第21話 幻獣の関係

 渦巻く水路から一人の青年が浮かび上がってくる。

 水草とともに編み込まれたような蒼銀色の髪に、柔らかく垂れた蜂蜜色の瞳。

 先ほど水棲馬の姿で水路に飛び込んだイシュカが水路の上に立つ。

 イシュカの左腕にはぐったりと意識をなくしたしたレントがいる。イシュカがそのまま石畳の上に立ち、まるで買い物から帰るように身をひるがえそうとすると、その目の前を常天軍の軍士が遮った。

 イシュカが面倒そうに自分を取り囲む常天軍の面々を一瞥する。

 赤い髪の軍士が歩み出た。年のころはアーヴィンより少し上だろうか。槍を構え、イシュカを威嚇する。


「貴様、いったい何者だ。幻獣が人間になるとは誠だったか」


 高圧的な態度で赤髪の軍士はイシュカを問いただした。

 イシュカがうんざりしたような顔で男を見ると、その視線を遮るようにアーヴィンが横から飛び出す。


「お待ちください、フェイン将軍。ここは私の顔に免じて」


 アーヴィンがイシュカをかばった。そのことにイシュカが意外そうに肩眉を上げる。

 いけ好かないやつだったけど、分別はつくらしいと言いたげな様子がありありと伝わってくるようだ。

 けれどもフェインと呼ばれた赤髪の軍士はお堅い頭のようで、厳しい視線をイシュカに向けたまま否と答える。


「アーヴィン将軍。貴殿の顔に免じといってもそこなやつは幻獣だ。殺さねばならぬ。ここは常天。我ら常天軍が始末する」

「分かっております。しかし、この少年は龍江の者。手荒な真似は」


 アーヴィンが意識をなくしているレントを示す。アーヴィンにとって、レントはどこか放っておけない少年のままだった。どうしてこんなにもこの少年を気にかけてしまうのかは分からない。三年前、この少年を抱く青年と共に姿を消してから、ずっとその行方を案じていた。

 そんなアーヴィンの進言に、フェインはますます眉間の皺を深くする。


「だがその少年は見たところ、幻獣にそそのかされているのでは? 幻獣に与するのであればそれは人類の敵だ。後顧の憂いを断つならば、常天の将である私の責任の下、その少年もまた殺すべきだ」


 フェインの一考の余地すらもない言葉に、アーヴィンの紅い瞳がほの暗く光る。


「――お言葉ですが。龍江が何十年、どれほど憎き水棲馬を追っていたか。知らぬ将軍ではありますまい」


 そこに宿るのは真の憎悪だった。

 アーヴィンの尋常じゃない気迫にフェインは龍江の歴史を思い返したのか、次の言葉を言い淀む。


「そうは言うが……」

「父さん、ここはアーヴィン将軍預けようよ」


 引くに引けなくなったフェインを止めたのは、術士の姿をした赤髪の少年。

 フェインを父さんと呼ぶ少年はまさしく彼の息子である。


「グンロン」


 赤髪の少年は父親の静止も聞かずに前へ出ると、軽い足取りでイシュカの前に立つ。正確には、イシュカに抱かれたレントの前に。


「主導権は間違いなくこの子にある。あなた、契約しているんでしょ。僕には見えるんだ。あなたたちの間にある、呪力の糸。それは幻獣であるあなたの生命線で、主人はこの子。間違いないよね」


 グンロンはイシュカとレントが交わした契約を正しく見抜いた。

 イシュカは意外そうにグンロンを見ると、素直にうなずく。


「君、すごいね。そんなことまで分かっちゃうんだ」


 グンロンはこくりとうなずくと、自分の胸に手を当てる。


「僕はグンロン。常天の筆頭術士ミオンの息子だ。その僕が断言してあげる。あなたを使役しているのはこの子だ。そうでしょ」


 グンロンの他意のない淡々とした言葉。

 術士であるグンロンが、普通では見えないものも見ることができるというのは常天軍では知られていること。

 常天軍が固唾を呑んで成り行きを注視している中、イシュカは口元を緩めながら琥珀の瞳を細めた。


「使役とか言うと、レントが怒りそうだ。確かに僕のご主人は彼だけど、そうだな……レント風に言うと、一蓮托生の相棒、かな」


 イシュカの言葉に、グンロンが不思議そうに首を傾げる。


「相棒? それはおかしいと思う。どう見たってあなたたちの間にあるのは、支配関係の力だ」


 グンロンの言葉は正しすぎるほど正しい。

 たしかに契約によって力の支配関係はある。

 だけど、忘れちゃいけないこともある。


「僕にはさ、確かにレントが必要だ。でもレントだって僕を必要としてくれている。僕を必要としてくれたから、レントはそこのおっかない人の手じゃなくて僕を選んだんだ。そう思うのは、僕の自惚れだと思う?」


 イシュカの視線が向く先にいるのはアーヴィンだ。

 アーヴィンは苦々しそうに視線を逸らす。

 それがなによりの答えだ。

 イシュカはさらに言葉を紡ぐ。自分を敵だと、レントを敵だと言う愚か者を静かに威嚇する。


「僕はレントが望む限り、彼の願いに答えてあげるつもり。今だってレントが望んだから、こうして君たちの手には終えなかったあいつを元居た場所に追い返して来たんだよ?」


 ざわりとイシュカの周囲を異様な力が渦巻いた。

 水草まじりの蒼銀の髪がふわりと浮き上がり、水路の水がさわりと波打つ。

 常天軍がざわっと身構える。

 グンロンの緑の瞳が見開かれた。

 うしろを振り向き、今にも攻撃しかねない大人たちに声を張る。


「父さん、攻撃させないで」

「グンロン、お前までもそんな世迷言を」

「この幻獣、ものすごく強いんだよ父さん」


 グンロンが忠告するのに、フェインは鼻で笑う。


「強くても、水棲馬なら水のない地上では所詮木偶だ。水辺から引き離せば、我らの敵ではない」

「それが契約者がいることで無敵になるんでしょ」


 その意味を正しく理解できたのは数人の術士だ。

 はっとした様子で周囲を見渡し、一歩を引く。攻撃の意思はないという素振りを見せた術士たちにイシュカもわずかにその力をゆるめる。

 頭の固い父親たちを説得するため、グンロンの言葉は止まらない。


「術士なら水くらい出せるんだ。それが水棲馬と契約している。陸地でも自由自在なんじゃない? 龍江で一番最初に見つかった時にはすでに契約していたんじゃないかな。アーヴィン将軍、この水棲馬は地上を普通に歩いていたんでしょ」

「そうだ」


 アーヴィンがうなずくと、ようやくグンロンの言いたいことが分かってきたようで、フェインの表情がさらに渋くなる。

 グンロンはさらに言いつのって。


「そんな幻獣、倒せてもこっちだって大損害だ。そんなのやるだけ無駄だって母さんも言うと思う」

「ぐっ」


 フェインの言葉が完全に詰まった。

 まるで家族喧嘩のような言い合いに毒気が抜かれたのか、イシュカの力も徐々に落ち着いていく。

 イシュカがもう帰っていいかな、という態度を見せ始めるころ、「それに」とグンロンは言葉を続けた。


「聞きたいことがあるんだ。あなたはもう一匹いた水棲馬を追い返した、と言ったよね」


 グンロンの言葉に周囲がさざめく。

 これまで幻獣がどこから現れるのか、誰も知らなかった。突発に現れ、人間を襲う。そんな存在だった幻獣に、帰る場所がある。

 イシュカが何も言わずににっこりと微笑むと、グンロンが確信を得るかのように囁く。

 イシュカにだけ聞こえるような声で。


「幻獣の帰る場所……それは幻種の国ティル・ナヌグ?」


 イシュカの琥珀色の瞳が細まった。微笑みは崩さないまま。


「珍しいね。人間がその呼び方を知っているなんて」

「それを含めて、ぜひいろいろ聞きたいんだ。でもここじゃ人が多いし、僕の家においで」


 最後のほうは周囲にも聞こえた。フェインが慌てたように声を上げる。


「待て、グンロン! 私は認めないぞ!」

「父さんは事後処理お願いね。おいで。ええと」

「僕はイシュカ。この子はレント」


 父親どころか、一応フェインは常天軍を束ねる将の立場だ。それを無視して好きに動くグンロンに、常天軍の術士たちからいつものだなという空気が流れだす。

 そんな常天軍に囲まれた中で、グンロンはイシュカに手を差し伸べた。


「そう、イシュカさん。よろしく。アーヴィン将軍も来てくれる? いろいろ知りたいでしょ」

「そうだな……同行させてもらう」


 視線を向けられ、アーヴィンもうなずいた。グンロンが満足そうにうなずく。


「それじゃあ、決まり。こっちだよ」

「あ、待って、そのまえに」


 歩きだそうとしたグンロンをイシュカが止めた。

 そのまま開いている右手をすいっと宙に持ち上げる。

 水路の水が動いた。濁った水がうねり、持ち上がり、水柱が弧を描く。水柱は石畳に落ちると消滅して。

 水柱がはじけて消える。

 中から現れたのは意識を失った女性。

 誰もが言葉を失った。


「あいつに攫われていた人たち。隠していたのに気がついたからさ、回収しておいたんだ。皆、気絶しているだけだよ」


 その言葉を皮切りに、次々とイシュカの周囲に水柱が落ちてくる。

 思っていたよりもその人数は多く、常天軍の軍士が慌てて救護にあたりだした。


「お前、いつの間に……」

「いつって、レントが僕を呼ぶ前に決まってるじゃない。君たちが足止めしてくれなかったら、さすがの僕でもあいつの目は誤魔化せなかったよ」


 イシュカが悪戯の成功したような表情でにししと笑う。

 アーヴィンはそれに苦虫を嚙み潰したような顔になるし、フェインは絶句した。

 グンロンだけは涼し気な顔で。


「父さんも、他のみんなも。これでイシュカさんは無害だと分かったんじゃないかな」


 その声が聞こえたのか、イシュカの腕で眠るレントの表情が少し誇らしげに笑ったようだった。

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