第14話 繁華街の夜〈下〉
「あ」
「どうしたの、レント?」
レントの視線が走って行った軍士の背中にくぎつけになる。
それも一瞬で、すぐに雑踏のなかに埋もれてみえなくなってしまう。
イシュカがレントを見下ろした。レントは雑踏に紛れて消えた姿に戸惑っていたけれど、イシュカに声をかけられて首を振る。
「なんでもない……知り合いがいた気がして」
「知り合いって、レントの知り合いなんて片手で数えるくらいじゃん」
「うるさいな、イシュカ。たぶん気のせい」
開いている手で指を折り、知り合いを数えだすイシュカをレントは半眼になって見上げた。
レントの知り合いはイシュカの知り合いだ。友達の少なさならどっこいどっこい。
そんな二人の様子に、ヤーモンが顎に手をやりうなった。
「常天はいろんな人間が出入りするからなぁ。常天の生まれなら気にはならんが、地方生まれだと髪色に惑わされることも多い」
「髪色?」
レントが聞き返すと、ヤーモンが少し意外そうに空色の瞳を丸くした。それからすぐに納得したようにうなずく。
「知らないのか。地方によって生まれやすい髪や瞳の色があるんだ。たとえば俺とレントは金髪に青眼。これは西の虎途人の特徴だ。イシュカ殿は灰……にしては少し青みがかってるが、灰色の髪に金眼は龍江人の特徴になる」
言われてレントはイシュカを見上げた。それから今まで会ってきた人たちを思い出す。
「武陵の人は黒髪と赤眼が多かった」
「そうだ。南の雀胡には赤髪に緑の瞳が多い。だがまあ、地方をまとめてからはそれもだいぶゆるくなって、ど真ん中の常天の都にはいろんな人間が住むようになったわけだが」
ヤーモンの言葉にレントもイシュカもなるほどとうなずいた。
人の髪や瞳の色をそんなに気にしたことはなかったけれど、地方によって特徴があるというのは面白いと思う。
「なるほどねえ。で、レント君は誰を見かけたと思ったのかな?」
「だから気のせいだって」
「教えてよ~」
納得したところでイシュカが話を蒸し返して来た。レントははぐらかそうとしたのに、イシュカは気になるのか食い下がってくる。
ごねられるのもめんどくさいので、レントはしかたなく白状した。
「アーヴィン」
「うっわ。ちょっとその名前は嫌だ」
とたんにイシュカの顔が普段見ない感じに歪む。なんというか、虫が嫌いな人が虫の巣を覗きこんでしまった時のような、ものすっごい嫌そうな顔。
「だから気のせいだって」
「イシュカ殿がそんな顔するなんて珍しいな。アーヴィンって誰なんだ」
イシュカがその名前を聞きたくなーい、とレントと手を繋いでいないほうの手で片耳をふさいでしまう。イシュカの顔を見て、ヤーモンの口元がちょっと面白そうにゆるんだ。レントは微妙な気持ちで教えてあげる。
「毛むくじゃらの幻獣をやっつけた軍士だよ。イシュカはアーヴィンが怖いんだ」
「怖いって言ってないし。ちょっと……いやだいぶ、ううん、すっごーく、粘着質なんだよ。僕のレントをそそのかす悪いやつ」
イシュカが不満そうに唇を尖らせる。もう三年経つのに、いやむしろ経ったせいか、ちょっとイシュカのなかでアーヴィンの印象がこじれ気味になっている。
レントはイシュカが実際にアーヴィンに追いかけられているところを見てはいないので、悪いやつだとは言い切れないまま。とはいえ幻獣に対しての容赦のなさは出会いがしらで知っているので、イシュカとアーヴィンを会わせちゃいけないとは思っている。
レントとイシュカがそれぞれ三年前に会った黒髪の軍士を思い出していると、ヤーモンが二人の間にある微妙な温度差に苦笑する。
「そそのかすって。術士に勧誘でもされたのか」
「そんな感じ。でもいろいろあって、アーヴィンには内緒で村を出てきたから」
内緒というか、アーヴィンから逃げたって言うのが正しいけれど。
ヤーモンはそんなレントに呆れたようで、やれやれと肩を上げている。
「馬鹿だなレント。軍士の庇護下に入れば、村を出なくても済んだかもしれないのに」
「水差し一杯の水しか出せなくても?」
「前言撤回。そりゃレントには荷が重いかもな!」
常天に入る直前、水たまりも作れなかったレントの力を思い出したヤーモンが快活に笑った。
それよりも今は、レントが見た人影の話。
「アーヴィンは龍江にいるはずだし。だからきっと気のせいだ」
「龍江の軍士なら、滅多なことじゃ龍江からは出ないだろうよ。見間違いだな」
「はあ、焦って損した」
ヤーモンのお墨付きもあって、イシュカもほっと胸を撫で下ろした。そんな大袈裟なと思っても、イシュカの命がかかってるって言っても過言ではないので仕方のないことかも。
軍士の列もすっかり行ってしまって、通りは元の喧騒へと戻っていく。
ヤーモンはいつの間にか立ち止まっていた二人の足を急かしはじめた。
「さてさて夜が更けるぞ。ここからは大人の時間だ。レントを寝かしつけないとな」
「子どもあつかいするなよっ!」
「僕からしたら、レントはまだまだ子どもだけどねぇ」
ヤーモンとイシュカからの子供扱いに、レントはむっとする。
ヤーモンは仕方ないかもしれない。仕事していて、すっごいお金持ちで、なんかかっこいい。おいしいものを食べさせてくれたし。だけどイシュカに子供扱いさるのはちょっと納得いかない。
「イシュカのほうがよっぽど子どもっぽいくせに……!」
唇を尖らせたレントの手を、イシュカが笑いながら強く握り直した。
レントたちが通り過ぎた通りのずっと先。
事故現場へと続く通りの裏路地に入っていく人影があった。
人影はそこにいた男と合流すると、今見聞きしてきたものを報告する。
「アーヴィン様。上江ですが、常天側には何も痕跡はないようです。水門付近の事故だったので常天軍が出たようですが、あとは虎途軍に引き継がれるかと」
報告を聞いているのは軍服を着た男。ここでは龍江軍の鎧を着ると目立ってしまうので、アーヴィンも彼の部下も防具は脱いでいた。
主人である東伯候の許可を得て常天に来ていたアーヴィンは、今回の事故の話を聞くとぐっと眉間にしわを寄せた。
「そうか。上江だと我々は手出しができんな」
「いかがしますか。ここまで来たのに……」
事件が常天を出て虎途側で起きたものであるなら、アーヴィンたちが手出しできる領域ではなかった。
東伯候に自由に動いて良いと許可をもらったのは常天まで。これ以上は越権行為になりかねない。
「致し方ない。各諸侯には領分がある。ここで引く」
「ですがこのままだとまた犠牲者が!」
「知っている。虎途軍には我々が持っている情報を渡すしかない」
アーヴィンの部下が食い下がった。それを手で制する。
部下の男は唇を噛んだ。
「……悔しいです」
「そうだな。その悔しさは幻獣と対峙した時までとっておけ」
この部下は去年、下江で娘が幻獣に引きずり込まれている。その無念さはアーヴィンもよく知るところで、ゆえに件の幻獣を追って常天に入った。
アーヴィンは部下の肩を叩くと、常天軍を経由して虎途に情報を渡してもらうべく裏通りから出た。
その表情は険しいまま。
「水棲馬め。あの時、逃がしていなかったら……」
三年前に相対した幻獣を思い出す。
人に化けて、少年を誑かそうとしていた水棲馬がいた。当時を思い出し、何度、悔やんだことか。
あの水棲馬を討伐していたら、救えた命があったはず。
これ以上犠牲者を出さないためにも、アーヴィンは歩く足を早めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます