイシュカの足もとに行く。
イシュカの足もとにはよくよく見ると砂が散っていた。靴の汚れと言われればそう見えるけれど、屋敷の入口からここまでうっすらと引かれたように砂が残っている。
アーヴィンがふと気がついたようにイシュカを見た。
「まさかとは思うが、その水棲馬というのは」
「僕の兄弟じゃないかな。契約したことがあるようなことを言っていたから」
イシュカも同じことを思ったのかあっけらかんと答える。
アーヴィンがますます眉間にしわを寄せて、さらに何かに気がついたようにつぶやく。
「それじゃあ、あの水棲馬は八十年もの間、ずっとここに……? いや、それにしては水害が少なすぎる」
アーヴィンの言葉に、イシュカが呆れたような表情になる。
「いろいろ勘違いしてると思うんだけど」
「勘違い?」
「水害は別に僕らが自分で起こしているわけじゃない。水の中、川の中で
イシュカが両手の人差し指を立てると、それをくっつける。
それを見たアーヴィンが眉をはねあげた。
「そう、なのか」
「あなたたちは、水難事故による行方不明者の数を知っている?」
イシュカとアーヴィンの会話に差し込むようにグンロンが声を上げた。
アーヴィンは心当たりがあるのか目元を伏せるけれど、イシュカは唇を尖らせる。
「え~、そんなの知らないよ」
「術士が幻獣の痕跡を見つけたのは、去年、五十人を超えた。それまでは年間二十人くらいだったかな。この意味を、どう考える?」
グンロンの緑の瞳がイシュカを見る。アーヴィンの紅い瞳も疑わしそうにイシュカを見てくる。
イシュカは嫌そうに顔を歪ませた。
「なに~? 僕、疑われてる? 言っておくけど僕はこの三年、レントと一緒に武陵の山にいたから川には近づいていないよ」
「……イシュカ殿は、いつこちらに来たんだ」
「三年前。君さ、レントと僕の出会いを聞いた?」
イシュカは半身を寝台に乗り上げると、眠るレントの額に張りついているくすんだ金色の髪を払ってやった。
問いかけたはずのアーヴィンは、イシュカから問いかけられて眉間にしわを寄せる。そろそろそのしわが深くなり過ぎて跡が残りそうだ。
「命の恩人だと聞いているが……」
パズーはそれだけしか話さなかったらしい。
それもそうかとイシュカは笑う。人間らしい考え方をするなら、あの村の住人が口にするには重すぎる事実かもしれないから。
でもイシュカがそれを気にする理由もなくて。
「レントは村人に生贄として川に落とされたんだよ。泳げなくて泥水の中でもみくちゃになったのを、
アーヴィンの紅い目が見開かれる。グンロンも当然知らない事実だ。
黙り込んだ二人の重苦しそうな雰囲気を吹き飛ばすように、イシュカはへらりと笑う。
「契約はその時にしたんだ~。だから僕じゃないの。いい加減信じてよ、もー」
アーヴィンの視線がレントへと向く。
その表情には憐憫のような同情のような、後悔のような色が浮かんだ。
イシュカはそれがなんだか気に食わない。
もう少し嫌味のようなことでも言ってやろうかなと思ったところで、グンロンから話かけられる。
「信じるよ。僕は水棲馬があと一匹いると思ってる」
イシュカとアーヴィンの視線がグンロンに向く。
一人だけ何かを知っているような表情に、アーヴィンの表情が怪訝そうなものになる。イシュカは目を細めるだけで何も言わないし、表情も変えない。
グンロンは椅子を立つと懐から数枚の紙を取り出して、机の上に広げた。アーヴィンが机に歩み寄り、イシュカも少し身を乗り出して机を覗きこむ。
かなり縮尺されているそれは、二大大河と五つの全領を描いた地図だ。
「この点が行方不明者の出たおおよその場所。何度も起きているところほど点が大きいよ。去年はこの紙。その前はこっち。三年前がこれで、四年前はそれ」
数枚の地図は年ごとにまとめられていた。
アーヴィンが息をのむ。
「龍江でも行方不明者数は毎年調査されて場所も把握しているが、これは……」
「常天だからこそ入ってくる情報もあるからね。これは僕が独自で調べたものだよ」
冷静なグンロンの言葉とその用意周到さに、イシュカが感嘆の声を上げる。
「ねえ、君いくつ? レントと同じくらいに見えるけど、賢過ぎない? 人生やり直していたりする?」
「僕は十五だよ。成長期はまだみたいで小さいけどね」
「その大人な切り返し、レントは絶対無理だ~」
イシュカがあははと笑うとグンロンも少し目元をゆるめた。アーヴィンだけが何をのうてんきなことを言っているんだとイシュカを睨みつけているけど、グンロンが地図を指さしたところで視線がそちらに向く。
それは去年の地図だ。
とんとんとグンロンの指が地図を叩く。
アーヴィンがはっと気がついた。
「去年だけ、天江の上下双方で被害が起きている……?」
グンロンはうなずくとイシュカを見る。
「ねえ、イシュカ。君はここからここまで、一日で往復できる?」
イシュカは地図を見ながら唸った。
武陵の地図で自分が行ったことがある場所を起点に距離を測る。
「難しいかなあ。レントから呪力をもらったらできるかもしれないけど」
「契約していない場合は?」
「絶対無理。人を食って補給するならもっと食わないと。何より常天の結界が邪魔だもん。迂回したらしたで、この国の広さだと水がない場所で干からびちゃうかもね」
ぽんぽんと答えるイシュカに、グンロンは満足そうにうなずいた。
「となると、やっぱりもう一匹いるって結論になる。この地域とこの地域の時期は重なっているんだ。アーヴィン将軍が探している水棲馬はもう一匹のほうじゃないかな」
アーヴィンの表情が苦虫を嚙み潰したようなものになる。
「では、最近になってそいつがなりを潜めたのは」
「あ~、僕のせいかも。ここ、常天の水が流れていくところだよね? 水路修理の仕事で水路の中に入っていたから、同類の僕の匂いを嗅ぎつけて警戒したのかも。僕ら縄張り意識強いしさ。僕もおんなじ感じで、こっちにいた兄弟の匂いを嗅ぎつけたし」
心当たりのあったイシュカが馬鹿正直に自己申告する。
幻獣が人に混じって仕事をしているのを想像し、アーヴィンとグンロンの思考が一瞬止まった。
でもすぐにアーヴィンがはっとして、イシュカを睨みつける。
「貴殿のせいか」
「不可抗力~」
アーヴィンの忌々しそうな台詞を、イシュカはおどけたように受け止める。
そんな二人を眺めながら、グンロンは広げた地図をたたみ始めた。
「これで話は全部かな。何か気になることとかはある?」
「はいはい! レントが起きて仲間外れって知ったら泣くよ」
「フェイン将軍にはどう説明するつもりだ」
イシュカとアーヴィンがそれぞれこの話を共有しておくべき人物の名前を挙げると、グンロンはあっさりとうなずく。
「父さんには僕から話すよ。レントのほうは……明日には目が覚める?」
「目は覚めるだろうけど、熱は下がらないかもね。泣いたら熱が上がっちゃうから、レントが泣かないような言い訳を一緒に考えてよ~」
イシュカがへらりと笑うと、とうとうあのアーヴィンでさえが毒気が抜かれたように額へ手をやって。
「なんというか……この三年追いかけていた宿敵が子守りに専念しているのはやるせないな……」
「レント、小さいからね」
疲れたようにうめいたアーヴィンに、グンロンが心得たようにうなずく。
イシュカはにこりと笑った。
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