第17話 常天軍の親子

 夜、明かりも消して寝台にもぐりこんだレントは、すこんと眠ってしまった。

 イシュカが帰ってきたのはそれからしばらく経ったあと。

 扉の蝶番が軋む音と人が動く気配でレントの目が覚めた。

 しばらくぼんやりしていると、暗闇の中、人影はこっそり寝台に乗りこんでくる。

 体はひんやりとしていて、レントの体温で温まっていた毛布が一気に冷えた。ぶるりと身震いしてしまう。


「イシュカ……?」

「ありゃ、起こしちゃったか」


 イシュカはもぞもぞと毛布の中にもぐりこんでくると、まだ寝ぼけているレントの身体を引き寄せた。

 ひんやりとするけど、それがちょっと気持ちいいかもしれない。

 レントはうとうとしながら、イシュカに尋ねる。


「おれ、寝てた……?」


 いつの間にか寝てしまったと、もぞもぞする。イシュカがレントの背中をぽんぽんと優しく撫でた。


「レント、身体大丈夫? つらそう」


 言われてみると、気分が悪い気がする。

 まだ呪力が回復していないせいかもしれない。


「体が重い……」

「そっか。夜も遅いからこのまま寝な」

「でも」

「明日話してあげるよ。ほら、いい子だから」

「……うん」


 うとうとしていたレントはイシュカに言われて渋々目を閉じる。

 川のせせらぎのように澄んだ気配がレントを包む。

 レントは夢を見た。

 二人の男女が氾濫している川に飛び込もうとしている。

 男性は黒髪で、女性は金髪。叩きつけるような雨。

 二人が川に飛び込むとその先に蒼銀の鬣を持つ馬がいて、その馬に案内されて川の深淵へと――

 川底の先にある場所へと到達しようとしたところで、ぽっかりと目が覚める。


「んぅ……?」

「ありゃ、起こしちゃったか」


 なんだか見たような光景な気がする。窓からは日の光が入っていて、イシュカが寝台から出て着替えていた。

 レントは目をこすりながら、もぞもぞと起き上がる。


「イシュカ? あれ、朝?」


 レントが窓の外を見ながらつぶやくと、イシュカは着替えの手を止めてレントの側に寄ってきた。

 細身だけどしっかり筋肉のついているイシュカ。普段は服に隠れていて分からないけれど、レントの薄い身体と比べたらがっちりしている。レントもあれくらいの筋肉が欲しい。

 ぼんやりしていると、イシュカがレントの額に自分の額をこつんとぶつけてきた。


「レント、身体は大丈夫? 熱はなさそうだけど」

「ちょっとだるいかも。イシュカ、いつ帰ってきたんだ」

「レントが寝たあと。いい夢見れた?」

「んー……見たような、見てないような……?」

「そかそか」


 なんだか知っている人が出てきたような気がする。

 ただ、夢の内容なんてこれっぽっちも覚えていないので、見てないって言ってしまうと見てない気持ちになった。

 イシュカはレントから離れて服を着ると、卓の上に置きっぱなしだった果物を手に取る。


「朝ごはん食べられそう? この果物どうしたの? 食べるやつ?」

「食べる……」


 イシュカが腰に下げている小物入れから小刀を出した。

 レントはぼんやりとそれを眺めていたけど、イシュカが果物を剝きだしたところで完全に覚醒する。毛布をはねのけた。


「じゃない、昨日! イシュカ、水路どうだった?」


 思い出したレントはいてもたっていられないというように寝台を降りる。椅子に座って果物を剥き始めたイシュカの前に立つと、見聞きしてきたことをねだった。

 イシュカは果物を剥きながら、ちょっと呆れたようにふうと息をついた。


「あれね。まあまあ面倒なことになってたかも」

「面倒?」

「水門が壊れてた。昨日結界が揺れたのはその衝撃だって言われてる。常天軍の術士がうろうろしていたよ」


 イシュカの眉が難しそうにひそまる。

 イシュカは軍士も苦手だけれど、術士のほうがもっと苦手だ。三年前にいっぱい喰わされたのが未だに尾を引きずっているせい。

 でもそれよりもレントが気になっているのは。


「水路に落ちた女の子は」

「僕が見に行った時はまだ見つかっていなかったよ」


 レントの青色の目が見開かれる。

 イシュカは果物の皮をむき切ると、器用に手のひらの上でひと口サイズに切った。


「あの水路、何も棲めないくらいに澄んでいるでしょ? 流されたらすぐ見つかるはずなんだけどね。隠れ水路に流されたのか、見つかってないって言ってた」

「そんな……イシュカなら探してやれるのか?」

「常天軍が躍起になってるからねぇ。結界が揺れたどさくさで幻獣が侵入してきたって言ってるやつもいたし」


 イシュカがはい、と果物をレントに差し出す。

 レントはそれを見つめながら。


「やばいじゃん」

「やばいねえ」


 幻獣騒ぎがいよいよ本格的になって、うっかり巻き込まれると笑ってはいられなくなる。女の子のことは気になるけど。


「逃げたほうがいいんじゃないか」

「そうしたいけどねぇ。レント、本調子じゃないでしょ。その状態で結界、すり抜けられる?」

「う……」


 イシュカの言う通りだ。

 こんなに呪力が枯渇している状態では、行きのようにイシュカを結界から隠して関所を通ることなんて……と考えて、レントはあれ? と首をひねる。


「いや、待て。そもそもなんでこんなに呪力が減ってるんだ」


 昨日より良くなっていると思っていたのに、むしろ悪化していた。今だって立っているのも正直しんどいくらいで、寝台に戻りたい。

 なんで、と視線をイシュカに向ければ、イシュカは舌をぺろっと出して。


「幻獣探知に引っかかりそうになっちゃって」

「なにしてんだ、ばかイシュカ! 可愛く言うことじゃないからな!?」


 あざとい感じに白状したイシュカにレントは怒鳴りつけた。

 怒鳴ったらちょっとくらっとしてしまう。イシュカが慌てて果物を持っていないほうの腕でレントの背中を支えてくれた。

 そのまま寝台へと促される。


「どうどう。そういうことで、レント君の呪力回復までもう少し時間がかかりそうなわけ」

「他人事じゃないからな!?」

「どちみち昨日の水門の修理に駆り出されると思うからさ。水門修理が終わるまで、レントは寝てな」


 食い下がろうとしたレントの口に果物が突っ込まれる。咀嚼しているうちに毛布をめくられて、追い立てられた。

 レントは大人しく寝台にもぐりこむ。その口にもう一個、果物がほうりこまれる。一生懸命、もぐもぐする。


「ばかイシュカ……」

「あはは。でもま、ゆっくりしててよ。外には絶対にでないで」


 また果物をほうりこまれる。しゃくしゃくした触感の果物はちょっと水分が控えめだけれど、喉越しがよくておいしい。

 レントは口の中のものを飲み込むと、ふぅと息をつく。


「でねぇよ。少なくとも今日は。誰かさんのせいで出かける元気ないし」

「よしよし。それじゃあ、僕はお仕事行ってくるね」

「勝手に行ってこい」


 また果物を口に入れられる。残りの半分はイシュカが大きな口で食べてしまった。手の上の果物の汁がもったいないのか、イシュカはぺろりと自分の手首に垂れた汁までなめとってとってしまう。


「お土産は屋台の美味しいご飯にするから許してね~」

「さっさと行ってこい」


 レントは出かけて行ったイシュカを見送ると、寝台の上で二度寝を決めこむ。

 なんとなくだけれど。

 イシュカが隠しごとをしているような感じがした。





 

 二度寝していたレントがのっそりと起きたのは昼頃だった。

 部屋の外がなんだか騒がしい。

 ばたばたとした足音。レントは寝ぼけ眼で扉のほうを向く。


「イシュカ……? 帰って来るのが早くないか」

「ここか、龍江人が泊っている部屋は」


 ばたんと乱暴に扉が開かれた。

 入ってきたのは中年の軍士とレントと同じ年くらいの少年。どちらも赤い髪に緑の瞳を持っていた。

 レントはびっくりして目を瞬く。


「あんたら、だれ」

「小僧だけか」


 レントがなんとか状況を飲み込んで闖入者に誰何すると、中年の軍士が部屋を不躾に見渡してやがてレントへと視線を向けた。その後ろからまたばたばたと足音が聞こえてくる。


「ちょっと軍士様! その子は体調が悪くて寝てるんだ。騒がしくしないでおくれ!」


 中年の軍士は追って来た宿の女将を一瞥すると、少年を部屋に入れて扉を閉めてしまう。宿の女将が閉め出されてしまった。

 さすがの横暴さにレントはむっとする。

 そんなレントの様子すらお構いなしに、軍士は話し出した。


「小僧、お前のつれは龍江人だな。今どこにいる」


 傲岸不遜な態度に眉をひそめながらレントは答える。


「龍江人って……イシュカのことか? イシュカは龍江人じゃないぞ」

「では聞き方を変える。銀髪金眼の男がいるな」


 やっぱりイシュカを探している。

 この間からしていた悪い予感はこれだったのかも、と思うとため息をつきそうになる。でもレントはそれをぐっとこらえて、なるべく平常心を装った。


「それを知ってどうするんだ」

「少し話を聞くだけだ」

「言っとくけど、昨日の水路の事故の話ならイシュカじゃないからな」


 レントが中年の軍士をまっすぐに見て言い返すと、軍士の片眉がぴくりと動く。


「残念だが、現場でそいつを見た人物がいる。お前の連れは今、最重要人物として挙げられているんだ」


 現場に行かせたのが仇になったらしい。

 それでもレントは反論する。


「事故のあとの野次馬のこと? それならおれが気になって行かせたんだ。事故があった時、イシュカはおれと一緒にいた」

「身内の話ではあてにならん」

「そこの通りの果物屋のおばちゃんにも聞いてみろよ。ほんとだから」

「それはこちらで決めることだ」


 まったく取り合おうとしない頑固な中年軍士にレントは舌打ちする。


「決めること? 事実だっつってんの、くそおやじ」

「くそおや……!?」


 中年軍士の額に青筋が浮かぶ。

 レントから見たらおっさんだ。アーヴィンやパズーよりも年上に見える。赤い髭ももじゃもじゃしてるし。どう見たって老けてる。

 レントが軍士を威嚇し、軍士もレントを睨みつけていると、その間に小さな赤い頭が割りこんできた。


「ねえ、君。知っている? 幻獣は人間に化けるってこと」


 感情が読みづらい、淡々とした少年の声。

 レントの視線が少し下に下がって赤髪の少年に向く。


「それがなに」

「頭のいい幻獣がいると思わない?」


 少年の表情はまったく変わらない。

 澄ました少年にレントはちょっと身を引く。

 無感動にこちらをまっすぐ見てくる緑の瞳。それがなんだか居心地が悪い。


「べつに。人間にも頭悪いやつと良いやつがいるんだから、幻獣にいてもおかしくないだろ」


 レントがぼやけば、赤髪の少年はほんのり首を傾げて。


「君もそう思う?」

「なにが言いたいんだよ」

「面白いねって」


 何が言いたいのかよく分からない。

 レントが眉をしかめていると、赤い髪の少年は踵を翻して扉に手をかけた。


「父さん、行こう。仕事に行っているなら仕方ないよ」

「……ふん」


 父さん、ということはこの赤髪たちは親子らしい。

 中年の軍士は最後にレントを一瞥すると、少年のあとをついて行くように去って行った。

 レントははぁ、と大きなため息をつく。

 それから毛布を這い出して。


「なんだったんだよもう……こうしちゃいられない。イシュカに知らせないと」

「こーら、坊」

「わぁ!?」


 着替えようとしたら、扉の向こうから渋い顔をしている宿の女将が部屋に入ってきた。女将はレントの首根っこを掴むとレントを寝台の上に戻した。

 女将が呆れた口調でレントを見下ろす。


「抜け出すと思ったよ。体調はまだ万全じゃないだろうに」

「女将! 見逃してよ! イシュカのとこに行かなきゃ!」

「大丈夫だって。イシュカさんも大人だ。何もしてないならちょっと話してすぐに帰ってくるさ」


 宿の女将はレントを寝台に押しこめる。毛布も頭から被せられてしまって、レントはもごもごと蠢く。

 アーヴィンのとこに行って、帰ってこなかったイシュカのことを思い出す。

 もしまた幻獣だってばれて追いかけられて、捕まったりなんかしたら。

 軍士は幻獣に容赦しない。見つけたら即座に屠る。もしイシュカが。

 毛布がめくられる。困ったような顔の女将の顔がにじんで見えた。


「ああもう泣くんじゃないよ、男だろう」

「泣いてねえし……!」


 レントが毛布に顔を押し付ければ、ちょっぴり濡れた気がした。

 女将の視線がふと窓のほうを向く。


「ん? 外が騒がしいね」


 その声にレントも顔を上げた。

 女将が窓に寄って外の様子を確かめる。


「珍しい。水位が上がっているのか。そういえば水門が壊れたと言っていたね。上江から流れてきたのか……あ、こら坊や!」


 独り言のようにつぶやいた女将の言葉に、レントは毛布をはねのけた。

 ぱっと寝衣から外出着に着替えると、部屋を飛び出す。


「イシュカのとこ行ってくる!」


 胸騒ぎがした。

 イシュカの身に何か起きている。

 身体のだるさなんか忘れたようにレントは通りを駆けた。

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