第15話 街の噂

 ヤーモンに誘われておいしい夕食を食べた日から翌々日。

 常天を出立しようとしていたはずの三人は、まだ常天の宿の食堂にいた。

 昼間のかきいれ時を過ぎた食堂は閑散としていて、のんびりとした空気が流れている。その卓の一つでヤーモンが頭を抱えていた。


「くっそ、やられた。虎途行きの関所が全面封鎖された」


 朝から出かけていたヤーモンが返ってきたのは、レントとイシュカが遅めの昼食をとった後だった。

 宿に帰って来て早々、今日はもう発てないとヤーモンは言った。その理由が関所の封鎖らしい。

 レントとイシュカはお互いをちらりと見合う。


「なんで」

「例の水難事故が多発しているらしい。幻獣の線が疑われていたんだが、どうも人間の仕業らしくてな」


 ヤーモンが頭を抱えたまま苦々しそうに吐いた。

 彼はまだ昼食を食べていないようなので、イシュカが気を利かせて食堂の係りに追加の注文を頼む。ついでに自分たちのお茶とお茶請けもお願いした。注文が終わると話を戻して。


「物騒だねー」

「これが厄介なことに水門近くで起きている。虎途軍が水門を中心に捜索しているようだが、各関所を警戒しているらしいんだ。それで封鎖されたらしい」

「いい迷惑じゃん」


 たった一人の犯人のために関所を全部封鎖したのだから、かなり大事になっているらしい。常天を通り道にしただけで巻きこまれた側からしたらいい迷惑だ。


「幻獣の仕業って言われていたのに人間の仕業って変わったってことは、見たやつがいるのか?」

「ああ。水難事故にあった人と一緒にいたって言われている人間がいるみたいだ」


 レントの純粋な疑問にようやく顔を上げたヤーモンが答える。大きなため息ももれなくついてきた。

 それから午前中聞いてきた話を思い出すように頬杖をついて話し出して。


「特徴的に龍江人らしい。去年まで起きていた下江の水難事故でも目撃されていた人物と一致しただとかで、龍江軍が虎途軍に情報提供したらしい」

「へえ」

「上江は今年に入って増水している。幻獣騒動があってのこれじゃあ、虎途軍も大混乱だな」


 追加の注文が運ばれてきた。湯がいた芋に乳酪、青菜炒めに、羊肉の腸詰めがヤーモンの前に並ぶ。レントとイシュカの前にはお茶と果物。姿勢をただしたヤーモンは箸を手にすると大きな口で芋を頬張った。


「関所が封鎖されたのはわかったけどさ、これからどうするんだ。関所が開くのを待つのか?」


 状況が分かって次に気になるのは、このあとどうするのかだ。

 レントがふぅふぅと湯気の立つお茶を冷ましながら尋ねると、ヤーモンは大蒜にんにくのきいた青菜炒めを嚥下する。


「いや。遠回りになるが、雀胡経由で虎途に向かおうと思う。聞いてる感じ、下河は平和そのものみたいだからな。二人はどうする」

「どうしようか、イシュカ」


 急ぐ旅でもないけれど、虎途側の関所の封鎖が解けるまでしばらくかかるかもしれない。せっかくヤーモンが誘ってくれたのだから、彼と一緒に雀胡経由で行くのもありだ。

 あれだけ虎途に行くのを楽しみにしていたイシュカだ。二つ返事でうなずくはずだと思った。

 けれど。


「レント。僕、もう少しここにいたいな~」


 意外にもイシュカは常天で待つほうを選んだ。

 レントは思わず手元のお茶から視線を上げてイシュカを見る。

 イシュカがにっこり笑った。


「お金稼ぐの楽しくてさ! もう少し路銀稼いでもいいかなって!」

「お、おう」


 思っていたよりも水路の仕事はイシュカにとって天職だったらしい。

 ヤーモンは羊肉の腸詰めに伸ばそうとした箸を置くと、懐をあさりだす。


「そうか、それなら寂しくなるな。俺は明日出発する。これは選別だ。ありがたくもらっておけ」


 何を探しているのかと思えば一個の木簡を取り出した。イシュカに向けて投げる。

 レントはイシュカの手元に落ちてきた木簡を覗きこんだ。不思議な文様とヤーモンの名前が彫られている。


「これは?」

「符牒だ。虎途に来たら宿屋でこれを見せるといい。俺が入っている商人組合と契約してるところなら関係者ってことで、いろいろ融通がきく。巡り合わせが良かったらまた会えるだろう」


 レントは青い瞳をめいっぱい大きく見開いた。

 この広い国でたまたま行きあわせただけの自分たちにここまでしてくれるとは思わなくて。それにまた会えるかもしれないという言葉がレントの胸をひどくくすぐったい気持ちにさせる。イシュカも同じことを感じたのかなんだかむずむずとした気持ちが流れ込んできた。

 イシュカを見上げる。

 イシュカの蜂蜜色の瞳が楽しそうに煌めいている。

 その瞳に映るレントも楽しそうで。

 レントはヤーモンに向き合うと、このくすぐったい気持ちを言葉に乗せた。


「ヤーモン、ありがとう」

「おう。何か困った時も使えるからな。大切にしろよ」


 口の端をつり上げてヤーモンが笑う。

 イシュカもにこにこと笑ってレントの頭を撫でた。


「よかったねぇ、レント」

「なんでそんなに嬉しそうなんだよ」


 レントの金色頭をくしゃくしゃにするやつを半眼で見上げると、イシュカは一瞬だけきょとんとした後に相好をますます崩して。


「えー? レントが嬉しそうだから? 友達が増えると嬉しいよね!」

「イシュカうるさい!」


 そんないつも通りな二人をヤーモンが快活に笑う。

 出会いがあれば別れもあって、でもさらにその先に再会が待つ。

 ヤーモンとの別れはひどくあっさりとしたものだけれど、にぎやかだったのは間違いない。






 ヤーモンが虎途を目指すため宿を去ると、レントは一人で出かけるようになった。

 イシュカは相変わらず水路の仕事に精を出している。レントも日雇いの仕事があれば受けてみたいけれど、レントの容姿や年齢では受け入れてくれるところはなかなかなくて、常天の街を散歩するだけになってしまっている。

 今日も仕事は見つからないかもしれないと思いつつ、宿を出て通りを歩いていた。


「おれも仕事が見つかるといいんだけどなあ。村の子なら普通に畑仕事できる年なのに。そんなにちびじゃねぇっつの」


 さっきも一件、日雇いの仕事を募集しているところがあったので名乗り出たのに門前払いされてしまった。

 くさくさした気持ちで通りを歩いていると、屋台の店先で話しこむ女性たちの会話が耳に入る。


「聞いた? 事故の話」

「聞いたわ。怖いわよねえ。幻獣が人間に化けているんでしょう?」


 レントは足を止めた。

 今、聞き捨てならないことを聞いた気がする。

 レントは話し込んでいる果物屋の女主人とその買い物客の女性に駆け寄った。


「それ、なんの話?」

「あら坊や。見かけない顔だね」


 果物屋の女主人がレントに視線を向けてくる。レントの隣に立つ女性もレントを見下げた。

 レントは二人を見上げると、うんとうなずく。


「少し前に常天に来たんだ。あそこの宿に泊まってる」

「ああ、そういえば女将が言っていたね。お得意さんが病弱な子を連れて来たって」

「体調はいいのかい」


 果物屋の女主人は宿の女将と顔見知りだったようで納得したようにうなずいた。

 買い物客の女性もそうだったのと言ってレントの体調を気遣ってくれる。


「もうすっかり元気。それよりさっきの話。幻獣が人に化けてるって」


 ちょっとむずかゆい気持ちになったけれど、それにそっぽを向くようにレントは二人にさっき話していた話についてねだる。

 好奇心旺盛な少年の姿に困ったように笑いあった女性たちは、レントに噂話を教えてくれた。


「そうなのよ。なんでも龍江軍が必死に探しているそうよ」


 龍江軍という名前にどきっとする。

 まさか、と思わずにいられない。


「それってどんなやつ?」

「見た目は龍江人とそんなに変わらないそうよ。えらい顔がいい男で、女子供がころっと騙されちまうとか」

「それで自分の縄張りである川に引きずりこんじまうんだと」


 顔が良い男に化ける幻獣。しかも川。これはもしや、いやでもそんなヘマをイシュカがするはずが……と思いかけて、前科を思い出した。そもそも龍江の村を飛び出したのは、イシュカの変化が龍江軍のところで解けてしまったからだ。

 レントは顔が引きつりそうになるのをなんとかこらえて、平常心を心がける。お願いだから何も問題を起こしてくれるなよ、と祈らずにはいられない。


「なんの幻獣か知ってる?」

「さあ……でも川なら、水棲馬かもしれないわね。龍江でも三年前から聞くし、武陵や虎途にも出たんでしょう」

「そうそう、一番新しいのは上江だったかしら。だからこの間の水難事故も常天軍が警戒したとかで」


 やっぱりこれはイシュカなのでは?

 レントの目が死にそうな感じに虚ろになりかけた。でもすぐに正気に戻る。

 こうなったらイシュカを回収しなければ。もし本当にやばい状況なら、どうにか軍士に追いかけまわされる前に常天を出ないといけない。

 レントのつま先が宿とは反対の方向に向く。


「おばちゃん、ありがと。話、面白かった」

「ああ。坊やも気をつけなよ。幻獣も不審者も、子供を連れてっ行っちまうからね」


 レントが手を上げて背中を向けた。その背中に買い物客の女性も声をかける。


「暗くなる前に帰るんだよ」

「はーい。わかって……」


 返事をして駆けだそうとした瞬間だった。

 ぐるりと視界が回る。

 身体から力が抜ける感覚。

 まじかよ、と言葉がこぼれたけど、ちゃんと音になったのかは微妙で。

 膝から崩れ落ちたレントに、周囲にいた通行人たちがざわついた。女性客が膝を折って、レントの背中をさすってくれる。


「ちょっと、坊や! 大丈夫かい!」

「ほらここ座りな!」

「あたし女将呼んでくるわ!」


 果物屋の女主人も表に出てきて、果物が入っていた空の木箱を置いた。女性客はレントを女主人に預けると早足で宿のほうへと駆けていく。

 レントは慌てて女主人たちを止めようとして。


「だ、大丈夫! ちょっとくらってしただけだっ」

「本調子じゃないならおとなしくしてな! もうこのあとは宿に戻って寝てるんだよ。女将にうちの果物を渡しといてやろうね。ちゃぁんと元気になってから、また遊びにおいで」


 腰に手をあてて女主人がぷりぷりと怒る。その怒り方がちょっと懐かしく思えて、レントはしょんぼりと肩を落とした。

 こんなことしている場合じゃないとは思うのに。

 年上の女性の言葉はすごく強かった。

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