第13話 繁華街の夜〈上〉

 常天に滞在して数日経った。

 レントは最初の二日、呪力が枯渇した反応でひたすら寝続けていた。それでも三日目には起き出して、さらに二日もすればいつものように過ごせるくらいに回復した。

 呪力の枯渇をなめていたと、イシュカはこの五日ずっと申し訳なさそうな様子だった。今も仕事から帰ってきて、レントの身体を拭くのを手伝ってくれている。体調も戻ってきたので、そろそろ大衆浴場に行ってみても良いかもしれない。


「イシュカ、仕事どんな感じ?」

「びっくりするくらい楽ちんだよ~。泳いで水路を修理する場所を調べるだけだもん」

「まあ、イシュカだしな」


 イシュカはヤーモンの伝手で、常天の水路整備の仕事を紹介してもらうことができた。日雇いの仕事で、実入りもそれなりに良い。

 水路内の整備は水路の水を抜いて作業するけれど、この水を抜く作業が大変なようで一カ所を修理するのに半月はかかる。定期的な整備はもちろんあるけれど、緊急性の高い欠陥等を見つけるために水路を泳いで確認する仕事があるそう。泳げる人間という条件がつくので、常天の広さに対してなかなかなり手がいないらしい。イシュカにはぴったりの仕事だった。

 ただそんな仕事も一つだけ不満があるようで。


「でも水はよくないね」

「そうか? 水路の水、きれいだと思うけど」


 レントが泊っている宿の部屋からも水路が見える。窓の外から見えるそれは、お日様の光を反射してきらきらと輝いて見えた。十分きれいに見えるのに、イシュカからしたらよくないらしい。

 イシュカがむずがゆそうな表情になる。


「それがだめなんだ。きれいすぎるんだよ。こんなんじゃ、生き物は棲めやしない」


 体が拭きおわったようで、イシュカが服を差し出してくれた。洗濯された清潔な服はちょっと寸足らずになってきた。レントはもぞもぞと服を着る。

 それにしてもイシュカの言うことはいつも難しい。きれいなことは良いことだと思うのに、イシュカはそれじゃだめだという。人間も動物も、住む場所はきれいなほうが良いのでは?


「わがままだなあ」

「わがままとかじゃなくて~。自然な水じゃないからこうなるんだよ」

「イシュカ、難しい」

「うーん……。ま、お金がたまったら僕らも出て行くから関係ないけどね~」


 中途半端に話されると逆に気になってしまう。とはいえ説明されても、レントが理解できるかはまた別なので悩ましいところだ。

 悶々としても損するだけな気がしたので、レントはこの話を頭の中から追い出した。そんなことより、今日の夕食だ。レントも元気になったので、イシュカの買ってくる持ち帰りの屋台飯じゃない、食堂のご飯を食べてみたい。

 そう思った矢先、部屋の扉が叩かれる。


「おーい、レント。元気か」


 入ってきたのはヤーモンだ。どこかの商談から帰ってきたばかりなのか、少し服装がいつもよりかっちりしている。


「やあ、ヤーモン」

「お、イシュカも帰ってきてたか。どうだ、稼ぎのほうは」

「それはもうばっちり」


 イシュカがぐっと親指を立ててにんまりする。

 実入りがいいのは本当で、イシュカの懐は随分と温まった。ほくほく顔のイシュカを見たヤーモンも、それは良かったとうなずく。


「明後日くらいに虎途へ行こうと思うが大丈夫か?」

「いいよ~。レントは」

「大丈夫だ。もう元気」


 イシュカがレントを見下ろした。レントもうなずけば、ヤーモンは破願する。


「よしよし! それじゃ、旨いものでも食いに行こうぜ。俺のおごりだ」


 ヤーモンの誘いにイシュカの金色の瞳が喜々と輝いた。


「やった! 僕、常天鶏の丸焼き食べたい!」

「いいぞ。宿の入り口で待っているからな」


 ヤーモンはそれだけ言うと、さっさと部屋を出て行った。

 残った二人はお互いに視線を向けあう。


「おいしいもの、楽しみだね~」

「だな」


 せっかく常天に来たのだから、おいしいものはめいっぱい食べたいと思うのはレントも同じだ。






 ヤーモンが連れて来てくれたのは、常天の地鶏を使った料理が有名な楼閣だった。

 商家の直営が並ぶ高級繁華街の一画にあり、レントはちょっと店に入るのに気おくれしてしまったくらいだ。さすがこんなお店を選ぶヤーモンの味覚は確かで、こんなおいしいもの食べたことないって叫びたくなるくらいにおいしかった。

 イシュカのご所望通り常天鶏の丸焼きが出てきて、その場で解体して一番おいしい部位を包子パオズに包んで食べさせてくれた。甘辛いタレが鳥の柔らかい肉とパリッとした皮にあっていて、思い出すだけでもよだれが出てしまうおいしさだった。他の部位も包子を食べている間に料理人が調理して卓に並べてくれる。見る物食べる物、見たことなくておいしくて、レントもイシュカも大満足。

 ヤーモンからしたらレントは小食だそう。代わりにイシュカはある分だけあれば食べる。ヤーモンがレントに食べろ食べろと勧めまくるのを、イシュカが途中途中阻止したものの、普段食べる量をはるかに超えて食べてしまってレントのお腹ははちきれそうだった。金のある商人の接待は恐ろしい。

 重たくなった腹を落ち着けるため、三人は夜の常天を歩く。日が沈んだあとの繁華街は色鮮やかな紙灯篭が頭上を飾り、呼び込みの声が左右から飛び交っていく。昼間の喧騒ともまた違って、まるで違う世界に来てしまったような気持ちになった。


「夜なのにすっごいにぎやか」


 レントが物珍しそうにあちこちをきょろきょろと見る。

 ふらふらと歩いているので、ヤーモンがはぐれそうになる前にとイシュカに手を繋がせた。迷子にならないと思っているのはレントばかりで、イシュカの腕はさっきからレントに引っ張られてあっちこっちに動いている。そのたびに手を優しく引けばレントははっと気がついてばつが悪そうに視線を逸らす。でもその逸らした視線の先にまた興味を惹くものがあって、の繰り返しだ。


「レントはずっと引きこもっていたもんね」


 大人二人は子供らしい無邪気さを見せるレントをおだやかな気持ちで見るだけだ。体調を崩してずっと部屋にこもっていたのだし、明後日には虎途を目指してここを発つ。常天の街のいろんな表情を見るなら今が良い機会だ。


「常天には皇帝がいるからな。各地方からの人が入り乱れている。常天を経由することで東西や南北の行き来がしやすくなった」


 ヤーモンはイシュカの周りをうろうろするレントを眺めながら、この常天についていろいろと教えてくれる。

 武陵にいた頃、森番の村でいろいろと教わったけれど、実際に見て、聞いて、感じるものって少し違っている。レントにとって見るものすべてが新鮮だ。


「だが常天は交架の要所、二大大河の上にある水上都市だ。四方の水門で二大大河の水量を調整しているが、この常天が水没したらその被害は国土の半分と言われてる。だからこの国じゃ水害が一番恐れられているし、河神信仰が根づよい。……と、噂をすれば」


 通りがざわついた。一つ向こうの通りを武装した兵士たちが駆けて行く。


「何かあったのか?」

「物々しいねえ」


 レントとイシュカの視線が騒ぎのほうに向く。ヤーモンも眉間にしわを寄せてぞろぞろと駆けて行った兵士たちを眺めている。

 イシュカが耳を澄ませると、上江のほうで事故が起きたと騒ぐ声を拾った。


「あれは常天の軍士だな。幻獣騒ぎがあるせいであちこちで見かける」


 軍士という単語に過敏に反応してしまいそうになるけど、レントはぐっと我慢した。まだイシュカが幻獣だってことはバレていないし、バレるわけもないし。


「軍士も大変だねえ」

「だな。数日前に幻獣除けの結界が揺れたとかで軍属の術士も出てるらしい」

「そっかあ、大変だねえ」


 平常心を心掛けていたのに、どこかの能天気な水棲馬のせいで心当たりがあり過ぎるレントの胃がきりきりした気がした。これは食べ過ぎのせい、食べ過ぎのせい、とレントは自分に言い聞かせる。のほほんと他人事みたいに話すイシュカはもう少し危機感を持ってほしい。

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